【短歌エッセイ】過ぎ行く夏の思い出
1995年の7月、私は持病で入院していた。4月末から8月中旬までの約3ヶ月半の入院。
たいして重病ではなく、常にベッドでの安静を要するような入院生活ではなかったので、普通に日常生活を送りながら、自分の分と同室患者の分の花の水を換えたり、読書をしたり、短歌を作るような創作活動をして過ごしていた。
病院の外には大きな木が植えられていて、窓からそれを眺めて過ごすこともあった。
ある時、青空を背に、大きな木から伸びる太い枝ごと、細い枝々や葉が大きく揺れているのが見えた。
入院患者が過ごしやすいように夏でも涼しくエアコンで室温を調整された室内。外気も音も届かない、そんな室内は、外と隔絶された世界でもある。
隔てられた世界の内側から眺める枝葉の動きに、外では風が吹いているのだと気づかされながら、私は静の中の動を味わっていた。
音もなく 揺らぐ大樹に 風ありと
冷房効きし 病室より見る
2019年の7月のこと、当時私は家から15分程歩いた最寄りバス停よりバスに乗って通勤していた。
途中の横断歩道には、目立つ蛍光色のベストを着て黄色い旗を持った地域の保護者らしき人が毎朝交代で立ち、児童達が安全に横断歩道を渡れるように声をかけサポートする、見守り当番をしていた。
見守り当番の人は、その場を通る児童ではない通勤通学者にも笑顔で挨拶してくれ、朝から爽やかな気持ちになったものだ。
ところがある日突然に、その見守り当番の人を見かけなくなった。
どうしたのだろう、と不思議に思った私は、歩道に児童達の姿がないことに気づき、そういうことか、と理解した。
子供のいない私の家庭にとっては普段と変わりのない平日だが、児童達には夏休みが始まっていたのだった。
通勤時 児童の見守り 当番の
姿見えずに 知る夏休み
耳障りなプーンという甲高い音と共に飛び回っていたかと思うと、体に止まり音もなく吸血するもの。
それが、夏の風物詩的な蚊だ。
腕に来し 蚊を狙い打つ 音立てて
痛み伴う 爽快さかな
体に止まっていた蚊を、バチーンと叩き殺した時は、叩いた自分の手や叩かれた体も痛いが、それでも、仕留めた! という爽快さはある。
上記の短歌は2001年8月の作だが、そう言えば最近はあまり蚊に遭遇していない気がする。
どういうことかと思って調べてみると、蚊が活発に活動する温度は20~30℃くらいらしく、猛暑続きの近年においては遭遇頻度が減る傾向にあるようだ。
そういうこともあり、最近はバチーンと叩くこともまれになっているが、この短歌を作った時より23年経った現在の私には、俊敏さが衰え、見事ヒットするより蚊に逃げられて自分だけが痛い目に遭いそうな気がしてならない。
以前エアコンは、使わずに済む時は使わないよう気にかけていた。
電気代のこともあるが、室外機から発生する熱風が外気温を高めることを気にしたからだ。
室内にいるとわからないが、外に出ると室外機から熱風が出ていることに気づく。
この熱風が外気温を高め、気球温暖化を加速させることを危惧したのだ。
だから、夜は就眠後に電源が切れるようにセットしていたし、日中も時々切りながらエアコンを使っていた。
室外に 冷気吐き出す エアコンが
あるなら更に 使うだろうに
上記は、そんな中で作った2019年8月の短歌だ。
冷房としては、冷気を吸い込み暖気を吐き出す仕組みであるエアコンの構造上、無茶な要求ではあるが、それが素直な気持ちだった。
ところで、最近のことだが、睡眠には夜も一晩中エアコンはつけたままの方が良いということを知った。
寝苦しさで目覚めてしまう中途覚醒をなくし、しっかり眠ることで疲れが残るのを防ぐというわけだ。
それで私は、夜間途中でエアコンが切れるようにするのはやめた。健康であるために睡眠は大事だからだ。
今でも、室外機からの熱風は気になる。
とは言え、連日熱中症警戒アラートが発令され、命に関わる危険な暑さに不要不急の外出を控えるよう呼びかけられるこの頃において、エアコンは必需品であり、使わずにいることは不可能だ。
室内でもできる暑さ対策をしながら、設定温度を下げ過ぎず、扇風機を併用しながら、今後も適切にエアコンを使って行こうと思っている。
そして、体温を超えるようなこの酷暑が少しでも収まることを祈りつつ、いつかどこかの企業が熱風を出さないエアコンの室外機を開発してくれることを願っているのだ。
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