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帰省のない夏、盆踊りの夜。


実家の集落では、毎年8月13日の夜、初盆の家の庭で盆踊りを奉納する。初盆の家が1軒でも5軒でも、13日のうちに全てまわって踊るのだ。

3年前、父の初盆でも集落の人たちに盆踊りで供養してもらった。その準備の話を私から聞いた友達は、目を丸くしていた。彼女に「それは普通じゃないよ」と言われて初めて、初盆の家での盆踊りが絶滅危惧種のような民俗芸能だと気づいた。


私が実家住まいの頃は、初盆の供養踊り以外にも公民館や町の行事で盆踊り、旧暦にあわせて各寺で盆踊り(お大師さまの踊り)……と、13日から20日頃まではどこかで盆踊りが奉納されており、いつも「どんだけ踊れば気が済むんじゃ!」と冗談のように思っていた。


初盆では、やぐら代わりの舞台を消防団が持って来てくれ、初盆の家はうちわ、舞台に立てる竹(孟宗竹はNG)、お神酒のほか、タオル、ビール、お茶などを用意する。この舞台で音頭取りとして太鼓を叩き、唄をうたうのが「口説き手」と呼ばれる人たち。生前の祖父も父も、口説き手として何十年と舞台に上がった。


私の田舎では、①レソ  ②ヤンソレサ  ③六調子 の3つを順番に踊る。今はわからないが、少なくとも自分が10代の頃までは、幼少期から運動会で披露するのが恒例だったため、まずもって踊れない人はいなかった。唄の意味はよくわからなかったけれど。

最後の六調子はテンポが速く盛り上がるため、踊り手も一番リズムにのって楽しめる。しかし大人になって隣町の六調子は全然テンポが違うことを知り、愕然とした。というか、口説きも踊りも地域で異なると知ったのは、相当なカルチャーショックだった。

実家の集落の六調子は、「ヨ(エ)ーイヤッサ ヨ(エ)イヤッサ! 用意(準備)はいいか~ ショイ ショイ!!」で始まるのだが、口説き手によっては、そこから場の雰囲気や参加の面々を見て、即興で替え歌にすることもあった。明治生まれの祖父は、アル中並みに酒飲みでハチャメチャに口うるさい人だったが、こういう場には欠かせなかったようで、誰かのこと(おそらく初盆の家の亡くなった方のこと)を勝手にうまく唄っては盆踊りを最高潮まで盛り上げる、なかなか粋な爺さまだった。今思えば、それに太鼓を合わせることができた近所のおじ様方も、かなりのツワモノだったと言える。

最後の六調子が終わると、集団で次の初盆の家へと移動してまた踊る。家で留守番組も、うっすらと集落に響く太鼓と唄を耳にして、「あ、次はあの家だな」と亡くなった人を思い浮かべる。そうして、踊りに参加した家人が戻ってくると、「今年は〇〇さんちのうちわが綺麗やなあ」と言いながら、初盆の家でもらったうちわとタオルを仏様に供える。毎年8月13日の夜は、そんな風に過ごすのだ。


当たり前だと思っていた風習は、どんどん消えていく。

父の初盆で集落の人たちに踊ってもらってから、風習や唄の意味をもっと子どもの頃に教えてもらえばよかったと後悔した。その供養踊りの光景が、やけに心に響いたから。20年近く踊っていないのに、踊りの輪に入ったら全部踊れる自分がいて、「ルーツに繋がるものとは、こんなにも根をはるものなのか」と驚いてしまったから。

自分の田舎には住みたくないと思いながら、その伝統や風習、自身のルーツにはどうしてこうも惹かれるのだろう。昔から、なんとなく何かに守られている感触があるからなのかもしれない。


3年前、初めて家紋を詳しく調べた。決して珍しくないと思っていた家紋が図鑑に載っておらず、盆提灯をつくる際に「これは珍しい家紋。一度も見たことがない」と業者の方に言われ、もっと知りたくなったのだ。しかし家紋はただのマークのようなものだとも聞いたことがあり、あまり深く調べることはできずじまい。デザインから、八幡様に関係する土地柄のものではないかという想像ぐらいしかできなかった。

昭和初頭までは家系図があったけれど、大火に遭って焼失。少しばかりの口伝でしか残っていないのが残念だ。

曾祖父母、祖母までは裏の高台に埋葬されており、その周辺には誰のものかわからない小さな墓石もたくさんあった。なかには倒れて埋もれてしまったものも。それを、30年以上前に父がコツコツと整備した。埋もれた墓石をきれいにすると、「寛永〇年」「享保〇年」といった元号を含む年、名前や年齢の文字が出てくることも多かった。「これはたぶん、〇〇さんの兄弟」「これは〇〇さんのじいちゃん」と、父はひとつひとつ教えてくれたけれど、子どもだったので「この下に骨が埋まっているのかな?」とトムソーヤやハックばりの興味の方が勝っていて全然覚えていない。今ならもっと人の魂を敬えると思うのだが、何しろ私は子どもだった。


今年の夏は、どこも盆踊りが中止になった。それどころか、帰省・墓参りもできなかった。この半年は親しんだ人の死も多かった。ご先祖様も、あの人もこの子も、みんな帰ってきていたのに、自分がそこにいない夏。遠い地で思い起こす、盆踊りの記憶と自身のルーツ。この先、もっと遠い存在になってしまうのだろうか。お彼岸には帰りたい。帰れないかな。ため息まじりに、見えないものと闘う憂いにじっと耐えている。

137盆踊りの夜


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