協力隊1年目。いきなりノーミッション。
ミッション白紙
こんにちは。
前回、少し脱線しましたが、今回は協力隊の話に戻したいと思います。
さて、四万十町地域おこし協力隊として働き始めた僕ですが、2月に協力隊合格の連絡をもらった時に言われたことがあります。
「希望のミッションじゃないけど来てくれる?」
四万十町の協力隊はそれぞれミッションがあります。
例えば「〇〇地域の振興業務」だったり、「農業支援業務のお手伝い」だったりいろいろです。
その中で僕は大正のある地域で運営している民宿の運営サポートというミッションに応募していました。
しかし、役場で再考したところ、ミッションとして出したものの正直僕一人では民宿の運営サポートは難しい。
しかし、僕に対しては来てもらいたい。
そんな思いがあっての「希望ミッションじゃないけど来てくれる?」でした。
※結局このミッションは適任者がおらずミッション自体がなくなり、その施
設もなくなってしまいました。今思えば、正直かなり厳しい施設だったの
で立て直すことは僕ではできなかったと思います。
今思っても役場の方の英断だったと思って感謝しています。
様子を見ながら適正を判断
四万十町に来たもののいきなりノーミッションとなってしまいました。
役場の方からは、僕と同時期に大正地区に着任したNさんと2人ともノーミッションにして、数か月間様子を見ながらミッションを決めるという事になりました。
その間は先輩隊員のお手伝いをしながら色んな地域などを知っていきました。
結果的にはこの間に自分のミッションとは直接関係のない人たちとも仲良くなることができ、将来的な人脈作りに繋がりました。
とはいっても基本は暇だったので、この間に僕がしていたのは、
①とりあえず企画を考える=企画書を作る
②地域の歴史を勉強する=町史を読み込む
ことでした。
大正駅前にぎわい拠点
当時の大正地区の協力隊は4人。
その4人で大正の商店街に拠点を作ることになりました。
実は、その前身としてJR土佐大正駅前に「Gokanギャラリー」というのがありました。
地域のお店や自然といったものの紹介をしている簡単に言えば観光案内所のようなものです。
それが手狭になってきたので、新たに広い場所を借りて「大正駅前にぎわい拠点」というものを作ろうということになったのです。
場所はJR土佐大正駅の目の前。
元食堂であり、旅館であった場所の食堂部分です。
僕ともう一人のNさんはこの時ミッションもなく暇だったので、この場所のDIYに積極的に関わっていました。
油で汚れた床を削ったり、壁に漆喰を塗ったりして一日中汗まみれになって作業していました。
この時DIYをしていた経験が今のゲストハウスでも役に立っています。
因みに…
このにぎわい拠点。
その上の元旅館部分を借りてやっているのが今の僕のゲストハウスです。
この時から8年。
ここでにぎわい拠点を作っていなければ今の僕のゲストハウスもなかったのです。
僕にとってはこのフリーの数か月間が将来に繋がる影響を及ぼしています。
あの時、ミッションではなく、採ってもらったという縁に頼ってよかったと今では思います。
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