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霧の宴  ミラノ Ⅲ          クレリア夫人

その年のファノの滞在も終わりに近づいたある日の午後、陽ざしが微かに秋の気配を感じさせる広い庭を散策しながら、クレリア夫人はマリアムに云った。 「ミラノに戻りましたら、貴女のご友人のドクトル モンティにご紹介頂けないかしら? 貴女のお話を伺ってから私、すっかり古くからのお知り合いのような気がしてなりませんの、ご迷惑かしら?」 「いいえ、少しも迷惑ではありません、喜んでご紹介いたします。でも、わたしの友人達は皆、何処か浮世離れしているところがありますから、驚かれると思いますが

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       七月に入ってミラノ人達が例年どおりヴァカンスに出かけ始め、町が次第に落ち着いた雰囲気を取り戻し始めたころ、約束通り、アンドレアの研究所にマリアムは足を運んだ。  その夏は、五月半ばからかなり気温が高くなり、粗い石畳の照り返しに、日中の外出は余程勇気がいった。しかし、古い石造りの建物に入ると、アンドレアの研究室は乾いた空気がひんやりとしていて、外の暑さは嘘のようで心地よかった。  アンドレアは催眠術の実験を試みながら、C.G ユングのシンクロニシティをマリアムに説明した。人

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        フィレンツェに滞在する機会があると、マリアムは時間が許す限りウッフィツィ ギャラリーに足を運ぶのが習慣になっていた。その日の気分によって集中して観る部屋が決まるのであったが、それでも必ず時間をかけて観るのは、何時もS.ボッティチェッリの部屋であった。 そこには、十五世紀に遡るプラトンアカデミアのヒューマニスト達の、古代ギリシャ思想を踏まえた生命の躍動に満ちた新鮮な息吹が渦巻いているのである。マリアムはそれを肌に直接感ずるのであった。 だが、デ メディチの加護の下に結成され

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          八月のコンサートをアンドレアに約束していたので、マリアムはジュリア―の公爵家の夏の館で過ごすヴァカンスの日程を変更しなければならなかった。毎夏、もはや恒例となっているマリアムのファノ滞在を、クレリア夫人が心待ちしているのを知っているので、少し申し訳ない気がしていた。  公爵夫人との出会いは、数年前ポルディ ペッツオーリ美術館でS.ボッティチェッリ作の<嘆き>の前で言葉を交わしたのが最初であった。 <嘆き>の人物群像の見事なコンポディションに魅せられて、釘付けされたように立

        霧の宴  ミラノ Ⅲ          クレリア夫人

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          霧の宴  ミラノ Ⅱ          アンドレア

          <ペッレアス と メリザンド>がスカラ座の公演目録に載っていた。 メリザンドを演ずるのはF.von シュターデであることが、マリアムの興味を大いにそそった。美しい姿や涼やかな声の彼女ならば、マリアムの望むメリザンドを演じてくれるに違いない、と期待が膨らんだ。  常日頃からこの美しい<詩劇>の上演が至極稀であることに、マリアムはたいそう不満であった。オパールのような不思議な煌めきを放つサムボリズムのポエムの美しさに、現代人たちは鈍感になってしまったのだろうか?  アンドレアか

          霧の宴  ミラノ Ⅱ          アンドレア

          霧の宴 ミラノ Ⅱ             アンドレア

           友人のバス歌手から、カスティリオーネ オローナでG.パイジェッロを歌うから来ないか、という誘いの電話があった。ニューヨークのメトロポリタンでG.ヴェルディの<ドン カルロ>の異端裁判長を歌い、帰国したばかりである。 聴衆をうっとりさせる、あの漆黒のヴェルヴェットの深いバッソ プロフォンドの声を暫く聴いていなかったので、マリアムは喜んで出かけることにした。それにしても、重厚で厳格な異端裁判長の後で、軽妙なG.パイジエッロのオペラ ブッファを演ずるとは、なんという表現の幅の広

          霧の宴 ミラノ Ⅱ             アンドレア

          霧の宴 ミラノ Ⅱ          アンドレア

           古代ローマ時代、優雅なトーがを纏ったローマ人達からBarbari=野蛮人と呼ばれていた粗末な毛皮で身を包み動物の脂で頭髪を固めた粗野なゲルマン人を先祖にもつL.van ベートーヴェンの血の中に、一片の花びらの気まぐれな変容のような単音の透明な美しさに魅せられるという感性があっただろうか?勿論、この巨匠にその感性がない筈はないが、彼の伎(ARTE)が和声や作曲法の技を駆使した音の壮大な建築に至ってゆくのを見る時、もはや、 <生(き)の純粋な美>の人的表現としての音楽というより

          霧の宴 ミラノ Ⅱ          アンドレア

          霧の宴  ミラノ Ⅱ          アンドレア

          「今月いっぱいは山で過ごしなさい」 山を発つ前に、アンドレアは大層真面目な顔つきで云った。 「それから、時々自己催眠を試してごらん。コントロールしながら神経をポジティーヴな状態に導いて行くように」  短い山の滞在中、アンドレアはマリアムに自己催眠の方法を長い時間をかけ説明し実験したのだった。  暫く忘れかけていた都会へのノスタルジアが湧き上がり、アンドレアと一緒にミラノに帰りたいとマリアムは思ったが、それは冷淡なほど厳しいアンドレアの医者としての命令で思い止まらなければなら

