【映画】「なぜ君は総理大臣になれないのか」感想・レビュー・解説

面白かった!

ただ、先に書いておくと、僕としては「香川1区」の方が面白かった。でもこれは、純粋な作品の面白さとは関係ない。単純に、観た順番だと思う。僕は、小川淳也のことをほぼ知らないまま、まず「香川1区」を観た。それから、今日ようやく「なぜ君は~」を観たのだ。順番が逆だったら、「なぜ君は~」の方をより面白いと感じたかもしれない。

そう思う理由は、小川淳也が良い意味で全然変わらないからだ。

小川淳也は、民進党から希望の党へと所属する党を変えたことで、批判も多く受けることになった。そんな中で行われた選挙のポスターには、「小川淳也は変わりません」と大きく書かれ、小川淳也自身も「党は変わっても私は変わらない」と言っていた。

確かにその通り、と感じた。

選挙事務所開きの日の演説で、小川淳也は、

【まっさらな、14年前変わらない初心が私の中に息づいています。

今も脈打っています。】

と言っていた。ホントにそうだな、と思う。

彼の父親は、突然代議士になると言って選挙運動を始めた息子について、

【あいつが言っていることは、32年間見てきた私の感覚では、本当のことだと思いますよ。ただ、もしその初心を忘れて、全然違う方に進んでいたら、先頭に立って引きずり下ろすと、本人にも伝えています。】

みたいな言い方をしていた。まだ息子を引きずり下ろしていないということは、父親の目から見ても、息子は変わっていないということなのだろう。

そんなわけで、「香川1区」の感想で書いたようなことは繰り返さないことにする。興味があれば是非「香川1区」の記事を読んでほしい。

映画の中で、監督が小川淳也に向ける問いがある。小川淳也自身に直接問いかけないものもあるが、監督が小川淳也を追い続けている根底の動機に関わるものだと僕は思う。

それは、

◯小川淳也は総理大臣になりたいのか?

◯小川淳也は政治家に向いているのか?

の2点に集約されると言っていいだろう。映画では様々なことが描かれるが、カメラを向ける側には常にこの2点の問いがあるように感じられる。

「総理大臣になりたいのか」という問いを直接小川淳也自身にぶつける場面は2度あったと思う。1度目は、民主党が政権交代をし、小川淳也が小選挙区で初当選したその前後のことだったと思う。監督曰く、

【あとから振り返れば、この頃が一番輝いていた】

と言うほど、それ以降小川淳也は苦難の政治家人生を歩むことになるのだが、とにかくこの時期は、小川淳也も希望や可能性に満ちあふれていた。

そこで彼は、こう返答する。

【もちろんやるからには志は高く持っています。

やるからには、自分で舵取りしていきたい。】

32歳で初めて選挙に出た際、彼はチラシに、「ダラダラと政治家をやるつもりはない。20年間汗を流し、50歳で辞める」と書いた。後に彼はこの言葉を十字架のように重荷になっていると言っているが、当初は、40代で大きな仕事をして政界を去る予定だったし、となればそれは、「40代で総理大臣になる」という宣言と同等だったと考えていいだろう。

しかし、色々あって小川淳也の政治家人生は、「すべてが苦しい方に転がっていく」というような状況になる。

さて、2度目に問われたのは、2020年春に新型コロナが世界中で蔓延している最中の5月のこと。これが、映画のラストシーンだった。

政治家として様々な艱難辛苦を経験した小川淳也は、

【一言「イエス」と言えばいいだけなんだけど】

と前置きした上で、自身の悩ましい心情について語る。もちろん、総理大臣にという思いは強く持っているが、花が咲かないどころか蕾も開かないような日々が続いている。しかも、単純な時代ならともかく、ポストコロナを考えれば、「初めての型式のリーダー」にならざるを得ない。であれば、通常よりももっと自分を捨てなければ、そんな役割を全うできないだろうという気持ちもある。考えれば考えるほど、怯む自分がいる。

