投稿に向いていない詩がある

雑誌にもよるし、選者にもよると思うのだけど、投稿した詩は、基本的には、公平に、あるいは誠実に選ばれていると思う。だから、詩の世界での、投稿の重要な役割は理解しているつもりだし、選者の苦労もわかる。

ただ、長いあいだ詩に関わっていると、選者がどれほど真剣に選んでも、どうしても選から漏れてしまう優れた詩、というのはあると、感じるようになってきた。

こんな経験をしたことがある。数年前に、ある青年の第一詩集を受取った。読んで見れば、自分だけの独特な言葉と世界を確立した見事な詩集だった。感動した。一年に何冊も読むことのできない、それほどにすぐれた詩集だった。どこかで読んだことがある詩もいくつかあった。どこの同人誌で読んだのだろうと、思った。

それで、ある時、ある詩人とその話をしたら、「松下さん、この詩人は、松下さんが選者をしていた頃に投稿していましたよ」と言われた。

驚いた。というのも、詩集では、当時と名前を変えていたので、気がつかなかったのだ。それでも、後で雑誌を調べてみれば、なるほどその人の詩の幾編かを、ぼくは入選や佳作にしたことがあった。でも、それは毎月ではなく、多くの月には、その人の詩を落としていた。

おそらく、僕が落とした詩も、詩集には入っていたのだろう。それでもぼくは、どこかで読んだ記憶があるなと、部分的にうすうす感じてはいても、あの時の投稿詩だったとは気がつかなかった。

恥ずかしく思った。なぜ、投稿詩を毎月読んでいた時に、そのすばらしさに気付けなかったのだろう。

言い訳になるかもしれないけど、たぶん、投稿には向いていないけれども、詩集にすると輝きだす詩、というものがあるのだ。

ひとつひとつ、詩を切り離して読んでも、さほどに入ってこないのに、それが集まって、詩集という束になって受け渡される時、その美しさと重さを感じることのできる詩、そういう詩が、たしかにあるのではないか。

どちらにしても、ぼくの苦しい言い訳にしかならないけれど。

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