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随想(詩について)

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2024年1月の記事一覧

詩の商業誌とどのように付き合うか

「現代詩手帖」が創刊したのは1959年、わたしは小学生だった。すでに詩を書いていたが、もちろんその頃は、この雑誌のことは知らなかった。

「現代詩手帖」を読み始めたのは70年代の終わり、大学に通い始めた頃だろうか。ちょうど「現代詩文庫」の発行が始まった頃だ。それまで知らなかった詩の世界があるのだと、わたしは目を見張った。

正直に言えば、当時、三好達治や丸山薫の詩を愛読していたわたしには、「現代詩

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詩人のあるべき姿とは

詩人のあるべき姿とはどんなだろうと、若い頃に考えていた。

定期的に、しかるべきところから詩が求められて、それに応じて詩を作りだしてゆく。そんな姿を、かつては考えていた。

詩は、選ばれた人がその才能で書くものだと。

しかし、ぼくはそのような詩人にはなれなかった。

なれなかったから考え方が変わったのか、あるいは、歳のせいで変わったのかは、わからない。

ただ、以前のような思いとは違ってきたのは

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日記で表現を鍛え上げる、というのはどうだろう

この間から読んでいる『小山さんノート』に書かれているのは、ほとんどが、日々何があったか、という記述だ。つまりは日記だ。

常々感じているのだけど、ずっと何も書かないでいて、いざ詩を書こうと思っても、ぼくには、すぐに何かを書くなんてことはできない。

ぼくができるのは、なんでもいいから毎日、ひたすら書き続けることだ。そして詩の依頼が来た時(めったに来ないけど)には、それまでに書いた膨大な言葉を読み返

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投稿に向いていない詩がある

雑誌にもよるし、選者にもよると思うのだけど、投稿した詩は、基本的には、公平に、あるいは誠実に選ばれていると思う。だから、詩の世界での、投稿の重要な役割は理解しているつもりだし、選者の苦労もわかる。

ただ、長いあいだ詩に関わっていると、選者がどれほど真剣に選んでも、どうしても選から漏れてしまう優れた詩、というのはあると、感じるようになってきた。

こんな経験をしたことがある。数年前に、ある青年の第

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好きな詩をまねて書くことを勧めない

どうしても詩が書けない時、というのはだれにでもある。

そんな時に、好きな詩を真似て作る、という方法がある。元の詩の、設定や言葉や言い回しを少し変えて書いてみることは、たしかに可能だ。実はぼくも、そんなことをやったことがある。やればそれなりの詩はできてしまう。

でも、その方法をぼくは勧めない。

「詩が書けない」という、自分の限界を教えてくれる貴重な瞬間を、安易に手放すことになるからだ。

さら

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詩人の相談事 ー 清水哲男さんのこと

思い出というのは不思議なもので、ある時、なんのきっかけもなく蘇ってくることがあります。

かつて、ひとりの詩人がいました。その人のことを、ぼくは若い頃からずっと崇拝していました。ぼくだけではなく、多くの人がその人の詩に魅せられていましたから、その詩人を中心にして、たびたび飲み会が開かれることがありました。ぼくも何度か、その飲み会に参加したことがあります。

飲み会では、ぼくはたいてい遠くの方から、

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自分は詩に向いているだろうかと悩んでいるのなら

かつてぼくは、ツイッターで、こんなことを書いたことがある。

「自分は詩を書いているけれども、自分は、本当に詩を書く事に向いているだろうか。
そんな疑問をもっている人がいる。
そういう人は、迷う必要はない。
自分が知らず知らずのうちに詩を選んでいたのなら、それがまさに、詩に向いていることなのだと。」

つまり、自分に詩の才能があるかどうかなんて関係ない。詩を書いているのなら、そのこと自体が、詩を書

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