詩人のあるべき姿とは

詩人のあるべき姿とはどんなだろうと、若い頃に考えていた。

定期的に、しかるべきところから詩が求められて、それに応じて詩を作りだしてゆく。そんな姿を、かつては考えていた。

詩は、選ばれた人がその才能で書くものだと。

しかし、ぼくはそのような詩人にはなれなかった。

なれなかったから考え方が変わったのか、あるいは、歳のせいで変わったのかは、わからない。

ただ、以前のような思いとは違ってきたのは確かだ。

もちろん、しかるべきところから求められて詩を書くことは、素敵なことではあると思う。そういう人はいていいと思う。

でも、遠くから見れば、それはそれだけのことであるとも、言える。

人から、あるいは世間からの求めや評価というのは、大切ではあるけれども、所詮は相対的な、あるいは刹那的なものであり、いつかは私から消え去ってゆく。

いつまでも残るのは、誰にも知られないところで、自分なりに詩をいつくしんでいることだけなのではないか。

詩と協力して、生きていることに傷つきすぎることから避け、お互いを日々守り抜いてゆくこと、尊重してゆくこと。

あまりにもありふれた言い方ではあるけれども、私なりの詩の愛し方を、ほそぼそと、でも晴れやかに見つけてゆける、そのような姿が、詩人の本来あるべき姿なのではないだろうか。

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