          霧の宴  ミラノ Ⅱ          アンドレア

          霧の宴  ミラノ Ⅱ        アンドレア            

          ヴェネツィア風の外戸から差し込む朝の陽が、床の上に光のまだら模様を描いていた。なんと素晴らしい朝だったろう! 黄金の雨とでも言いたい五月早朝の光が、露を含んだ南アルプスの山々と裾野に降り注いでいた。  カルラを手伝って、マリアムは山荘の窓という窓を開け放ち、冷たい五月の空気を家中に満たした。 「アンドレアにまた会えるなんて、、」と、カルラは彼の部屋を整えながら嬉しさを隠そうともせず何度も繰り返した。  山荘はアンドレアの祖父の時代に建てられたもので、医者であった祖父が、蒸し

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          霧の宴  ミラノⅡ               アンドレア

          アンドレアの山荘から更に坂を登ったところにある三棟に分かれたサナトリウムから、ドット―ル マーニは毎日のようにマリアムを訪ねてくれた。 子供のような悪戯っぽい表情を茶色の眼に浮かべた彼は、たいそう瘠せていたが快活で陽気で、胃潰瘍を患っているというのに煙草をふかし、食事のワインも決して欠かさなかった。  初対面から、ドットーレと呼んでくれるな自分はジョルジョという名前だ、と云ってマリアムにそう呼ばせた。  そのジョルジョは、呼吸器の専門医であった。そして彼もまたクラシック音楽

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          霧の宴 ミラノⅡ             アンドレア                 

          「マリアム、、、、、どうしたの、マリアム?!」 アンドレアは訝しげに彼女を見下ろし、驚いて少し女性的に云った。 「どうしたというの?具合が悪いのかい?こんなにやつれて!君は、僕が医者だってことを忘れているの?」  その時、最大限に張りつめられていた神経の弦がㇷ゚ツリと切れた。 何か言おうとしたが、ありふれた挨拶の言葉さえ失って、身体の底から湧き上がる不思議な感覚に襲われ、それが涙となって溢れ出た。R.ワグナーxC.クライバーの嵐が充満する劇場の中で、マリアムは身体の芯が崩れ

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          美の求道者 羽生結弦

          イタリア語にmagnetismo (マニェティズモ)という名詞がある。意味は、磁気、磁性、磁気現象、或いは魔力を持ったもの等々、、 2 0世紀後半、私の魂を鷲掴みにした芸術家がいた。Mo.カルロス クライベルである。Mo.C.クライベルの演奏は、Mo.H.vonカラヤンの演奏のように定義づけることは不可能であった。なぜなら、それは常に聴衆の想像の域を超越した熱狂の世界に引きずり込んで行くからである。聴衆は、ディオニソスの宴会で美酒に酔ったように、彼の魔力に熱狂した。この現

          美の求道者 羽生結弦

           霧の宴 ミラノⅡ    アンドレア                                             

           ある日の夕暮れ、スカラ座の角を曲がりながら、それとなくその夜の出し物のロカンディーナにマリアムは眼を目を止めた。 R.ワグナーの<トリスタン と イゾルデ>であった。 ふむ、トリスタンか、、、と思ったが、ちょっとした気まぐれ心で天井桟敷で観る気になった。飽きたら中座するつもりである。当然そうなるであろうことが予想された。というのは、十代半ばの頃、ヴィーラント・ワグナー演出による<トリスタン と イゾルデ>を、R.ワグナーを熱愛する母親のお供で観に行き、二幕で不覚にも寝入って

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            霧の宴   ミラノ

          長い旅から帰ると、友人の作曲家から電話があった。 アンドレアとエリアが主催する例のコンサートシーズンの締めくくりとして、そのシーズンの総出演者のガラコンサートで、それぞれ一曲づつ演奏することになっているから、君はカルメンのハバネラでも歌ったら、と作曲家は事も無げに言った。 マリアムの留守中に、彼は独断でそう決めたらしく、既にプログラムは印刷されているということである。 してやられた、と憤慨したが時すでに遅し、であった。  マリアムには作曲家の魂胆が見え透いている。常日頃の

            霧の宴   ミラノ

           霧の宴  ミラノ

          十月最後の土曜日の夕べに、その音楽会は開幕された。  マリアムは緊張を解くために誰よりも早く会場に入り、誰もいない広いサロンのピアノで、気の向くままにG.フレスコバルディをかなり長く弾き続けた。何時も、G.フレスコバルディは何故か彼女の心を落ち着かせてくれる。  演奏時間が近づくにつれ、マリアムの心に、或る不思議な感覚が忍び寄っていた。ー今、アンドレアには会いたくないー それは何処からやって来たのだろう、そして何故?  知ってか知らずか、アンドレアもまた彼女の前にその姿を

           霧の宴  ミラノ

           霧の宴  ミラノ

          数週間後、作曲家の友人とマリアムは、アンドレアの作品の中から彼女のコントラルトの声域と声質を考慮して曲を選び出し、コンサートの準備にかかった。  その年のシーズンのオープニングに設定されていることをマリアムは恐れたが、アンドレアがそう望んだ ということで、責任の重大さに押し潰されそうになっていた。専門家ではない、ということに甘えてはならない。演技者として、出来得る限り最高の演奏をすべく、作曲者の意図を自分の血の中に流し込む必要がある。  選ばれた作品は、声楽上の専門的な高度

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