詩人の相談事 ー 清水哲男さんのこと

思い出というのは不思議なもので、ある時、なんのきっかけもなく蘇ってくることがあります。

かつて、ひとりの詩人がいました。その人のことを、ぼくは若い頃からずっと崇拝していました。ぼくだけではなく、多くの人がその人の詩に魅せられていましたから、その詩人を中心にして、たびたび飲み会が開かれることがありました。ぼくも何度か、その飲み会に参加したことがあります。

飲み会では、ぼくはたいてい遠くの方から、その詩人を眺めていました。多くの人が詩の話を大声でしていて、でもその詩人は、たいてい物静かに、人の話を聴いていました。

ある時、たぶん吉祥寺ビアホールでのことだったと思います。その詩人との小人数の飲み会がありました。小人数でしたので、その時には、ぼくもその詩人の近くに座っていました。いつものようにその詩人は静かに人の話を聞いていました。

そのうちに、何人かがトイレに行って、ぼくはその詩人と二人きりで取り残されてしまいました。ぼくは、いい機会だから何か話を聴こうと思って頭をめぐらせていました。そうしたら、静かな声で、その詩人がぼくに語りかけてきたのです。「松下くん…」聴いていると、詩の話ではなく、その詩人が今、悩んでいることについてでした。

ぼくは半ば驚いていました。なんでぼくなんかに、このようなことを話そうと思ったのだろう。話はそれなりに深刻で、もしかしたらぼくの意見を求めていたのかも知れません。それはおそらく、松下という年下の詩人に話す、というよりも、長年、勤め人としてつらい思いをしている立場にいる人としてのぼくに、相談をしてくれたのかもしれません。

その時に、ぼくがどのような返事をしたのかを、覚えていません。

ただ、尊敬する詩人がぼくに相談のようなことをしてくれたことに、驚きもし、感動もしていました。

そんなことを、今朝、ふと、思い出しました。崇拝する詩人にも生きて行く悩みはあり、その悩みを人に語りたいと思う時がある。それは、詩の仲間にはどこか言いづらいことであり、詩人から半分こぼれてしまっていたぼくのような者にだから、語ろうと思ってくれたのかも知れません。

そのときの詩人の、人間らしい壊れやすさにも、おそらくぼくは、詩を通して強く惹かれていたのだろうと思います。

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