桜杏

波瀾万丈って一言で言い表せないほど、色んな経験をします。 過去の自分を振り返って、毎日…

桜杏

波瀾万丈って一言で言い表せないほど、色んな経験をします。 過去の自分を振り返って、毎日、少しずつ書いていくので、フォローよろしくお願いします🥺

最近の記事

移転オープン

大吾の店が、トレーディングカードに特化した形態になり、順調に売り上げを伸ばしていった。 おそらく年商が億に近くなった頃、繁華街の近くに店舗を移転すると言い出した。 既存店舗の2倍の広さで家賃も2倍、心配しても仕方がないので、大吾の商才にかけるしかなかった。 コンクリート剥き出しのテナント店舗を1からデザインし作り出さなければいけなかった。私もものづくりは好きなので協力したくなった。 ネットで検索して、店舗デザインに特化した建築事務所を探し大吾に提案した。建築士との打ち合わ

    • 障害児発達センター

      長男が、3歳の時障害児のための幼稚園的な所に通い出した。 そこには、すでに何かしら療育を受けている子、全く療育を受けず、保育園や、プレ幼稚園で集団行動が取れない子がいた。 親子で集団療育に通ったり、個人療育に通ったので、指導者の言う事や、規則正しい生活を送る事については、優れていた。逆に言葉でのやり取りの部分では、他の子よりも劣っていた。 集団生活において、指示が通らない多動の子に比べると先生にとっては楽な子だったと思う。 ただ、多動の子は、療育をするにつれてだんだん落

      • 家訓

        モラハラ大吾のマイルールが、うちの家訓とも言えるのか、厳しいルールがあった。大吾曰く風水に基づいたものらしい。 その1 玄関に靴は絶対に置くな その2 トイレの蓋は必ず閉める その3 床に物を置くな(散らかすな) その4 食事中トイレに行くな。肩肘つくな その5 食事は上げ膳据え膳、はし、お茶全部揃えて呼ぶ そのほかも、怒らせポイントはあったが主要な5項目は守るのが必須だった。 簡単で守れそうだが、元々B型で、要領はいいけど適当な私にとって、この5項目ですら守れないこと

        • 横峯式幼稚園

          徹夜で並んだ(厳密にいうとバイトが並んだ)人気の横峯式を取り入れた幼稚園は、自学自習「読み、書き、計算」体操「逆立ち歩き、跳び箱、側転」音楽と言った三本柱のメゾットがあり、 幼稚園なのに、授業のように、規則正しく生活をしていた。 読み書きをして、30分集中、時間になると鍵盤ハーモニカを出し音楽を奏でる。運動場に行くと、開脚からの前屈、そしてブリッジ、できる子はそのままブリッジのまま歩く。さらにできる子は逆立ちをして、平気な子は逆立ちのまま歩く。 軍隊のように先生の合図で自

        移転オープン

          忍び寄る病魔

          大吾のお店が人気店になって年収も倍になった頃、たまたま県の健康診断の知らせが来て、受けに行った。 健康診断の結果血圧と血糖値が高値でコレステロールや、中性脂肪も高く医療機関を受診するようにとお知らせが来た。 流石の大吾もびびって、病院に行った。 血糖値が高いので、糖尿病の可能性がある為、体重を減らすことと、禁煙を勧められた。食事制限もするように指導を受けた。 禁煙については、厳しく医師から言われたが、糖尿病に関しては自覚症状もないし、他人事のような気がしたのか対して気に

          忍び寄る病魔

          幼児教育

          娘の赤ちゃん英会話から始まった親バカ英才教育、知育玩具のボーネルンドのおもちゃを与え、家ではしまじろうのDVDを観る。しまじろう=こどもちゃれんじは、秀悦で、後に小学校受験を経験するが、こどもちゃれんじの内容と試験問題は連動していたと思うし、言葉の発達には良いと感じた。 双子が産まれてすぐに、娘が寂しくないようにと、バレエを始めた。バレエもRADといって英国ロイヤルクラシックバレエのメゾットで世界共通の認定試験がある所を選んだ。小さい頃からトウシューズでクルクル回れるような

          幼児教育

          ドアの隙間のシンデレラ

          双子を産んで仕事復帰すると、時々職場の飲み会に誘われるようになった。といっても、3.4ヶ月に一回くらいだったと思う。 元々は、宴会好きだったので飲みニケーションは大好きだった。飲み会の日は、大吾に子供を預けていかなければいけないので、その日に向かって大吾、の感情コントロールをする。怒らせない様に怒らせない様に機嫌良くその日を迎えられる様に頑張った。 「俺が面倒見るぜ」と言ったかと思えば、「そんなの聞いてない」と言われたり飲み会一つ行くにも大変だった。 大吾と結婚してから

          ドアの隙間のシンデレラ

          三者三様生活の始まり

          双子が3歳になった年、長男は障害児通園施設、次男は幼稚園、娘は、小学生になった。 三者三様の生活は、まずは双子のそれぞれの入園式、娘の入学式から始まった。 それぞれの巣立ちを、嬉しく思ったのも束の間、書類を書いたり必要なものを準備したり、慌しい日々が始まった。 相変わらず仕事は、週に3回日勤をして夜中働いて、次の日夕方から働いて週4回休みを取っていた。 夜勤に入る曜日は決まっていなかったので、平日に仕事が入ると、これまた慌ただしさが2倍になった。 朝はまず小学校に送り出

