【映画】「サンマデモクラシー」感想・レビュー・解説

いやー、これは面白かったなぁ。
ドキュメンタリー映画(しかも、テーマは割と真面目)を観て、こんなに爆笑することがあるとは思わなかった。

この映画は、沖縄が日本に返還される前に実際に起こった「サンマ裁判」を中心に、アメリカの占領下にあった当時の沖縄の現実を描き出す映画だ。

正直、冒頭でよく分からない落語家が出てきた時は、「ちょっと失敗したかな」と思った(笑)。しかし、全編に渡ってこの「志ぃさー」という落語家の語りで展開されるこの映画は、彼の語りの妙によって絶妙なリズムと面白さが与えられていると感じた。落語家が、沖縄の様々な場所(海辺や城跡など)で落語の台に上がって喋っている光景はなかなかにシュールだが、それ以上にこの「サンマ裁判」自体が非常にシュールな展開を見せるものなので、この落語家のシュールさは、実はこの映画全体の雰囲気に合っているのである。

しかも、「サンマ」が関わるこの物語には、「ウシ」「カメ」「トラ」「ラッパ」と、なんだそりゃという人物たちが多数登場する。冗談のような話だが実話なのだ。

物語の全体像をざっと書いておくと、一人の魚売りの女性が当時の琉球政府を訴えたことから始まった。この裁判は「サンマ裁判」と名付けられ注目されたが、真の的は琉球政府ではなく、その上で牛耳っているアメリカだった。その裁判に「ウシ」と「ラッパ」が関わり、さらにその裁判を幾度目かのきっかけとして「カメ」が再起、さらに「トラ」の裁判までが絡まり合って、最終的には「本土返還」への流れへと繋がっていくという、非常に壮大な物語なのである。

さて、順を追って説明していこう。まずは「ウシ」が裁判を起こした時の沖縄の状況である。

当時の沖縄には「琉球政府」があり、「司法」「立法」「行政」ときちんと自治権が認められていた。表向きは。実際には「琉球政府」のさらに上に「UNCAR」というもう一つの政府があり、実質的にはこの「UNCAR」が沖縄を支配していたのだ。

「UNCAR」はもちろんアメリカの組織であり、そのトップが「高等弁務官」である。15年の間に6名の入れ替わりがあったこの「高等弁務官」こそが、実質的な当時の沖縄のトップであった。

高等弁務官は「布令」と呼ばれるルールを発令することができた。この「布令」は、当時の沖縄人にとっては「絶対のルール」であり、どんなに理不尽なものでも従わざるを得なかった。高等弁務官は、この「布令」を発令しまくり、やりたい放題やっていたのだ。

さて、問題となる布令が発令されたのは1958年10月27日のこと。「17号」と呼ばれたその布令は、日本(この映画で「日本」と言われる時は、「本土」のことであり、当時の沖縄は含まれない)から輸入する物品に関税を掛ける、という内容だった。

さて、この布令には、課税対象となる海産物もリスト化されていたのだが、その中に「サンマ」は入っていなかった。しかし、入っていないにも関わらず、なぜか「サンマ」にも課税されることになったのだ。

これに沖縄の主婦が悲鳴を上げた。というのも当時サンマは、沖縄で国民食のような魚になっていたのだ。

元々沖縄ではサンマは食べられていなかった。しかし、マグロの餌としてサンマを輸入したことをきっかけに、その安さと味が知られるようになった。しかもサンマは、「本土の味」として、本土復帰を強く望む沖縄人にとって郷愁の味となったのだ。

そんなサンマの値段が税金のせいで高騰したもんだからたまらない。しかし一般の人は、「布令にサンマが記載されていない」などと知る由もない。布令には従わなければならないのだと、諦めて税金を収めていた。

しかしある時、一人の市議会議員が、「布令にはサンマと書かれていないのに、サンマに課税されているのはおかしいじゃないか」と問題提起した(この人物については、映画の終わりに面白い事実が判明するのだが、それについてはこの記事では触れない)

さて、そんな事実を新聞などで知った当時の主婦は怒り狂った。なんでサンマに税金を掛けるんだ! と声を上げたのだ。そして、そんな状況を背景に、「この布令はおかしい」と裁判に訴えたのが玉城ウシである。

