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桜木紫乃さんの『蛇行する月』を読んで、なぜか音信不通になった高校時代の友人を思い出してしまった
『東京に逃げることにしたの』
釧路の高校を卒業してすぐに和菓子屋に勤めた順子は
20歳以上も年上のその店の跡取り婿養子の和菓子職人と駆け落ちする。
順子のお腹には彼との子供が宿っていた・・・
駆け落ちして東京に移り住んだ順子は、高校生時代の図書部の仲良しメンバーに、
年賀状や手紙や電話で
『親子3人の生活は決して楽ではないが、貧しくても
とても毎日が幸せだ』と伝えてくる・・・
それを聞いた順子のかつての友人たちは、無鉄砲な順子の人生に戸惑いや驚き、複雑な感情を抱きながらも
北海道の釧路で自分自身の直面している苦悩、孤独感や焦りを感じていた。
『私の描いている幸せって、いったいなんなんだろう?』
彼女たちは本当の幸せの意味を順子の生き方を通して考えさせられる。
清美、桃子、弥生、美菜恵、静江、直子
順子に関わる6人の女たちも、また、北海道の釧路で生活を営みながら、それぞれが様々な人生の岐路に立っていた・・・
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この小説を読みながら、なぜか私は高校を卒業してから連絡が取れなくなったM子のことが頭に浮かんだ。
M子と私の出会いは高校2年生の時、
同じクラスメイトでなんとなく気が合う6人グループの一人だった。
仲良し6人グループの中でも
特にその頃流行った同じドラマに夢中だったM子と私の距離はどんどん近くなっていき、自転車で40分以上かかるお互いの家にも遊びに行く間柄になっていった。
看護師になるのが夢のM子と文系の私の進路が違ったことで、高校3年生のクラスでは理系と文系でクラスは別れたけれど、卒業まで6人グループの私たちは仲良し関係が続いた。
卒業旅行にも6人で岡山の倉敷に一緒に行った。
高校時代は毎日のように会い、おしゃべりしたり、
一緒の時間を過ごしていても、卒業してからは、新しい環境に慣れることに必死だった私たち。
卒業後にバタバタと毎日忙しい生活を送っているうちに
自然と仲間たちとの連絡が途絶えていったのも、40年以上も前のことなので、今のようにスマホもSNSもない時代なら特に珍しいことでもなかったのかもしれない。
大学、短大、専門学校と6人の進路も別々だった。
それぞれが別々の進路を進んでいき
みんながそれぞれ新しい人間関係や新しい生活の刺激を受けているうちに
時は流れて
誰からともなく連絡を取り合って再び会うようになったのは、成人式も終わり、社会人生活が落ち着き始めた
高校を卒業してから2、3年後くらいしてからだったと記憶している。
実家の電話で連絡がついた友人から徐々に会うようになって
お互いに連絡を回したりしながら
私を含めて5人は再会を果たせた。
M子を除いて・・・
6人グループの一人で学校は違うけれど、同じように看護学校に進んだ友達から
看護学校に進んだ当初は連絡がついていたM子と突然、全く連絡がつかなくなったと聞いたのも、5人が再会できた時だった。
M子の実家は引っ越しされたのか、電話も通じず、
それ以上は彼女の近況を知る手立てはなかった。
20代そこそこの私は自分の生活がまず最優先の年頃だったし
(恋愛や遊びや少し仕事も)
私は、M子もきっと新しい人生を頑張っているのだろうな、と思ったくらいでその頃はそんなに深くは考えなかった。
ところが
『蛇行する月』を読んでいくうちに高校卒業以来、音信不通になったM子のことが頭から離れなくなった。
M子は夢だった看護師になったのかな?
元気なのかな?
まだ関西に住んでいるのかな?
結婚したのかな?
と。
この小説を読むまで
私はM子のことを忘れていたのに
順子とM子が重なって仕方がないのはなぜなんだろう。
もしかしたら、順子のように何か人には打ち明けにくい理由でM子は連絡を自ら絶ったのだろうか?
それとも、私たちのことなど忘れるくらいに、とても充実した生活を送っていたのか?
40年以上も過ぎてしまった今、それを確かめることは
おそらくできないだろう (調べる術はあるのかもしれないが・・・)
『蛇行する月』では順子は駆け落ちした相手と東京の寂れた商店街のラーメン屋さんの二階で、慎ましい生活を送りながら、生まれてきた愛息子と親子3人でひっそりと暮らしていた。
それは同級生の友達から見てとても幸せとは程遠い生活に見えたけれども
順子はいつも『私は幸せ』となんの迷いもない表情で友達に言い切る。
決して強がりでも見栄を張っている様子でもなく・・・
一見、順子よりも良い境遇に思える同級生たちはそんな順子の笑顔が眩しく映ってしまうのだ。
順子に比べて私は本当に今、幸せなのだろうか?
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順子は息子が成人する頃に
末期癌に罹ってしまう。
側から見れば故郷を捨てて駆け落ちし、極貧生活のなか
苦労した挙句に癌にまで罹った順子は幸薄い とても苦労した女性に見える。
でも果たしてそうだったのか?
幸せの基準は、本来はひとりひとり違って当たり前なのに
他人と比べたり、世間の価値観で幸せの度合いを決めてしまうことはありがち。
人の幸せなんて他人が決めることではなくて自分が決めればいいのに・・・
そんな世間の価値観に囚われない順子は
自分の境遇を恨んだり、嘆いたり、投げやりになったりせずに日々を精一杯生きている。
「私は幸せ」だと顔を輝かせて友に言い続けながら。
そして6人の女たちもそんな順子の生き方を通して
自分の進む道を見つけていく・・・
心の底から『私は幸せだ』と人に堂々と言える順子が
なんだか子供のように無垢で
哀しいくらい純粋な人で
かわいい人だと私は思ってしまう。
そして、順子のそんな純粋なひたむきさを
高校時代の友だったM子に
私は無意識に感じていたのかもしれない。
高校時代の記憶や思い出はどんどん薄れていって
61歳になった私がかつて高校生だったなんて想像することさえ難しい。
まさかこの小説を読んだことで音信が途絶えたM子のことを思い出すなんてとても不思議な気分だ。
これからも、本を読んだり、映画を観たりして
昔の私の忘れていた大切な思い出の引き出しが、
ふと、開くことがあるかも。
それもご褒美として楽しみたい。
今日は読書感想というよりもただの私の雑記のようなものになりましたね。
ごめんなさい💦
私は初めて桜木紫乃さんの小説を読みましたが、
作者が答えを示唆するのではなく
読み手が感じたことを自分の中に落とし込めるような
読んでいて構えることなく、自然と静かに心に染みてくる作品でした。
桜木紫乃さんの書かれた小説をもっと読みたくなりました。
ていうか、すでにもう一冊読み始めています。( 笑)
最後までお付き合いくださってありがとうございます。
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