しかしそれでも、

【最終的にその答えが「ノー」なら、今日辞表を出しますよ。「イエス」だから、まだ踏ん張れてます。

そういう気持ちです。】

と言っていた。

「香川1区」の感想でも触れたが、小川淳也はとにかく「それが本心であると伝わる話し方」が出来る凄さがある。これは「政治家にしては凄い」という話ではなく、普通なかなか難しいものだ。たとえそれが本心だとしても、特に理想や希望を含んだ言説は、本心であるように受け取られることは少ない。「本心であるかどうか」と「本当っぽく聞こえるかどうか」はまったく別物だと僕は思っていて、小川淳也はとにかく「本当っぽく聞こえさせる能力」が異常に高い。「香川1区」でもそう感じたが、2003年から密着を続けている「なぜ君は~」でもその印象は変わらない。小川淳也の天性のものだろう。

例えばそれは、希望の党へと鞍替えしたことで不信感を抱いた支持者への説明の場でも発揮される。支持者たちが小川淳也に直接不信感を訴え、それを受け止めた上で、小川淳也はどのように考えて決断に至ったのかを適切な言葉で説明する。その場にいた人が納得したかどうかは僕には分からないが、僕にはとても「本当っぽく」聞こえた。

その要因をもう少し分析してみたいと思う。

例えば小川淳也は、不信感を示された説明会の場で、「すみません」という言葉をたぶん使っていない。正直、「謝ってしまう方が楽」みたいな場面は、世の中に多々あると思う。しかし小川淳也はそうはしない。何故なら、彼自身は希望の党入りを、悩みに悩んだ末ではあるが、間違った決断だとは思っていないからだ。唯一の正解だとも思ってもいないわけだが、少なくとも不正解だとも思っていない。だから彼は謝らない。

そしてそのことによって、彼が「すみません」「申し訳ない」と口にする場面の重みが変わってくる。「この人は今、本当に申し訳ないと感じているのだ」ということがスッと伝わるのだ。このようなことを、頭で考えてやっているのか、自然と出来ているのかよく分からないが、なんとなく、自然とそうなるのではないかという気がする。

それこそが、小川淳也の誠実さだと感じるのだ。

さて、話が大分脱線したが、「総理大臣になりたいか?」への2度目の回答の話だった。この時の彼の言葉も、とても「本当っぽく」聞こえる。それは、「質問されたから、今答えを考えている」という雰囲気をまったく感じさせないという側面もあるだろう。彼は、常に考えている。常に考えていて、しかしそれでもあまりにも悩ましいことだからこそ答えに逡巡する。そういう雰囲気がちゃんと伝わるからこそ、言葉が上滑りしないし、「本当の気持ちを話しているんだな」という感覚として受け取ることができる。

監督が小川淳也の取材を始めたきっかけは、非常に些細なものだった。監督の妻が小川淳也と同級生であり、そんな同級生が家族の反対を押し切って政治家になろうとしている、という話を妻から聞いたからだ。当初は興味本位で会いに言ったが、やがて、

【負けた側を思いやるバランス感覚と、世の中を変えたいという熱い想い】

に惹かれてちゃんと興味を持つようになり、発表のあてもないまま年に数回顔を合わせる関係になり、この「なぜ君は~」が完成した、ということであるようだ。

僕は映像で観ているだけだが、それでも、画面越しに小川淳也の「情熱」「誠実さ」みたいなものは伝わってくる。直接接すればなおさらだろう。

小川淳也に本格的に密着する前の段階で、監督が「印象に残った言葉」として紹介していたのが「51対49」の話だ。これは「香川1区」でも出てくるもので、僕としても非常に印象的だった。

【何事も0か100で受け取られる。しかし実際にはそうではなく、何事も51対49なんです。ただそれは、出てくる結果としては0か100かに見えてしまう。だから私は、勝った51が負けた49をどれだけ背負えるかが大事だと思ってるんです。今は違いますよね、今は勝った51が51のために政治をしているんです。】

やはり初志貫徹と言っていいだろう、まさに「香川1区」でも同じことを言っており、初心のブレていなさを実感した。

まさにこのような人間が政治家となり、国を動かしていくべきではないかと感じるが、現実はなかなか難しい。そこで、監督が抱く2つ目の問いである「小川淳也は政治家に向いているのか?」に話を移そう。