糸満市に生まれた玉城ウシは、母から魚売りの仕事を継ぎ、頭にタライを乗せて売り歩く糸満女の一人として働きに働いた。しかし、布令のおかしさを知り、ついに裁判を起こす。彼女は、4年半に渡って徴収された4万6987ドル61セント(現在の貨幣価値に換算すると7000万円)の返還を求め、琉球政府を訴えたのだ。

表向き訴えられたのは琉球政府だが、実際はこの布令を発令した三代目高等弁務官キャラウェイが標的だった。

このキャラウェイ、「キャラウェイ旋風」と呼ばれたほど高圧的な圧政を敷いたことで知られている。本土と沖縄を遠ざけるために渡航制限を行い、布令も出しまくっては沖縄人をギリギリと締め付けたのだ。

そんなキャラウェイの有名な言葉として、「自治権は神話」という言葉がある。ちょっと「サンマ裁判」の流れと逸れるが、この話は非常に印象的だったので触れておこう。

この「自治権は神話」という言葉、キャラウェイの言葉として新聞等で知られると、もちろん怒りが巻き起こった。しかし、当時キャラウェイの発言を間近で聞いていた人間は、ちょっとニュアンスが異なると言っていた。

「自治権は神話」という言葉を日本語的に言葉通りに解釈すると、「お前たちに自治なんかない」と聞こえるだろう。しかしキャラウェイの発言の意図はそうじゃないという。まず、英語の「myth」というのは、日本語にすると「神話」となり大層な語感を帯びるが、英語の「myth」はそこまで高尚な意味はないという。そして、「自治権は神話」という発言の前後の文脈まで合わせて考えると、キャラウェイが言いたかったのは、

「本土の復帰したところで、一地方自治体としての自治権しかない。それは、あなたがたが思っているほど大したものではない。むしろ、今の琉球政府が持っている自治権の方がずっとマシなのではないか」

という趣旨だったのだろう、と話していた。

この話は、映画のラストで再び登場する。当時の菅官房長官と翁長知事の会談の中で、翁長知事が「キャラウェイの『自治権は神話』という言葉を思い出しました」という発言をしているのだ。

「サンマ裁判」という観点からはちょっと違った話ではあるのだが、当時の沖縄が置かれていた状況と、今の状況を比べた時に、キャラウェイ発言の真の趣旨の意味が、より実感を持って理解できると感じさせられた。

さて、「サンマ裁判」の話に戻ろう。

玉城ウシは、裁判を起こして一石を投じることになったが、ここに「ラッパ」が登場する。「下里ラッパ」と呼ばれた、下里恵良である。彼がこの「サンマ裁判」の弁護士を務めることになった(なぜ「ラッパ」という愛称になったのかよく分からない)

彼が「サンマ裁判」の弁護士に就任するまでの来歴が、白黒の再現映像にまとめられていたのだが、「ホントかよ」と突っ込みたくなるような話が満載の男である。すべてを書くことは控えるが、「10歳で農家を継ぐことを拒否」「空手をアピールして就職するが、乗馬ばかりして仕事をしない」「北京で、亜細亜を正しく導くためのリーダーに推される」「戦地から帰還し、渡航制限のあった沖縄に密入国」「翼賛総選挙に出馬し、文字通り馬に乗って演説」などなど、わけのわからん人生を歩んでいる。

この「ウシ」と「ラッパ」がタッグを組み、1963年8月13日に「サンマ裁判」の初公判が開かれることになった。

裁判の過程で玉城ウシは、「もう何も失いたくない」と語ったそうだ。その発言の裏には、娘や妹との悲しい話がある。

さて、裁判の結果はどうなったのか? 調べればたぶんすぐに分かるのだろうが、この記事では触れないことにしよう。

さてその後、玉城ウシではない別の人物が二度目となる「サンマ裁判」を起こすことになる。

しかし今度の「サンマ裁判」は、前回と少し違った。玉城ウシは、「税金を返せ」と訴えたわけだが、二度目の原告となった琉球漁業株式会社は、「17号の布令は無効だ」と主張したのだ。

