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自己肯定感に世代は関係あるのか? ②

今日は教育をテーマに話します。
今回は教育従事者へ向けて書きます。

先進国自殺率がトップの日本。その主な理由が「学校問題」。15~39歳の各年代の死因の第1位は自殺がトップです。

韓国もひどいですね。。問題は家族、健康を抜いて学校問題が最多です。これ、義務教育従事者の方々はどんな見解を持っているんだろう。って思います。

こんなに便利になり、エンタメ過多の世界で、死を自ら選ぶ人が多い。じゃこれがなくならないのはなぜなのかと。
先日の世代のお話をしましたが、
「そりゃあ今の若年層は打たれ弱いので仕方ない」
なんて思う大人がいたとしたら、完全に待ったをかけますよこの記事で。
ちなみにコロナ影響は実家暮らしの扶養下にあるこの20才以下への直接的な影響は疑わしい。では何か。


1 好きな先生がいない。
2 好きな授業がない。
3 いじめにあう。

4 友達がいない。


こんなところでしょうか。。わかりませんよ。ただの想像です。
これのダブルの組み合わせもありえるし、トリプルの組み合わせもありえるし、場合によっては全部マークできる人もいるから早まるのでしょう。

はもう生徒にはどうしようもない。も友達ができにくい子も確かにいます。この中で一番問題なのは、だと思います。
この好きな授業がない。いじめにあう。この2つは教育従事側であり、社会側がなんとかする問題でしょう。

例えば、この4つの環境下で自己肯定感が高い人はおそらく少ないと思いますし、この4つが自己肯定感を高める手助けになるとも思えません。逆に自己肯定感があれば4つがなくても問題ないのかと言うとそんなことはない。ただ、自己肯定感は人を逆境下で強くいきぬける精神力になりますから、ないに越したことはないわけです。

では仮に好きな生徒も先生も授業もない子が、不当ないじめにあっていてその子に向かって「自己肯定感はつけた方がいい」なんてことを理由をつけて言うことの意味はゼロです。それもいじめを受けている環境で追い込まれている子なら尚更です。
じゃあ例えば、そんな子が本当にいたとします。この子が6〜12年間という行きたくもない義務教育に通わないといけない。土日を除いたとしても毎日です。もちろん行けば待っているのは、いじめです。好きな授業も人も頼れる大人もいない。この環境に放り込まれる最もらしい理由は大人が言う「将来性」「安定」「世間体」です。意味があるのかどうかも判断がつかない若い自我はルールや、クリシェに従うしかない。アホらしいと思っても抜けられない。中学からだとしても果てしない6年間。これって


我々大人が、当事者だとしたら6年間行きたいですか?


もし耐えることが勉強なのだとしたら、そんな学びななくていいわけです。

学校では、外れないように進むことの大切さ。はみ出さないことの大切さ、人と合わせることの大切さをいまだに教えながら、教育従事側では表向きは「個性を育てる」「多様性」なんてという大義をかかげてしまう。宣言と実際やっていることが噛み合っていないわけですね。

そもそも人と合わせることの大切さは徴兵制があった戦時中や、作ったら作っただけ物が売れたバブル期は意味があったのでしょう。命令を下せばロボットのように従う人間は製造できればいい国家も安泰。我慢していれば正社員でも安定はあった。じゃあ今はどうでしょう?
終身雇用制度が破綻。正社員でも簡単にリストラ。一部の職種を除けば学歴もよりも実務経験や能力を求められませんか? これはいわゆるその人にしか出せない個性的な能力であるかもしれませんし、人と同じことができる能力ではない。それはもうAiでいいわけです。
グダグダと言いましたが要約すると


時代に合わせた教育制度に変えなくていいのか?


好きな科目を思う存分選べる、学べるカリキュラムを作ってあげることが、学びの環境で重要なんじゃないのかと思いますね。

社会人スクールや大学のカリキュラムはある程度生徒側で選択の自由がありますが、義務教育にはその自由がない。まずそれが問題。それに加えて教えているものは将来何かの役に立たのかどうかわからないものだらけです。我々がせいぜい生活に使うのは算数のベーシック(数学ですらいるのだろうか)と最低限の国語レベルでしょう?その他は学びたい奴がそれぞれに興味次第でやればいい。あとは自由に学ばせる。学びが嫌いなら、遊ばれておけばいいじゃないですか。遊びから多くのを学びますから。子供からゲームやスマホを取り上げて教育に悪いなんて言う教師や親がいるとしたら、そもそも教育の意味をはきちがえているとしか思えないわけです。


子供というのは勝手に学ぶんですよ。
好きなものも勝手に見つけます。
教えるのでなく、見つけさせる支援をするだけでいいんですよ。


ロープレじゃないので、わざわざ持たせる武器やアイテムをプレイヤーが考えてあげる意味はないんですよ。これを履き違えていつまでの昭和イズムに浸って税金をもらっている教育従事者が多いから、もしかしたら自殺率が下がらないんじゃなかろうかと。特に若年層に対しては想像するわけですね。


今の義務教育を受けている学生って、私たちよりも授業やそもそも学校で学ぶことに対する意味を見出せていない人たちが多いんじゃないのかなって想像するんです。
今でしたら黒板に先生が書いてあることを模写する意味はないわけです。そんなもの手持ちのスマホで写メとった方が一発で記録できるし早い。しかも先生が教える知識ででさえ、黒板に書き終わる前にググった方が早いし場合によっては正確な情報が手に入るわけじゃないですか?
学校へ行く意味を見出せずにいる学生は以前よりも確実に増えてきていているのではないのでしょうか。


次回は「いじめ」について語ります。

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