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■古文単語で感染症■『枕草子』『栄花物語』に見る“世の中騒がし”とは。【現役ライターの古典授業06】

これを書いている今現在(2020年5月)、世界中で新型コロナウイルスで休校が続いています。

私の職場(高校)も例に漏れず、三月から断続的に休校が繰り返されている状態です。
息子(小学生)に至っては、登校日が何度か設けられてはいるものの、ほぼ2ヶ月以上の休校になっています。

この休校期間にあった、ほんのちょっとの授業期間の間に、私が教えている生徒たちに話した話題を残しておきたいと思います。

題して「感染症は古典に学べ!~コロナウイルス感染症対策Ver.~」。

※いつもの通り虚構を交えつつ、エセ関西弁にてお送りいたします。

■『枕草子』『栄花物語』に学ぶ!古典における感染症~コロナウイルス休校対策~

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みんな久しぶりやなぁ。元気やったか?

ははは。なんや元気そうやな笑 良かったわ。ほんま良かった。

みんな、こないだから休校続いてばっかりやけど、ぶっちゃけ、どう思うん?ラッキーって感じ?

(生徒、ザワザワ。)

うん?『家で勉強するより学校の方が勉強できる』か。そやなぁ。そういう人もおるよなぁ。

なに?『友達に会えないのが寂しい』うんうん。分かる。

『課題がいっぱい出されてむしろしんどい』笑。そら、しゃーないやんか。こんだけ休みあるんやさかい、先生方が『授業せえへん分の課題は出さなあかん!』て思うのも当然やろ。

まぁな。いろんな意見があると思う。
いろんな実感があると思うんや。

先生からひとつ言いたいのは、今みんなは、世界的かつ歴史的な出来事の、まさに渦中におるってことや。

世界史とか日本史の年表あるやんか。そこで「天明の大飢饉」とか「ペストの大流行」とか一行でさらっと書いてあるやろ。

それや。多分な、いや間違いなくな、この先の世界史で「2020年 コロナの大流行」って行が追加されるわ。

年表で言えばたった一行や。教科書にしても、せいぜい数行かもしれん。

でも分かると思うけど、そのたった一行の中にはな、その時代を生きた沢山の人たちの命があるんや。

「コロナの大流行」って、言葉にしたら軽いで。
でも、実際どうや? そんな軽いもんか?

感染者は370万人以上。
死者も26万人以上。

今こうやって話してる瞬間にも、世界のどこかで、誰かが苦しんで亡くなってるんや。
たとえ感染してなくてもな、外にも行けんかったり、友達と会えんかったり、家でひとりぼっちの時間を過ごさなあかん『現実』があるんや。
それは、その時代を生きた人の数だけ『現実』がある。

それは、みんなが勉強してる歴史も一緒なんや。

遠い昔の話、自分らには関係ない話やないで。
そこには、確実に、生きた人たちがいたんや。

例えばな、『枕草子』にもな、感染症の話題がほんのちょっとだけ書かれてるんや。知ってたか?

ちょっと紹介するな。

【原文】
胸つぶるるもの。競馬見る。元結よる。
親にまれ子にまれ、大方我が大事に思ふ人の「心地あし」など言ひて、例ならぬ気色なる。
まして、世の中騒がしなど聞こゆる折は、よろづおぼえず。
また、もの言はぬちごの泣き入りて、乳も飲まず、乳母のいだくにもやまで久しき。

ーー『枕草子』清少納言より

え?ここのどこに感染症の話が書いてるって?

あるやろ。「世の中騒がし」。

これ、「当時世の中を騒がせているもの」っちゅうことで、伝染病や疫病のことをさすんや。模試の題材の中でも、案外さらっと出てくることもあるからな、知っといて損はないで。

胸つぶるるもの」って何かわかるか?
まぁ、そのまま「胸がつぶれそうな思いがするもの」っちゅうことやな。ざっくり言うと「ドキドキハラハラするもの」。

「元結よる」は、こよりみたいな紐を作る作業のことらしいわ。髪の毛を束ねるときに使う紐やな。
「失敗したらどうしよう」とか思ったんかもしれんな。

「親にまれ子にまれ」は、「親であれ、子であれ」。「AにまれBにまれ(AであれBであれ)」って、続けて使うことが多い表現や。

あと受験に出るとしたら「例ならぬ心地」の部分やな。

「例ならぬ」の「ぬ」はなんや?品詞は?

