【映画】「シン・ちむどんどん」感想・レビュー・解説

『劇場版 センキョナンデス』の第二弾。今回の「お祭り(選挙)」は、沖縄の知事選である。

こういう作品を観る度に、自分の「無知」を知ることが出来る。さらに、監督であり出演者でもあるラッパー・ダースレイダーと芸人・プチ鹿島の2人が、「自分たちも沖縄については全然知らなくて」と何度も口にしてくれるので、あまり構えずに観ることが出来るのも良い(もちろん2人は、一般人よりは遥かに色々な知識を持っていると思うが)。

映画は、前半は前作同様、選挙戦の模様を色々と追いかけて行く。街頭演説を見たり、応援演説を聞いたりと言った感じだ。その辺りの話は、後で触れることにしよう。

そして映画の後半は、選挙戦後の映像になる。主な焦点は、「普天間基地の辺野古移設問題」である。知事選でも、やはりこの点が焦点となった。僕自身の理解を整理する上でも、映画の中で語られていた話を少しまとめてみたいと思う(何か記述に誤りがあれば、それは僕の無理解に原因があると思って下さい)。

ちなみに僕は、「辺野古移設」という単語はもちろん何度も聞いたことがあるが、その詳しい状況を、この映画を観る時点で理解していたとはとても言えない。それなりにニュース番組は観ているつもりだが、やはりちゃんとは理解できていなかった。

沖縄の基地問題の歴史は長く、普天間基地に限らず様々な問題があるが、辺野古の話が絡んでくるきっかけとなったのは1996年のことだ。普天間基地の変換の合意がなされたのだ。そしてその条件として、普天間基地を辺野古に移設するという話が決まった。

ではそもそも、何故普天間基地を移設するという話になったのか。それは「普天間基地が、世界一危険な基地だから」のようだ。普天間基地に隣接する沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落した事件は記憶に新しいし、「事故が多発して危険な基地だからどうにかしよう」という問題意識があったそうなのだ。

そもそも普天間基地は、日本の航空法を侵しているそうで、普通なその存在が許容されないはずなのだ。しかし、日米地位協定により、普天間基地では「国内法の適用が免除されている」ため、航空法違反の状態で基地が存続し続けてきたという歴史がある。そして、その問題を解決するために、辺野古移設が決まったというわけだ。

しかし、沖縄国際大学の教授は、「そもそも『普天間基地を移設する』という話が欺瞞だった」と語っていた。というのも、「世界一危険な基地」は他にあるからだ。それが嘉手納基地である。沖縄返還後の事故数でいうと、普天間基地が18件なのに対して嘉手納基地は575件と約30倍である。基地の広さも違うとは言え、この差は相当なものだろう。

普天間返還の話が出る前は、嘉手納基地が危険だという話が取り沙汰されていたそうだ。しかしアメリカとしては、嘉手納基地は手放したくなかった。だから、「普天間基地が危険だ」という話にすり替えて、それを辺野古に移設するという風にしたというのだ。

アメリカは実は、1960年代に、辺野古に基地を作る計画を立てていたという。しかし、ベトナム戦争の真っ最中であり、「そんな予算はない」ということで立ち消えになった。その後、普天間基地の移転に伴って辺野古に基地を作るという話になった。しかも、移設費用は日本持ちだ。つまりアメリカとしては、元々計画していた辺野古にタダで基地を手に入れられるという状況になったのだそうだ。

さらに興味深い話がある。辺野古の基地建設は現在ストップしており、再開の目処は立っていない。その理由は、埋め立て予定の地盤が軟弱だということが判明したからだ。

しかし教授によると、1960年代の辺野古基地建設計画の段階で、恐らくアメリカは軟弱地盤の存在を知っていただろうとのことだった。何故なら、当時の基地建設計画の設計図では、現在軟弱地盤が存在すると判明している箇所が綺麗に除外されているからだ。

さてそうなると、こんな疑問が生まれる(以降の話は映画で語られていたものではないが、僕でも理解できるぐらい、明らかにそのような示唆がなされていたと思う)。普天間基地移設に伴う辺野古の基地建設計画は、日本が計画している。当然そのことを知っているアメリカは、辺野古に軟弱地盤が存在することを日本に伝えても良かったはずだ。明らかに、計画に軟弱地盤が含まれていたら、辺野古の基地建設が滞るからだ。