監督が小川淳也にこの問いを直接ぶつけるのは、1度だったはずだ。それは、希望の党を離島し、無所属を経て立憲民主党に合流した辺りのことだと思う。

「政治家に向いていないかもしれないという感覚はあるか?」と問われた小川淳也は、「なくはない」と答えた上でさらにこう言う。

【偉くなりたいだとか、権力を持ちたいだとか、栄華を誇りたいだとか、そういう突き上げてくるような欲望が私は薄い。

そしてそれは、政治家としては致命的だと思うんです。】

確かに、小川淳也という人を見ているとそう感じる。彼は真剣に「未来の日本」を案じ、「持続可能な社会」をいかに作るかに頭を悩ませている。政策立案に強く関心を持つ政治家だ。

一方、彼自身はっきり言っていたが、「党利党益には関心が持てない」そうだ。しかし実際には、党の役に立つ、貢献することをしなければ、党内での出世が叶わない。必然的に発言力もなくなるというわけだ。また、小選挙区で勝つことを常に目標にしながら比例復活を繰り返していた小川淳也は、そもそも党内での発言力が弱い。どうしても、小選挙区で勝った人間の方が党内力学として強くなるからだ。

【今の政治は、安倍さんが長期政権の維持だけを目的としていて、野党はスキャンダルで叩く。そんな議論しかしないという状況が一世風靡しているわけじゃないですか。本当は、高齢化とか人口減少とかに対策を考えないといけないんですけど、私がそういう主張をしても存在感はないですよね。

本当の本当は必要とされていると思うんですよ、こういう話も、奥底では。でも、日の目を見ないですよね。】

彼の両親は、「親族は誰も、息子に代議士を続けてほしいなんて思ってない」と言っていた。本人がやりたいと言っている内は応援も協力もするけど、辞めたければスパッと辞めて戻ってきなさい、と。母親は、

【世間があの子を必要としてないなら、早く私のところへ返してください】

と、印象的な言い方で息子の不遇を嘆いていた。

それでも小川淳也は、政治家の道を諦めない。

2003年に監督が初めて小川淳也に会いに行った際、事前に送っていた企画書の「政治家になりたい」という文言に違和感を示していた。

【正直な話、私は「政治家になりたい」と思ったことはないんですよ。「ならなきゃ」「やらなきゃ」そういう気持ちが根っこにはあります。】

そんな風に言っていた。彼は、「自分たちが選んだ政治家を笑っているようでは日本は絶対に変わらない」と熱く語る。

小川淳也が総務省の官僚だったと知っていた監督は、「官僚として出世するのではダメなのか?」と問うが、彼はそれにも明解に答えていた。要約すると、以下のようになる。

大臣は確かにトップだが、現状では実権のない名誉会長のようなもの。省庁のトップは事務次官であり、さらにそんな事務次官よりもOBの方が偉い。役所は「惰性と慣性の理屈」でしか動いておらず、昨日したことを今日も、そして今日やったことを明日もやるという力学で動いている。そしてそんな省庁を変えようと思ったら、今はお飾りでしかない大臣が権限を発動できるような仕組みにならなければいけない。それは、政治家にならないと実現できないんだ、と。

まさに、市民の目線からすれば、彼のような人間こそ政治家になるべきだと感じる。しかし、監督も家族も、そして本人も、「政治家には向いていないかもしれない」と考えている。

小川淳也は、小池百合子に翻弄された一連のゴタゴタの最中、監督と話している中でこんなことを言っていた。

【政治家に必要なものって、「誠実さ」とか「人徳」「一本の筋」みたいな、教科書的な答えが色々あるわけじゃないですか。でも細野(豪志)さんとか小池さんを見てると、必要なのは「したたかさ」だけなんだろうか、と感じてしまう無力感みたいなものはありますよね】

小川淳也にはしたたかさはない。彼自身もそれを認めている。田崎史郎から、「今さら手練手管でどうにかしようとしてもできないでしょ?」と言われ、「自分にはその意欲も才能もない」とはっきり答えていた。

