好きな詩をまねて書くことを勧めない

どうしても詩が書けない時、というのはだれにでもある。

そんな時に、好きな詩を真似て作る、という方法がある。元の詩の、設定や言葉や言い回しを少し変えて書いてみることは、たしかに可能だ。実はぼくも、そんなことをやったことがある。やればそれなりの詩はできてしまう。

でも、その方法をぼくは勧めない。

「詩が書けない」という、自分の限界を教えてくれる貴重な瞬間を、安易に手放すことになるからだ。

さらに、なにもないところからもの(詩)を作るという、最も神秘に満ちた、荘厳な段階を手放してしまうからだ。

さらに、今まで誰も考えたことのない発想が生まれる可能性も手放してしまうし、あるいは、とんでもない失敗作を作ってしまうという、これも貴重な学びから逃げてしまうことにも、なるからだ。

詩が書けない時は、書けないままでまんじりともせずに机に向かっていることが、何よりも大事なのだと、ぼくは思う。自分はなんと才能がないのだと、絶望している瞬間の長さが、いつか掛け替えのないものを生み出す力になるのだと、ぼくは信じている。

書けずにいることは、自分を真摯に見つめることにもなり、大切にしたい。書けないという瞬間も、創作の喜びの一部としてとらえたい。

そしてそれは、安易に作った一編の詩よりもずっと貴重なものを、自分の中に、跡がつくほどに書き込んでいることになるのだと、ぼくは思う。

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