しかしアメリカはそれを日本に伝えなかった。もちろん、1960年当時の建設計画について詳しく知っている人物が既にいなかっただけかもしれない。しかしこうも考えられる。「辺野古に基地を建設できなかったのは日本の責任なのだから、我々はこのまま普天間基地を使い続けます」という理屈を押し通すつもりなのではないか、と。普天間基地は2034年までに移設ということになっているのだが、その時点で返還する意思があるとは思えないほど、普天間基地内には新しい建物が立ち続けている。もちろん、その建設予算が日本から出ているなら問題ないが(日本に返還されるのだから、日本の予算で建物を建てているなら問題ない、という意味)、しかしアメリカの予算で建てているなら、「どうしてすぐに返還する土地に新たな建物を建てているんだ」と問題になるはずだ、と。こんな風に考えても、アメリカは普天間基地を手放すつもりがないんじゃないか、と想像できるというわけだ。

この「普天間基地の辺野古移設問題」について、知事選を闘った佐喜真淳候補は、「2030年までに普天間基地の返還を実現する」と公約に掲げており、物議を醸していた。正直、基地問題についてあまり詳しく理解していなかったので、この発言の何が問題なのかを選挙戦の描写の時点では正しく理解しきれていなかったが、後半の映像を観ておおよそ理解できたと思う。

そもそもだが、「普天間基地の返還」は「危険な基地だ」という理由で合意がなされ、さらに普天間基地の機能をどこかに移す必要がある(その機能をどこかに移さなければ返還など出来ない)のだから、「辺野古に移設する」という話になっていたわけだ。普天間基地の返還は2034年までにと決まっているが、これも「2034年までに辺野古に基地を作るので、それに合わせて普天間基地を返還する」という話なわけだ。そして、辺野古の基地建設は軟弱地盤の問題があってストップしており、現在のところ、2034年までに基地が完成する見込みはない。

これが、普天間基地と辺野古を巡る現況である。

しかし、佐喜真淳の「2030年までに普天間基地の返還を実現する」という話が本当なら、「辺野古に基地が完成していない状態で普天間基地の返還を実現させる」という話になるはずだ。しかしだとすれば、「じゃあ、そのそも辺野古に基地なんか要らない」ということになる。そしてそうだとすれば、「どうして普天間基地の返還を2030年まで待たなければならないのか」という話にもなるだろう。だって、辺野古の基地がなくても普天間基地の返還が可能だというなら、今すぐやればいいからだ。

このような矛盾について問いただすべく、選挙期間中に佐喜真淳に質問をすると、「そもそも2030年までの返還は不可能です」という意味不明な答えが返ってきた。つまり佐喜真淳は、「不可能だと分かっていることを公約に掲げて知事選を闘っている」のである。なかなか意味不明だろう。

さて、映画後半の話は、基地問題を起点に、「沖縄の民主主義」についての話に移っていく。これもまた、深く考えさせられる話だった。

僕もニュースなどで、沖縄県知事(翁長雄志や玉城デニーなど)が国に対して基地移設に異を唱える様子を何度も見たことがある。基地問題を争点にして知事選を勝ったり、あるいは、辺野古移設を巡る住民投票で7割以上が反対の意思を示すなど、沖縄の「民主主義」は明らかに「基地移設にNO」を突きつけていた。

しかし国は、その沖縄の声をガン無視している。住民投票の結果が出た翌日、当時の官房長官だった菅義偉は、「粛々と工事を進めさせていただきます」と会見で語っており、その映像も映画の中で流れた(ダースレイダーはこの点について、「菅義偉という人がそういう人だということは理解していたけど、それでもあの発言には恐ろしいものを感じた」みたいなことを言っていた)。

映画に登場したある人物は、沖縄の民意が完全に無視されている現実について、「沖縄の民主主義は破壊された」と語っていた。そしてその背景に、「日本が沖縄を植民地化したいという意識があるからだ」とも言っていた。ここで言う「日本」には、「日本政府」というだけではなく、いわゆる「内地」に住む我々全員が含まれていると考えていいだろう。「沖縄を植民地化したい」などと思っていないという人でも、無意識的に、あるいは間接的に、その状況に加担しているというわけだ。

以前、『サンマデモクラシー』というドキュメンタリー映画を観たのだが、その中で、返還前の沖縄に君臨していた「高等弁務官」の3代目であるキャラウェイの「自治権は神話」という言葉が印象的だった。映画の中では、「邦訳された日本語が意味するほど、キャラウェイは強い意味を持たせていなかっただろう」という話として出てくるのだが、ただまさに、今の沖縄に対する言葉として「自治権は神話」というのは残念ながら当てはまってしまうように思う。

少し基地の話に戻ろう。沖縄国際大学の教授の話で興味深かったのは、「アメリカは、沖縄の基地機能をグアムに移設しようと検討していた」という話だ。それは、新聞に掲載されているぐらいのものである。ミサイル主導の時代なのだから、「沖縄」という地に地政学的なメリットも無くなった、という判断がなされていたそうだ。だから、もしこの時に、日本がゴリゴリの交渉をしていれば、もしかしたら沖縄からすべての基地が無くなっていた可能性もゼロではない、みたいなことが語られていた。可能性としては低かっただろうが、少しでも可能性があるならやってみた方がいい。

