【映画】「劇場版 センキョナンデス」感想・レビュー・解説

これは面白かった!ドキュメンタリー映画なのに、随所随所で観客が爆笑する映画だし、しかもテーマが「選挙」なのに面白いというのもとてもいい。舞台挨拶付きだったからというのもあるかもしれないが、僕が観た回は劇場が満員だった。というか、元々昨日観るつもりだったのだが、木曜にチケットを確認したら完売だったから、今日観ることになったのである。いやはや、凄い人気である。

映画は基本的に、全編に渡って「面白く、笑える」感じで展開していく。しかし、この映画について取り上げる場合、避けては通れない話からすることにしよう。去年7月の、安倍元首相銃撃事件である。元々YouTube用に撮影していた映像を映画にすると決めたのも、この事件がきっかけだったそうだ。

この映画の監督である、東大中退のラッパーであるダースレイダーと、新聞14紙を読み比べる時事芸人であるプチ鹿島の2人は、2022年の参議委員選挙で大阪に注目した。当時、立憲民主党の菅直人が「日本維新の会はヒットラーのようだ」とツイートし物議を醸し、しかし謝罪をするどころか「闘うリベラル宣言」で応戦したことに「ヒリヒリしたもの」を感じ、これは大阪の選挙運動を見るしかないと乗り込んでいくのだ。彼らは、候補者全員の選挙演説に顔を出し、候補者の声や支援者の様子などをウォッチしていく。

そんな最中、安倍元首相の銃撃事件が起こる。彼らは大阪のホテルにいた。そして、参議委員選挙期間中に起こったその事件を受けて、多くの候補者が一時選挙運動を中止した。

しかし大阪では、選挙演説を続行する候補者もいた。彼らはその演説を聞きに行き、候補者の声を聞く。また、「選挙運動は止めるが、街頭演説は行う」としたのが辻元清美だ。彼女は、白いシャツに黒いパンツという姿で、たすきも掛けないまま、「言論を暴力で封じることは許されない」と街頭で演説をする。そしてその後、記者からのぶら下がり取材中に安倍元首相の訃報を知ることになる。その様子が、カメラに収められている。

映画の中でも、今日観たトークイベントでも語られていたが、銃撃事件が起こったその日彼らが重視していたことは、「後から振り返った時に『間違いだった』と分かってもいいから、今日この場で感じたこと、考えたことを残そう」というものだったそうだ。

今では、事件を起こした犯人の動機が、いわゆる「旧統一教会」にあることは知れ渡っている。しかし、事件当日の午後、事件からまだ数時間程度しか経っていなかった頃には、動機も何も分かっていなかった。政治家を公衆の面前で銃撃するのだ、どんな可能性を考えてもおかしくなかっただろう。そういう中にあって、ダースレイダーとプチ鹿島は、「自分たちは沈黙するしかない」と考えていたとトークイベントでは語っていた。憶測でものを言っても仕方ないからだ。しかし、「言論を暴力で封じようとする行為は断固許容できない」というスタンスは明確に主張していた。

その一方で、安倍元首相からすれば「政敵」という存在だろう辻元清美や志位和夫は、事件直後の街頭演説の中で、安倍元首相に想いを馳せる言葉を口にした。

さて、彼らはその日、適宜ツイッターなどネットの情報も見ていたわけだが、そこでは、罵詈雑言や謎のマウント合戦が繰り広げられていたそうだ(僕は正直、あまりネットを見ないようにしているのでよく知らない)。まだ何が起こったのかさえ分からない状況下で、安倍元首相の支持者や批判者を貶めるようなことを言ったり、安否についての正確な情報が出る前から「死亡した」というデマを流す者もいたという。

そのようなネット上の風潮を、彼らは強い憤りを持って眺めていた。

一方、別の方向の危惧を示す場面もあった。それは、「『批判』と『悪口』の違い」についてのものだ。

事件が起こる前からダースレイダーは、「民主主義が正常に機能していない」という感覚を持っていたと言っていたと思う。「民が主になっていない」からだ。しかしその背景には、「適切な批判が成立していない」という問題もある。そして、この事件によってよりその風潮が強まるのではないか、と危惧していたのだ。

「政府が正しく機能しているのかチェックし、不備があれば批判する」というのは、民主主義の基本である。しかし、世の中では「批判」が単なる「悪口」と受け取られがちだという。確かに僕も、そういう風潮を強く感じる。それが何であれ、「『相手を悪く言うこと』は悪である」という考え方が、ナチュラルに存在しているのだ。

