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#172日々是=^_^=日 お米屋さんだった母の実家~祖父のこと

新米の収穫、流通により、スーパーにお米が売っていない問題は、解決したのだろうか。

我が家は先日買ってきたお米が、まだ十分にあるので、解決したかどうかよくわかっていない。

図らずも、お米が手に入った話はコチラ↓↓↓

お米がないということで思い出したのが、母の実家がお米屋さんだったということ。
千葉で購入したときのお米屋さんの精米機はコンパクトで、今は、精米機もコンパクトになっているのだと思う。
私の記憶にある母の実家にあったものは、天井まで届くような大きなものだったイメージがある。

祖父は、その大きな精米機を動かして仕事をしていた。

私は、祖母の話す様子は覚えているのだが、祖父の話す様子や話し声は全く覚えていない。
いつも黙々と仕事をしている感じの人だった。

暮れになると、大量のお餅をついて、のし餅や鏡餅を作っていた。
どのような手順で作っていたのかは記憶にないが、祖父の手にかかると、ベタベタのはずのお餅が、あっという間に平らになって、のし餅になった。
クルクルと丸めて、鏡餅になった。

私たちはそれらを、毎年もらって帰った。
のし餅は、少し固くなったところで、母が、正月の焼き餅用に、四角く切っていた。
柔らかすぎても切りにくいし、固くなりすぎても切れない。
そのタイミングが難しくて、母は毎年結構苦労して切っていた記憶がある。

手作りの鏡餅には、カビが生える。
鏡開きのときは、カビの生えた鏡餅のカビを包丁などでそぎ落とし、本当に金槌でたたいて割っていた。
15日には、大きめのかけらを焼いて、お汁粉にした。
残った小さめのお餅は、からからに乾かして、油で揚げ、あげ餅にした。
このあげ餅は、香ばしくて、毎年の楽しみだった。


ある年のこと、祖父は、のし餅を作るときに、大失敗した。
平らにのばす前に、台にベタベタにくっついてしまったのだ。
祖父は、相当年を取っていて、もう限界だったのだと思う。
それ以降、祖父がのし餅や鏡餅を作ることはなくなった。

母のきょうだいは7人いるが、長男は、自動車教習所の先生になっていて、お米屋さんを継がなかった。
その下の6人の女子たちも、みんな実家を出ていて、誰も後を継がなかった。

祖父は作らなくなってから、だんだん元気がなくなり、寝たきりになり、90歳を越えて眠るように亡くなった。

自分の得意だったことができなくなる。
自信喪失は、生きる意欲も低下させてしまうのかもしれない。

「お米」から思い出した、祖父の話でした=^_^=


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