忠太

1979年大分県出身。福岡県でサラリーマンをしていた2015年に地域おこし協力隊として…

忠太

1979年大分県出身。福岡県でサラリーマンをしていた2015年に地域おこし協力隊として高知県四万十町に移住。 協力隊終了後は同町大正でゲストハウスEkimaehouseSamaruを開業。 宿の傍らイベント実施、トイレ掃除、地元高校の魅力化のお手伝いなどもしている。 移住8年目。

最近の記事

地域ならでは。イベントの作り方。

こんにちは。 四万十のほうも夏の暑さが少し和らぎ秋本番という感じになってきました。 この2年、新型コロナ拡大によりイベントが軒並み中止または縮小しての開催となっていましたが、今年はなんとか通常通りの開催が各地で行われておりほっと胸をなでおろしています。 さて、地域おこし協力隊といえば「イベント開催」をされる方も多いと思います。 今回はそんなイベントの実施方法について書いていきたいと思います。 何をしたいかイベントを実施するうえで一番重要なのが、当然ですが「何をするか」で

    • 地域おこし協力隊2年目

      こんにちは。 2022年の夏は本業である宿の方もまあまあ忙しく、日々掃除と布団干しに終われる日々でした。 それ以外にも地元高校の魅力化のお手伝いなど、秋もそれなりに忙しくなりそうです。 今まさに協力隊時代に培った人脈が活かされることが多く、協力隊時代に頑張っておいてよかったなと思う次第です。 さて、今回は私の協力隊2年目について書いていこうと思います。 2年目は根をはる1年目は「知ること」を目標に、研修や地域の祭りに参加したりなどして色々と体験をしてきました。 2年

      • 協力隊。役場との付き合い方。

        こんにちは。 地域おこし協力隊の活動において大切にしなければならないことは多々ありますが、その中でも「役場との付き合い」というのは最重要事項になるのではないかと思います。 今回はそんな役場との付き合い方について、自分の経験を書いていけたらと思います。 役場の人=地域の人仕事の上では上司であり、同僚であり、雇い主である役場の人。 でも、仕事を離れれば地域に住む一般の人です。役場で働く人のほとんどが地元の方といってもいいでしょう。 役場の人≠地元の人。ではないのです。 役

        • 地域おこしとは

          こんにちは。 八月に入り、暑い日々が続いています。 八月は宿をしている者にとっては書き入れ時であると同時にその忙しさゆえに憂鬱にもなる時期です。 とはいえこの時期に頑張らなければいつ頑張るんだという時なので頑張ろうと思います。 さて、こんかいは徒然なるままに「地域おこし」について私の思いを書いてみようと思います。 先輩の一言私が地域おこし協力隊になった当初、協力隊の先輩がこんなことを言っていました。 「地域おこしっていうけど、地域の人が集落を閉じたいというのなら、それ

        地域ならでは。イベントの作り方。

          協力隊の情報収集。

          7月になり、今年もまた暑い夏が訪れようとしています。 ゲストハウスの壁をグリーンウォールにしようと今年も朝顔を植えましたが、その朝顔がいい具合に伸びてきています。 また、四万十町にも新しく協力隊が入ってきていて何かと忙しい毎日を送っている様子です。 さて、今回は私が協力隊時代に情報収集をどのように行っていたかを書いてみたいと思います。 町史それぞれの町にはその町の歴史をまとめた「町史」というものが存在します。 私の住んでいる四万十町は平成18年に窪川町、大正町、十和村

          協力隊の情報収集。

          協力隊1年目の過ごし方②

          こんにちは。 この記事を書いている7月5日。僕の住んでいる高知県は大雨に見舞われています。 そんな中でも7月から新しい協力隊が入ってきていて、この前僕もお会いしました。 協力隊1年目。 僕の時もこんな感じだったのかなと、ちょっと不安な新隊員を見ていて思いました。 前回、協力隊1年目の過ごし方ということで「地域を知る」ために僕が何をやっていたかを書きました。 今回はその第2弾。 今度は「地域に知ってもらう」ために僕がやっていたことについて書いていきたいと思います。 町を歩

          協力隊1年目の過ごし方②

          協力隊。1年目の過ごし方。

          こんにちは。 前回お伝えした「協力隊BBQ」。 先日3年ぶりに実施することが出来ました。 久しぶりで買い忘れるものがあったりしましたが、OB、OG、現役とその家族約30人が集まり、わいわいしました。 普段あまり接することのない現役の隊員との交流では、日頃の悩みや、協力隊でやってみたいことなどを聞くことができ、楽しく有意義なひと時でした。 さて、今回は私が現役の時に気を付けていたことについて書いていきたいと思います。 その中でも協力隊1年目にどのようなことを考え、どのような