          三者三様生活の始まり

          野に咲く花の様に

          娘の保育園のベテラン先生は、とにかく歌が好きだった。しかも、少し古い歌が好きで、親世代が聴いて懐かしいなと思う様な歌を子供達と歌っていた。 いつだったか発表会で、「野に咲く花の様に」を子供たちが歌ってくれた。昔のドラマの「裸の大将」の主題歌としか思っていなかったが、子供達の無邪気に「野に咲く花の様に」を歌うと、心が洗われる気がした。 娘のクラスのお母さん達皆んな、このベテラン先生が大好きだった。そのせいか、親同士の団結力もあり保育園の割に皆んな仲が良く、休日、みんなで花見

          野に咲く花の様に

          末っ子の底力

          娘と長男に囲まれて影が薄いような次男くんの話。 赤ちゃんの時から、他の2人とは顔の系統が違っておそらく一番私似なのかなと思うが、双子だけど2人は似ていなかった。 しっかり飲んでしっかり寝てすくすくと育っていた。 保育園に入る時も、無邪気に楽しみ何の問題もなく育ったように見えたが、とにかく自己主張が強いく、欲しいと思ったら、買ってくれるまで駄々こねる、側から見ていたら大変なタイプだった。 でも、どこか天才肌で、なんでも出来るまで頑張るし、出来た。3歳上のお姉ちゃんとも張り合

          末っ子の底力

          格差社会

          療育センターの二歳児クラスに新しい子達が入園してきた。うちと同じ自閉症かもと言われて通い出したであろう子達だが、通う必要あるのという子から、多動で追いかけ回さないといけない子など障害の程度は様々だった。 それぞれの子達が苦手なことが違っていて、親子で通っていると、他の子の成長発達まで気になってくる。 うちの子は、文字や、パズル、ブロックなど手先を使う事は早くから出来た。その代わり、他の子とコミニュケーションは一切取らない、感覚過敏、偏食があって嫌なことがあると奇声をあげて

          格差社会

          保育園生活

          週2回の療育以外は、長男も他の2人と一緒の保育園で過ごしていた。一歳児クラスで入園した頃は、他の子と変わりないですと言われていたけれど、2歳児クラスになると、他の子との違いが目に見えてわかって来た。 3人が通っている保育園はベテラン保育士が多かった。主となる先生が赤ちゃんクラスからずっと持ち上がりで卒園までしてくれるので、安心感があると評判だった。 でも何故か、娘の年中の時にベテラン先生が、双子のクラスの先生になり、他の先生が娘のクラスの担任になった。娘たちは、慣れた先生

          保育園生活

          奇跡

          娘の出産の時もそうだったけれど、職業柄子供が五体満足に産まれてくる事自体奇跡って思っていた。 障害の子が誰かの元に産まれてくるとしたら、結構な確率で産まれそうな予感があった。 だから、娘が生まれた時も、双子が生まれた時も、麻酔から覚めた時、双子が産まれた瞬間医者に、うちの子大丈夫ですかと聞いた。 1番にその言葉が出るのって、あまりないかもしれない。でも、障害を持って産まれた子や、病気の子をずっと看護してきた私にとって、五体満足に産まれることが奇跡とさえ思っていた。 息子

          はじめの一歩

          1歳10ヶ月で親子療育に通い出した。 療育センターの1歳児クラスは、ダウン症など先天的な障害がある子たちが通っていた。赤ちゃんの頃から通っていてお母さん達には、既に絆があるように感じた。 通っているお母さんからしてみたら、長男に対して見た目は普通の子なのに、どうしても通い出したのかと興味はある様子だった。でも、そこは聞いてはいけないと思っているのか、少し距離を取られていたような気がした。 療育が始まると、通いだした理由が伝わったと思う。例えば感覚遊びの時、スライムや粘土は

          はじめの一歩

          働き方改革

          一歳半検診が終わって間も無く、次男が水疱瘡になった。高熱と、水痘の発疹を掻き毟らないように、軟膏で保護をしたりして、やっと治ったと思ったら、今度は、長男がなった。 保育園に行き出して発熱は何度もあったけれども、ほぼ2人同時になって同時に治っていたので期間も長くなかった。今回は、時間差攻撃だったので、さすがの私も体調を崩してしまった。 3人の子育てと、これから長男の療育をするかもしれないという事もあって、このままの勤務体制では、私も身体を壊すし、療育にも行けなくなると思い、

          働き方改革

          バーチャル恋愛

          重たい話の息抜き話。 3人の子育てが忙しい中、セックスレス歴記録を順調に延ばしていた。周りの友達にもちらほらそういう子はいたけれど結構セックスレス歴で言えば自慢してもいいくらいだった。 そんな私が女を捨てないでいた方法が、バーチャル恋愛だった。例えば、かっこいい医師がいたとしたら、そこから想像の中で恋愛をする。そうすると、してもないのにその医師と会うとドキドキする。女性ホルモンの活性化のために良かったと思う。 そう意味では、推し活でも、立派な恋愛でちゃんとホルモン活性化さ

          バーチャル恋愛