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幸せはなるものじゃなくて、訪れるもの。
幸せは訪れては去るものであって、獲得するものではない。どんな時でも主導権は幸せの方にある。
アイデンティティクライシス
前のノート書いたときに、自分がアイデンティティクライシスに陥っていたことに気づいた。
いつのまにかどこにも自分の役割がなくなっていた、それによって排除され、抑うつ的な気分が高まったんだろう。
なんらかの役割を得るためには何かをgiveし続けなくちゃダメであって、皆癒しだったり笑いだったり、モチベーションだったり労働だったりをgiveすることでコミュニティ内の役割を担ってきたんだろうな、役割を担っ
部屋に溜まった飲みかけのペットボトル
いつのまにかこんな季節になって受験生なのに全然勉強できてない自分にムカついてる。躁鬱とかトラウマとか抱えてるものいっぱいあるけど言い訳しても未来は変わんなくて、結局誰のせいにしたくてもできないこの現実にただため息と焦燥感だけが湧き上がってくる。世界は光り輝くように見えて、暗闇にいる自分とそれとを比べて厭になってしまう。
逃げていいんだよっていう人もいれば逃げちゃダメっていう人もいて。ケースバイケー
純粋理性批判、NHKのやつを読んだ
ずっと懐疑論との向き合い方に悩んでたので、NHKの純粋理性批判の簡易版(めっちゃ簡易版)みたいなの読んでみた。
単刀直入に感想言っちゃうと。
まじでカント生まれてきてくれてありがとう!ってくらい良かった。
本書いてくれた人にも感謝🥲。
めっちゃ感動した。
特に真理という概念を、主観の集合の中で共有できるもの、として定義し直すところに感動した。
今までは真理なんて人間は知り得ないし、存在しな
無限に続く懐疑と向き合おうと思った。
考えないで感じることによって、懐疑から逃れられると考えていたが、どうも腑に落ちず、自分の気持ちが救われることはなかった。
五巻に意識を集中させることによって一時的に懐疑から逃れる事ができたと感じていたが、
それすらも疑う自分がいることに気づき、ぞっとした。
懐疑は無限に続くらしく、終わりが見えない。
なので懐疑から逃れることは一旦諦めて、懐疑と向き合って共存する方法を探そうと思った。
考えすぎてつらいぜ、これからどう生きるん?
人間の思考能力には限りがあって、結局何もわからんのかもな、ってずっと前から思ってるんだけど。
我思う故に我あり的な、考えるってことに固執してる自分がいるんだよな。
結局思考には限りがあるから、
Don’t think, Feel!
の精神で生きたいなって思った。
哲学者として生きるんじゃなくて、
大いなる世界の鑑賞者として生きたいな。
考えることをやめて感じよう!!
ということで大いなる