以前、『パンケーキを毒見する』という、菅義偉を扱ったドキュメンタリー映画を観たのだが、その中で、「若者にもっと政治参加してもらうこと」を目的とする大学生のサークルメンバーが登場した。彼らに、「若者の間でなぜ自民党が人気なのか?」と聞く場面があり、「自民党しか知らないから」「ずっと政権を取っているから」みたいな理由が出てくるのだが、その中の1人は、「野党は文句を言っているだけだから嫌われている」というのがあった。確かに、今の野党が適切に機能しているのかはともかく、本来的に野党というのは、政権与党を批判的にチェックする役割を担うはずだ。しかし、そのような本来的な役割さえも、「文句・悪口を言っている」と受け取られ、嫌われてしまうのが現状なのだそうだ。

さて、ダースレイダーは、「そういう風潮を作ったのは、安倍元首相だ」とも言っていた。「私にはこういう国のビジョンがある、だから私たちに任せてもらって大丈夫だ。そして、そんな私たちに批判する人間は、要するに『国を愛していない人間』だ」という雰囲気を醸成するのがとても上手かった、というのだ。なるほど、確かにそう言われるとそうだなと思う。

事件を機に言論が封殺されてしまうこともマズいが、それ以上に、「権力を批判するのは悪」みたいな風潮が一層加速してしまうことがより危険なのではないかと指摘されていた。確かにそういう感覚は、僕の中にもある。

さて、そういう意味で、この『劇場版 センキョナンデス』という映画は、とても面白い立ち位置にあると思う。その点について、プチ鹿島(だったはず)がトークイベントの中で、「この映画は、私たち2人なりの『選挙の見方』の提示に過ぎない」と話していたのが印象的だった。

2人はとにかく、「ヒリヒリした現場を見たい」というだけで選挙戦をウォッチしにいく。もちろん2人とも、常に時事問題には関心を抱いているわけで、そういう意味でも「選挙」への興味はあったと思うが、少なくともこの映画で描かれている雰囲気で言えば、2人は「ただヒリヒリした現場を見たい」という動機だけで動いているように見える。

候補者や選対スタッフなどにかなり厳しく追及をしたりする場面もあるのだが、それもシンプルに「自分が知りたいから」という欲求で動いていることが伝わってくる。候補者におもねったり、誰かに何かを伝えたいみたいな感覚でもなく、純粋に「俺がこうしたいんだ!」というスタンスを貫いている。

そして、それが伝わることがこの映画の良さだと思う。

「権力の監視」とか「政権の批判」みたいな言葉を使うと、なんだか大きくて強いものに感じられるが、『劇場版 センキョナンデス』はとにかく、「『選挙』はお祭りなんだから、あなたが楽しめばいいんですよ」というメッセージをこれでもかと伝えてくれる。トークイベントではプチ鹿島が何度か、「私たちがやってることは、皆さんも同じことが出来ます」と言っていたが、確かにその通りだろう。別にダースレイダーとプチ鹿島だから出来たというわけではない。それが「選挙」に特殊さである。

トークイベントの中でダースレイダーが、「人を追及したりしていると、『お前はどうなんだ?』とネットで絡まれたりすることがある」と言っていた。要するに、「人に偉そうにあーだこーだ言ってるけど、お前はそんなこと言えるような立場の人間なのか?」みたいなツッコミをされることがあるというのだ。

この点についてダースレイダーは、非常に真っ当な意見を言っていた。

つまり、「政治家を含めた公人は、発言やお金の使い道がチェックされて当然だ。そして、選挙の候補者というのは、『そんな公人に自発的になりたいと思っている人たち』である。だったら、そういう人に思っていることをぶつけても問題ないはずだ」というわけだ。確かにその通りだろう。通りがかりの人を捕まえて詰問したらただのヤバい奴だが、選挙の候補者は、「私を国会に連れてって!」とお願いしている人たちなのだから、「公人に相応しいのか」を含め色々聞く権利がこちらにもあるはずという意見は、まあその通りだろう。

そしてだからこそ、彼ら2人がやっていることとまったく同じことを、日本中誰がやってもいいということになるわけだ。

実際にやるかどうかは別として、映画『劇場版 センキョナンデス』を観ることによって、「なるほど、こんな楽しみ方があるんだな」と感じるのではないかと思う。実際、この映画を観て、「選挙を『お祭り』的にウォッチするのは面白いかもなぁ」という感覚になった。実際に「楽しい」という感覚を得るまでに、多少の時間を費やす必要はあると思うが、なかなか可能性を感じるのではないかと思う。もちろん、「断れないことをいいことに、女性候補者に近づいて無茶を言うオジサン」みたいになってしまってはいけないので、節度を持つことは大事だが、有権者なのだからこれぐらいしてもいいんだよなぁ、という感覚を持てるだろうと思う。

