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私と仕事、どっちが大事なのよ!?

『赤い靴』という1948年の映画があるが、この映画はマーティン・スコセッシが少年期に観て大層気に入り、2009年にデジタル・リマスター版として劇場公開された。

マーティン・スコセッシと言えば『タクシードライバー』であり『レイジング・ブル』であり『キングコブコメディ』であり、『グッドフェローズ』であり『ウルフ・オブ・ウォールストリート』である。
スコセッシがいなければ『ジョーカー』は産まれていなかった(そういえば『ジョーカー2』はミュージカルになるんだってね)。
ちなみに、私はスコセッシ作品では『シャッターアイランド』は傑作だと信じている者の1人だが、ただ1人として賛同してくれた人はいない。

『赤い靴』は私も当時京都みなみ会館に観に行って、色が綺麗だなと思ったものである(安い感想)。

私はダンス漫画、バレエ漫画が好きなので(そういえば、押井守は山岸凉子の『アラベスク』が大好きで、アニメーション化の話も結構具体的に進んでいたとか)、バレエ映画も好きである。無論、踊れない。


バレエ映画の何が好きかというと、あの芸術的雰囲気が好きなのかもしれない。芸術的香気と言うべきか。
まぁ、大抵の人間は芸術的な雰囲気が好きなのであって、大半は芸術を理解していない。何故なら、芸術はアバンギャルドであり続けなければならないため、今この時点では理解できないのが普通だからである。芸術風、なものは要は古びた、既存の概念において共通として芸術的と判断されたもので構成されているため、有名な絵画彫刻映画小説音楽は全て化石であり、美術館はその墓場である。

『赤い靴』はアンデルセンの童話をモティーフとして製作されているようで、私は『赤い靴』は読んだことがなかったので反省しながら、それでも読まずにこの映画を観たが、まさにこの映画は『ダンス・マカブル』である。

ゴブリンの曲が聴こえる…

バレエと恋愛、どっちを取るんだよ!と問われて、ああ、仕事と恋愛、とか、ああいうどっちを選ぶか問題は最早人間の永久の宿題、永遠に試され続けることなのだろうなぁと思い、基本的にこういう物語において、仕事を愛し、芸術を愛している人間で恋人を取るヤツなど出てこない。

仕事と恋愛、どっちを取るんだよ!となる場合、その質問は基本的に恋愛を取らない人間に突きつけられることが多いからである。
人間、どっちも欲しいに決まっているが、心地よさが恋人を上回っているのならば、それは仕事か芸術を選ぶだろう。最終的に恋愛を選んでもそれは一時の気の迷いであり、いつかは「あの時ああしていたら……」という、再着火は確実であり、そこでまた揉めたりするのである。

仕事を取ろうが恋愛を取ろうが、別に好きにしてくれたらいいのだが、私はこのような話がしたいのではなく、ダンサーは美しいということを書きたいのである。
そもそも、生活をしていくこと、それは既に仕事なのである。

『赤い靴』のヒロインはモイラ・シアラーというバレエ・ダンサーが演じている。非常にキレイな方だが、若干メンヘラっぽい感じで、それが今作の主人公の感じと絶妙にマッチして、まさに御伽噺なダンス・マカブルの物語が幕を開けるのである。

まぁ、赤い靴は呪いである。死ぬまで踊り続ける呪い。それは、人の夢に似ているのではないか?誰もが赤い靴をなかなか脱げない。

死の舞踏といえば、イメージ的には暗黒舞踏的な感じを受けるが、勅使川原三郎の『夜の思想』がYou Tubeにアップされていて、それを毎晩観ている。(動画は消されたようです…)まことに人間離れした動きだなぁ、格好いいなぁと思い、そうだ真似してみようと思い立ち、真似をしたら足首を痛めそうになり、その上コロナのせいで満身創痍である。

勅使河原三郎氏の本で欲しいのがあって、それは『月は水銀』というなんともカッコいいタイトルで、やはり言語センス、言葉の組み方、というのは文章作法において一番力点を置くところであるなぁという思いを抱いた次第。
文学と舞踏の融合が成されていて、素晴らしい。

服からガラス飛び出てるのといい金髪といいかっこいい。永遠少年。


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