そやな。まずは助動詞や。古文が苦手な人はすぐ「助動詞の『ぬ』、そうか、完了の『ぬ』や!」とか思いがちやけど、違うよなぁ。

「心地」は体言。体言に続くから、連体形でないとあかん。
『ぬ』やったら『ぬる』になるはずや。てことは?

そう。「打消の助動詞『ず』の連体形」やな。
つまり「例なら“ぬ”心地」は、直訳すると「いつものよう”ではない”心地」ってことや。
まぁ、助動詞ぬきにしても、「例ならず=いつものようではない」っちゅう連語で覚えといたらええな。

自分が大切に思う人が、いつものようではない。
つまり病気とか、例えば妊娠なんかもそうやな、いつもと違った状況に陥ったことを指す。
そりゃあハラハラするわな。どうなるやろ、大丈夫かな、ゆうて。

全体を訳すとこうや。

【現代語訳(意訳含)】
ハラハラするもの。競馬を見る時。元結のこよりをねじる時。
親であれ子であれ、およそ自分が大切に思う人が「具合が悪い・・・」などと言って、いつもと違った様子である時。
まして、世の中が疫病で大変だなどと噂される時などは、どんなことも考えられない。
また、まだしゃべれない赤ちゃんがわんわん泣いて、乳も飲まず、乳母がだっこしても全然泣き止まない時。

この、最後の赤ちゃんの部分なんか「そうそう!」って思うんやけどな。
ま、この先もし子供ができたらな、きっともっと実感をもって、わかると思うわ。

とにかく今と違って昔は、伝染病は本当に大変やったんや。

衛生環境もひどい、医学も発達しとらん。
なんせ「病気は悪霊のせいや、祈らなあかん!祈れば治る!」の時代やで。伝染病なんか太刀打ちできるかいな。

この枕草子が書かれた頃はなんやかんやと伝染病がはやってて、『栄花物語』にも「世の中騒がし」の記述がある。

【原文】
年もかへりぬ。かくて長徳元年正月より、世の中いと騒がしうなりたちぬれば、残るべうも思ひたらぬ。いとあはれなり。
(中略)
今年はまづ下人などは、いといみじう、ただこの頃のほどに失せ果てぬらんと見ゆ。四位五位などの亡くなるをばさらにもいはず、今は上にあがりぬべし、など言ふ。

【現代語訳(意訳含)】
年も改まった。こうして995年の正月から、世の中で疫病がはやってしまったので、このままでは生き残れるとも思えない。ひどくため息が出る。
(中略)
今年は特に下々の民はとても酷い有様で、もう無残に死んでしまうと思われる。四位五位の位の者が亡くなるのは言うまでもなく、もう上の位の者でも伝染病にかかってしまうに違いない、などと人々は噂をしている。

ーー『栄花物語』より

こんな感じで、しょっちゅう伝染病は「世の中を騒がせて」たんや。

つまり、昔も今も、伝染病=社会を騒がす存在なんや。

人に会うのを怖がらせたり、誰かがかかったんじゃないかと心配になったり、次は自分じゃないかと恐れたり。

そんなザワザワした人の心が、社会の「騒ぎ」となって、世の中全体を騒がせる。

これに太刀打ちするには、どうしたらいい?
そりゃ、「社会の騒ぎを止める」しかない。

社会は人や。
社会の騒ぎは、人の騒ぎや。

一人ひとりが、落ち着くしかない。騒ぐのを一旦ストップして、家で静かにするしかない。
そうでないと、「世の中騒がし」は落ち着かへん。

胸がつぶれるくらい、ハラハラするかもしれへん。
このまま家にいていいんか、って思うかもしれん。

でも、それでいいんや。
それで、きっといつか落ち着くで。
一人ひとりの心がけは小さくてもな、それが積み重なって社会はできてるんやから。

それを信じて、今は待つんや。
なんやったら、家でオンラインとかで騒いだらええよ笑
ピンチの時こそクリエイティブな発想ができるもんや。ブレイクスルーは壁にぶち当たったときにやってくる。
きっと、社会もこの騒ぎの後は、ブレイクスルーするんやろな。


今は歴史の転換期や。まさに、最先端にいるんや。
今感じていることを大事にしてほしい。今の社会がどう動くか、よく見てよく考えて、行動するんや。

きっと、この後の人生に活きる。
もっと言うと、この先に人類のためになる。

そうして人間は、今この現代まで、命をつないできたんやから。


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