          協力隊。1年目の過ごし方。

          家族あっての協力隊

          こんにちは。 高知県四万十町で地域おこし協力隊をしていた小野です。 今は同町でEkimaehouseSamaruというゲストハウスをして2022年で丸4年になります。 これまで、私が地域おこし協力隊になるまでについて時系列に沿って書いてきました。 ここからは、私が協力隊時代にやってきたことや、気を付けてきたことなどを個別に書いていきたいと思います。 家族を連れてきている協力隊私は今も昔も独身です。 残念なのがそれを貫いているわけではないという事なのですが… ただ、地域お

          家族あっての協力隊

          うついがわの新聞

          新聞という縁打井川地区の方から 「打井川地区の新聞を作ってほしい」 という希望を聞いた時、”縁”というものを感じました。 と、いうのも私の前職は「新聞社」だったからです。 ある全国紙の子会社で私はこの年の4月まで働いていたのです。 新聞社といっても私がいたのは販売だったので、記者ではありませんでしたが、社内報や販売店さんが出す地域報の記事などは書いたりしていました。 前職がこんな形で活かされることになるとは思ってもみませんでした。 どんな新聞にするのかどんな新聞にする

          うついがわの新聞

          ミッションは…そして宣言。

          お久しぶりです。 ちょっと旅に出ていました。 場所は和歌山県です。 実はこれまで通過も含めて44都道府県には行っていましたが、和歌山県は通ったこともありませんでした。 そこで、今回初和歌山です。 2泊3日の強行旅でしたが、楽しむことができました。 さて、話を戻して僕が協力隊だったころの話へ。 ミッションが決定適正ミッションを探る事2か月。 遂に僕のミッションが決定しました。 「大正東部地区の活性化のお手伝い」 旧大正町は主に北部、中心部、東部に分かれます。 北部は下津

          ミッションは…そして宣言。

          協力隊1年目。いきなりノーミッション。

          ミッション白紙こんにちは。 前回、少し脱線しましたが、今回は協力隊の話に戻したいと思います。 さて、四万十町地域おこし協力隊として働き始めた僕ですが、2月に協力隊合格の連絡をもらった時に言われたことがあります。 「希望のミッションじゃないけど来てくれる?」 四万十町の協力隊はそれぞれミッションがあります。 例えば「〇〇地域の振興業務」だったり、「農業支援業務のお手伝い」だったりいろいろです。 その中で僕は大正のある地域で運営している民宿の運営サポートというミッションに応募

          協力隊1年目。いきなりノーミッション。

          田舎好き≠アウトドア好き

          田舎好きのレッテルここまで僕が地域おこし協力隊になった経緯について書いていましたが、 ここで一旦違う話をしてみたいと思います。 というのも、田舎に住み始めて感じることなのですが、 どうも、 「田舎に住んでるんだからアウトドア好き何でしょ」 と思われていることが多々あって… ここではっきり言っておきたいのですが、僕。 ”アウトドア、そんなにしません” アウトドアへの気持ち時折焚火に誘ってもらったりする時には喜んで行きます。 それは、”火を見ながらぼーっとする”ことが好きだ

          田舎好き≠アウトドア好き

          協力隊。初めの一歩。

          初出勤。5月。 同期から遅れること1か月。僕は四万十町地域おこし協力隊になりました。 スーツは着なくていいだろうと思っていましたが、役場ということなので、チノパンにYシャツで出勤しました。 初日は、僕と同じ日に入ったNさんと一緒に大正地区の先輩協力隊の2人に連れられ町内各所へ挨拶回りです。 (当時、四万十町の協力隊は新人のお世話を各地域の先輩隊員が行っており、挨拶回りや仕事のことなどは先輩隊員から教えてもらいました。) 四万十町の広さは642㎢。 東京23区(626㎢)と

          協力隊。初めの一歩。

          四万十町地域おこし協力隊になった僕

          福岡から四万十へ会社も円満に辞めることができ、有給を消化し、引っ越し作業も済み。 高知県四万十町に移住することになりました。 福岡は空港、JR博多駅が地下鉄で結ばれており、とても暮らしやすい町です。福岡に住み始めたころは車も乗っていましたが、駐車場代等の維持費を考えてカーシェアにしており、普段はバイクで移動していました。 その為、移住当初も「バイクがあれば大丈夫だろう」とたかをくくっていました。 これはのちのち考えを改めることになります…。 さて、移住初日。 福岡の小倉

          四万十町地域おこし協力隊になった僕

          四万十川の漁業権

          四万十川の漁業権

          合格。四万十へ。その前に…

          合格連絡の電話面接を終え、福岡に帰り、月曜日から日常の仕事に戻りました。 正直面接にそこまでの手応えを感じられなかったので、 「また仕事しながらのんびり探そう」 ぐらいに思っていました。 働きながらの移住活動だったので切迫感はありませんでした。 それよりも、もし受かった場合にどうしようかという、どちらかというとちょっと不安に似た感情があったのを覚えています。 四万十町の方からは合格発表は3月になると聞いていました。 そう思い油断していると、ある日、終業時刻ギリギリの時間に電

          合格。四万十へ。その前に…