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映画『市子』を観た。

慎ましくも、幸せを噛みしめながら食卓を囲む2人。その日、男は婚姻届を取り出してプロポーズした。恋人は、顔をくしゃくしゃにしながら涙を流す。

冒頭のこのシーンは終盤にも登場するのだが、同じ映像なのにまったく違う意味になっていた。

長谷川(若葉竜也さん)は、付き合って3年になる恋人・市子(杉咲花さん)と暮らしている。ある夜、仕事から帰って来た彼は、意を決して市子にプロポーズする。幸せな空気に包まれた食卓。だが翌日、彼が仕事から帰ってくると彼女は消えていた。部屋には、市子が慌てていて持ち出せなかったボストンバックと、翌日の花火大会のためにと長谷川がプロポーズの際に手渡した浴衣が残されていた。

映画『市子』の冒頭シーン

ここまでで、私たちは市子が何か過ちを犯して、逃亡人生を送っているのだと想像するのだが、そんな生半可なものではなかった。ネグレクト、離婚後300日問題など、さまざまな社会問題をはらんだ市子の人生。思いもよらぬ恋人の失踪に途方に暮れながら、長谷川は刑事の後藤(宇野祥平さん)からの情報と自らの足で、少しずつ市子の過去を知ることになる。

この映画、まずもって杉咲花ちゃんに圧倒される。某CMの子!と思っていた頃が懐かしい。花ちゃんに私が初めて圧倒されたのは、映画『湯を沸かすほどの熱い愛』で主人公の娘・安澄を演じたとき。学校でいじめられている安澄が、同級生たちに自分の意思をぶちまけるシーンは鮮烈で、「この小柄な彼女のどこにそんなパワーが!?」と、非常に驚いた記憶がある。その後、彼女はテレビドラマや朝ドラでますます活躍していく。

そんな杉咲さんが全身で演じた市子は、「社会の歪みに翻弄されたかわいそうな人」には括れない、複雑な気持ちにさせる役である。

自分を心から愛してくれ、共に生きようとした長谷川との暮らし。市子には安寧の幸せのはずだったが、「いつかその時が来るかもしれない」という覚悟を持ちながらのものでもあったのだろう。

男に依存して生きる母親を見て育った市子にとって、高校時代の恋人・田中や自分に思いを寄せていた北、そして長谷川の存在は、どんなものだったのか。少なくとも長谷川との関係には、自分なりの理想の幸せを求めていたように見える。この幸せがいつまでも続いてほしいと願っていたと思う。しかしそこに、市子が抗えない運命が立ちはだかる。ボストンバッグに残された写真が長谷川とのものではなく、家族写真だったのが切なかった。

市子が、雨の中でずぶぬれになって叫ぶシーンがある。

「最高や!」
「全部流れてしまえ!」

誰にでも秘密にしておきたい過去はある。洗い流してしまいたいものもある。

市子に次々と襲いかかる負の連鎖。あるシーンで発する母親の「ありがとうね」は、母子の極限状態を意味する。子どもは親を選べない。精神ギリギリの生活の果てに犯した罪。それはずっしりと市子にのしかかり、過去はどこまでも彼女を追いかけてくる。ただただ、普通に生きたいだけなのに。

最初は儚げに見えた杉咲さんの市子だが、次々に明かされていく彼女のこれまでには、したたかさも見えてくる。長谷川は市子の人生に向き合い、それでも彼女に会いたいと願う。物静かな男にも、戸惑い、哀しみ、慈しみといった感情の揺れ動きが見て取れる。さまざまな社会問題に起因した物語、救いのない展開なのだが、すべてを分かっても市子に会いたいという長谷川の思いだけは、いつか彼女に伝わってほしい。



ここから先はラストの解釈を含むので、鑑賞した人だけどうぞ。










市子が失踪後に頼ったのは、自分に思いを寄せていた北。彼は市子の共犯者とも言うべき存在で、北自身は「市子を救えるのは自分だけだ」と信じている。だが彼が思う「愛」は、私には「支配」に感じられた。彼さえいなれば、市子の犯した罪のひとつは知る者がいなくなる。

というわけで、あのラストは、市子が最初から北と冬子を2人同時に呼び出す計画だったと推測する。無戸籍の市子がただ普通に生きたくて、また罪を重ねる。特にラストの犯罪は、自ら計画してやったことである。そこまでしても、これまで自分のことを証明できなかった市子が、自身の存在にこだわったということだろうか。彼女は今もどこかで、過去に追われながらしたたかに生きている。私はそう思う。

罪を犯したとはいえ、もとを辿ればそれは法律のせいであり、母親のネグレクトであり、すべてを彼女が背負うことではなかった。市子はどこかの時点でやり直すことはできなかったのか。なかなか消化しきれない物語だった。

偶然、ドラマ『季節のない街』の第6話、7話を観た後にこの映画を鑑賞してしまい、しばらく気分が完全に落ちていた(苦笑)。しかもこの映画には、渡辺大知さんがひどいクズ男で登場しており、『季節の……』や大河ドラマとはまったく違う演技を見せていて、頭がパニック(褒めてる)。

また、後藤刑事を演じているのが宇野祥平さんだったので、若葉さんも少し出演している映画『罪の声』を思い出してしまった。この映画で宇野さんが演じていた生島総一郎の人生も壮絶で、市子と重なる部分がある。また観ようかな。

***

落ちていた気分は、ドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』の第6話で持ち直しました。さて、ここはひとつ、Dr.成増(野呂佳代ちゃん)とDr.星前(千葉雄大くん)の立ち位置で見守り、引き続き2人の素晴らしい演技を堪能したいと思います。



(でも、2人に失礼かもと思いながらも心では悶絶歓喜中)

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