しかし恐らく日本は、そんな交渉はしなかった。映画の中では、「アメリカ軍の基地を持つ世界中の国は、地位協定を改定を交渉し、どんどん変わっている。そのような交渉をせずにアメリカの言いなりになっている国は、世界中で日本ぐらいだ」みたいな話も出てくる。戦争で負けたり、その後の関係性で色々あったのかもしれないが、それにしたって、「対等な関係に持ち込もうとする努力」を放棄するのはダメなのではないかと思う。

このような沖縄の現状を、正直僕は正しく理解できていなかったし、多くの人がそうだろう。印象的な話があった。映画の中でプチ鹿島が、田原総一朗について言及する場面がある。彼が司会を務める「朝まで生テレビ」は、既に30年以上続いているのだが、その中で沖縄問題を取り上げたのは5回だけだったそうだ。その理由について田原総一朗が何かの媒体で話していたのをプチ鹿島が聞いた、という話なのだが、その理由というのが「視聴率が取れないから」なのだそうだ。恐らく話の流れとしては、「田原総一朗が取り上げたいと提案しても、視聴率が取れないという理由で却下される」という感じなのだろう。それぐらい、沖縄以外における関心が低いということなのだ。

まあ、確かに「関心が低い」と言われたらその通りだと認めざるを得ない。これはきっと、「平和ボケ」みたいな話とセットになってくると思うのだが、やはり「国防」みたいな話にはなかなかピンと来ない。北朝鮮からミサイルがバンバン飛んできている状況下にあってなお「ピンと来ない」なんて言っているわけだから、まさに「平和ボケ」そのものという感じだが、なんというのか、沖縄の問題がどうとかではなく、国防に関するすべてが「自分に関係する問題だとは思えない」みたいな感覚がある。

恐らく多くの人がそのような認識だろう。国防云々よりも、電気代やガソリン代の値上げの方がより重大な問題として立ち上がってくる感じは分からないでもない。頭では、そのようなスタンスは改めないといけないなと分かっているが、同時に、なかなか難しいなぁという感覚もある。

しかしやはり、このような映画を観たりした時に立ち止まって考えてみる、みたいなことを少しずつ積み重ねていくしかないのだろうと思う。

さて、前半の選挙戦の話に移ろう。選挙戦を争うのは、現職の玉城デニー、先程名前を挙げた佐喜真淳、そしてIRの汚職問題に関連して維新の会を除名になった下地幹郎の3人である。ダースレイダーとプチ鹿島の2人は、公示日前日から沖縄入りし、選挙運動を様々に見届け、候補者たちに様々な質問をしながら選挙戦を楽しみつつ情報発信をしていく。ダースレイダーは選挙戦を「フェス」と呼んでいたが、とにかく2人は楽しそうに選挙運動を駆け回っていくのである。

面白かったのが、映画のタイトルにもある「ちむどんどん」に関するものだ。3人の候補者はそれぞれ、選挙期間中に放送していたNHKの連続テレビ小説『ちむどんどん』が好きだとアンケートで答えているのだが、プチ鹿島が「本当に観ているのか?」という視点で候補者に質問を繰り出すのだ。この返答が三者三様で面白かった。

また、旧宜野湾市長である佐喜真淳は、旧統一教会との関係が指摘されていた。なんと、台湾での合同結婚式にも参加したことがあるという。選挙戦初日にその点について自ら触れていたが、そのイメージを払拭できるだけの発信は出来ていなかったように思う。

またある場面で、ダースレイダーが本職であるラッパーとしての本領を発揮するのだが、さすがという感じだった。

あと、僕もネットニュースになっていたので知っていたが、辺野古移設反対を訴える者たちの座り込みの抗議に対して、ひろゆきが茶化すようなツイートをしたことについても映画で取り上げられていた。僕の感覚としても、ひろゆきのツイートは「ちょっとどうなんだ?」と感じてしまった。なんというか、僕の意見では、「強い影響力を持つ人物は、その影響力を適切に使う責務みたいなものがあるのでは」と感じる。いや、そういう言い方はちょっと強すぎるか。別に自身の影響力を「良いことのために使え」と思っているわけではない。しかし「悪いことのために使う」ことは避けてもいいんじゃないかと思う。そういう点で、あのツイートには違和感を覚えてしまった。

今回は、選挙戦の様子よりも、後半の基地問題に関する現況に関する話の方が面白かったが、やはり、「選挙は祭りだ」と言って楽しめるような雰囲気が出来ればいいなと改めて感じさせられた。

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長江貴士
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