映画は大雑把に前後半に分かれており、後半が先程説明した、去年の参議委員選挙である。では前半はというと、やはりそこに来るかと感じたあそこである。「香川1区」だ。

『なぜ君は総理大臣になれないのか』『香川1区』で知られるようになった選挙区が、香川県の「香川1区」である。『劇場版 センキョナンデス』のプロデューサーには、『なぜ君は総理大臣になれないのか』『香川1区』の大島新も加わっている。やはり「選挙」となると、皆がこの「香川1区」に吸い寄せられているように思う。

『なぜ君は総理大臣になれないのか』『香川1区』でメインで描かれるのは、立憲民主党の小川淳也だが、『劇場版 センキョナンデス』ではその対立候補である平井卓也に焦点が当たっている。そしてやはり、この映画の中でも、この「香川1区」に関わる話はとても面白い。

プチ鹿島は、新聞14紙を読んでいることで知られているが、ある時から四国新聞も購読するようになったそうだ。平井卓也がデジタル庁の大臣になった辺りからだろうか。四国新聞に関する記事を書くというのは、プチ鹿島のライフワークにもなっているようだ。

なぜ四国新聞なのか。それは、平井卓也の一族が、四国新聞社を含めた香川のメディアを牛耳る存在だからだ。プチ鹿島は、四国新聞紙上で、平井卓也が持ち上げられ、対立候補である小川淳也が貶められているように感じられる記事を多数取り上げ、ネットでバズっているというわけだ。

彼らは、「支援者の熱気が籠もる選挙戦を展開する小川淳也」「クローズドな集会と、動員の少ない”パレード”の平井卓也」の選挙戦をウォッチし、平井卓也の選挙事務所とちょっと揉めたりしながら、投開票日を迎えるのだが、実はこの「香川1区」に絡んでは、選挙後にハイライトがあったと言っていいだろう。

小川淳也の選挙事務所で、ダースレイダーとプチ鹿島は、四国新聞社の記者を追い回していた。プチ鹿島には、どうしても聞きたいことがあったからだ。

小川淳也は、「香川1区」から立候補しようとする別の候補者に「出ないでくれ」と言ったという話で批判を浴びることになった。その辺りの経緯は、映画『香川1区』でも描かれていた。さて、四国新聞社はこの出来事を何度も紙上で扱うのだが、かなりの批判記事であるにも拘わらず、小川淳也には一切取材をせず、コメントも求めていないのだ。

プチ鹿島は、この取材姿勢を「新聞社としてあり得ない」と憤っていた。どんな記事を書くにせよ、相手の意見を取るべきだろう、と。そこで、この疑問を四国新聞社の記者にぶつけたのだが、彼は「今ここでは答えられない」と返答する。そこでプチ鹿島が、「では、明日四国新聞社に行って回答をもらってもいいですか?」と食い下がり、選挙翌日に2人は四国新聞社へと乗り込むことになったのだ。

そこで改めて、「読者の感想として、『記者が取材なしで記事を書くこと』の是非を知りたい」と聞くが、対応した広報だという人物は、「私では答えられないので、質問をFAXで送ってほしい」と口にする。プチ鹿島は、皮肉的に「もっとデジタル的にやれませんか?」と聞くが、とにかくFAXを送ることになった。

彼らはコンビニからFAXを送り、回答期限を3日後の11月4日18時に設定した。回答が返ってきたのは、11月4日17:59。どんな回答だったのかは、是非映画を観てほしい。

僕はどうにも、政治家や選挙戦で使われる「言葉」がすこぶる嘘くさく聞こえるのが苦手で、政治とか選挙とかにどうにも前のめりになれない。政治家なんて、本来的には「言葉だけが武器」のはずなのだけど、その「言葉」があまりにも稚拙すぎる人が多くて、げんなりしてしまうのだ。

しかし、映画の中で映し出されたいくつかの演説を観て、「やっぱり、上手い人は上手い」と感じた。ダースレイダーとプチ鹿島も絶賛していたけど、菅直人の奥さんの菅伸子はとても上手かったし、辻元清美も上手いなと思った。あと、松川るいは、友達にはなりたくないなと思ったけど、有能さはメチャクチャ伝わってきたし、こういう人がちゃんと政治の中心にいたらいいんじゃない、と思ったりした。

ダースレイダーとプチ鹿島は、さすがに「言葉」が絶妙で、だからこそのこの映画の面白さでもあるなと感じる。

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