なかなか政治家として厳しいのだろう。

ただ、彼の父親がこんなことを言っていたのが興味深かった。

【これからは、政治家が本当のことを言って、未来はもの凄く大変ですと土下座しててでも「お願いします」と言えるような政治家が出てこないことには、この国は終わりだと思ってるんですよ。

で、それができるのは淳也だけなんじゃないか、と思うことがあります。

万分の一の可能性もない、針に糸を通すような話ですけど、それでも、できるとしたら息子ぐらいなんじゃないか、と】

小川淳也自身も、民主党が政権を取り、東京にも仲間が出来始めた頃のパーティーか何かの場で、こんな熱弁を奮っていた。

【これからの政治家は、果実を分配することから、負担や負荷を国民の皆さんにお願いに回るような、そんな仕事に変えていかなければならないと思っているんですよ】 

本当にその通りだと思う。聞こえの良いことを言う人は、政治家に限らずたくさんいるが、どう考えたって、未来の日本が明るいはずがない。だから、「現実はこうです、みなさんすみませんが全員でちょっとずつ痛みを分け合いましょう」と言えるかどうかが重要であり、そんな言葉を「本心」に聞こえるように訴えられるのは、小川淳也ぐらいしかいないように思う。

トランプ政権の誕生を背景に、小川淳也がこんな風に語る場面がある。

【自分たちが置かれているこの状況はなんなんだ、と感じている人たちが、恐らく事実に基づかないであろう、情動的な答えにすがりつこうとする。

「この不安の正体は何だ?」という疑問に、簡便な答えをくれる人に飛びつく。

そういうことが日本でも起こると考えています。】

本当にその通りだと思う。聞こえの良い言葉は、一時的に不安を紛らわせてくれるかもしれないし、将来的な問題を直視せずに済むかもしれないが、しかしそれではなんの解決にもならない。そんな政治でいいのかと、小川淳也は突きつける。

そういえば、小川淳也の妻が、まだ幼い娘を祖母に預けて夫の選挙運動を手伝っている場面で、こんな風に語っていた。

【子どもたちの未来のためと思って、その1点だけでなんとか自分を納得させてます。ただ、未来も大事だけど、今も大事でしょう?】

しかしそう言いながらも、妻はずっと献身的に夫を支え続けている。「こんなに大変だと知ってたら、もっと躊躇してたと思うけど」と言いながら。

17年も密着し続けているので、撮影期間中に、幼かった娘たちも成人した。小さい頃は、父親が政治家であることで嫌なこともたくさんあったそうだ。小学校の前に父親のポスターが貼られることになり、母親に泣いて訴えたこともあるそうだ。監督から「子どもの頃は選挙運動に参加することに抵抗があるって言ってたよね?」みたいに水を向けられると、「抵抗してる場合じゃない。どうしても勝ちたいし」と、彼女たちも熱心に父親に協力する。「娘です。」と書かれたたすきを掛け、父親と共に自転車に乗って市内を回り、雨の中受け取ってもらえないチラシを配る。

両親は、

【普通の家の子どもが政治家になるような社会は凄くいいと思うんです。でも、それが自分の息子だと思うと複雑ですね】

と素直な心情を語っていた。小川淳也もそうだが、その家族も含め、皆思っていることを正直に言うところがあって、それもまた、小川淳也陣営の良さであるように感じた。

背水の陣で臨んだ選挙は、「79383票対81566票」という僅差で惜敗した。彼は「たらればだけど」と付け加えた上で、無所属だったら、あるいは台風ではなかったら、と「if」の世界を考えていた。

最後に。小川淳也の応援に駆けつけた、慶應義塾大学教授の井手英策のスピーチがもの凄く良かった。この場面は、ちょっと泣きそうになってしまった。制作ブレーンとして色んなところから声が掛かったが、すべて断り、今自分は友人として小川淳也の応援に来ている。政治には絶対に関わらないでくれと念押しした母も、きっと喜んでくれるはず。そのようなことを言った後で、「小川淳也の顔を見て下さい」と声を張り上げ、「あんな悲壮感の漂う顔は、私が知っている小川淳也の顔ではない」と熱弁を振るうわけです。非常に素晴らしいスピーチだったと思う。

良い映画でした。「香川1区」と併せて是非観てほしいと思います。



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