さてこの裁判、奇妙な展開を見せることになる。玉城ウシの「サンマ裁判」の直後、沖縄を去ることになったキャラウェイの代わりに、四代目としてワトソンがやってきたのだが、このワトソンが「裁判移送」の決定をしたのだ。

どういうことか。玉城ウシの裁判は、日本の裁判所で日本の裁判官によって行われた。沖縄には自治権が認められているのだから当然だ。しかし二度目の「サンマ裁判」は、アメリカの裁判所でアメリカの裁判官によって行う、と決まったのだ。

玉城ウシの「サンマ裁判」を担当した裁判官は、当時を振り返って、「司法権が機能していないし、あり得ない」と語っていた。そこで、当時の沖縄の裁判官が全員で、抗議文を書いて提出したという。

さてこの「裁判移送」の決定は、不満を燻ぶらせる沖縄人の怒りにさらに油を注ぐことになった。多くの人が裁判所の周りを取り囲んだが、その中に「カメ」がいた。

伝説の政治家であり、「アメリカが最も恐れた男」という異名を持つ瀬長亀次郎である。

ここから、瀬長亀次郎の来歴が語られるわけだが、彼がそれまでにどんなことをしたのかということはここでは書かないことにしよう。沖縄の民衆運動に重大な役割を果たした人物であり、沖縄人のヒーローのような存在なのだが、その辺りのことは映画を観てほしい。

この記事において重要なことは、「瀬長亀次郎を抑え込むためにUNCARが作られ、高等弁務官が沖縄に派遣されることになった」「言いがかりのような罪で起訴し、2年の実刑判決を受けた」「瀬長亀次郎の被選挙権を奪うために、『過去に犯歴のある者は被選挙権を持てない』とする、いわゆる『瀬長布令』が発令されたこと」である。

とにかく瀬長亀次郎というのは、アメリカにとっては頭の痛い人物だったが、沖縄人からの支持が超絶高く、常に運動の先頭に立つことになる。

そして、「裁判移送」の問題で揺れる民衆の中に、瀬長亀次郎の姿もあったのである。

そしてここで、「トラ」が関係してくる。

瀬長亀次郎は、被選挙権を奪われたことを理解しながら、市長選に出馬する。結果は予想通り「失格」だったのだが、同じ選挙で、トップ当選を果たしながらも失格になってしまった人物がいる。

それが友利隆彪である。彼は、過去に小額の罰金刑を受けていたことがあり、「瀬長布令」によって「失格」となってしまったのだ。

そして友利隆彪は、この決定を不服とし裁判を起こす。「友利裁判」である。この「友利裁判」も「裁判移送」が決定し、さらに沖縄人の怒りを焚きつけることになった。

さて、「友利裁判」と二度目の「サンマ裁判」が進む中、面白いことが起こる。ワトソンに代わって、5代目高等弁務官としてアンガーがやってきたのだが、その就任式典で牧師がこんな「祈り」を口にしたのだ。

「今度の高等弁務官が、最後の高等弁務官になりますように」

もちろん、この発言は当時の沖縄人に賛同されたことは言うまでもない。

やがて2つの裁判の判決が確定する。その結果も、ここでは触れないことにしよう。

さて、「ウシ」から始まり、「ラッパ」「カメ」「トラ」と関係してきた一連の流れによって、沖縄の民衆運動の熱は多いに高まった。ある法案を実力行使で廃案に追い込むなど、もはやアメリカも民衆運動を止められなくなっていく。そしてこのような流れの先に、沖縄人悲願の本土復帰を果たすことになる。

しかし映画の最後で問われる。本当にこれは、沖縄人の気持ちを理解した返還だったのか、と。結局、アメリカ軍の基地は残った。キャラウェイの「自治権は神話」という発言そのままの関係性が、今でも続いている。

米軍基地の問題は、我々も無関係ではない。なかなか日常の中で意識することは難しいが、日本全体の問題であり、我々の無関心が問題をより根深いものにしているとも言える。

非常に楽しいテンションで、難しそうに思われがちな裁判や民衆運動の話をテンポよく描き出していく作品だが、ただただ「楽しい」「面白い」と言っているだけではダメだろうな、とも感じた。

「サンマ裁判」が提起した問題は、今もまだ「問題」のままであり続けているのである。

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