M.がらしゃ

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移りゆく夏の日々に

 緑を含んだ空気が、明けきらぬ朝の寝室に流れ込んでくる。 夏、わたしは夜の間 寝室とロフトの窓を開け放しておく。 山裾にあるわたしの山荘は、この数年の間に育った様々な木々の緑の帳に埋没する。その中で、このまま死んでしまいたいと願う程の幸福感を感じている。 幼年時代、わたしは夏が好きではなかった。  三人兄妹の末っ子に生まれたわたしは、どちらかと云えば母から疎まれる存在であった。明治生まれの両親にとっては、10月生まれの長男と同月生まれのわたしは、てっきり男の子であろうと期待さ

    •   夏と料理

      日本の夏は老体にこたえる。気温の高さもさることながら、問題は湿度の高さである。 ヨーロッパに住んでいた20世紀中頃、夏と云えばミラノのような大都市では六月に入るころから人が減りだし、八月ともなればすべての店にシャッターが下ろされスーパーマーケットなども例外ではなく、家政婦からエリートビジネスマンに至るまで、ミラノの住人達は海や山に逃げ出していた。通常は車の激しく行きかう大道通りも人影はなく深閑として、ある時急用でヴァカンスを中断して急遽町に戻った私は、石畳を歩く自分の靴音が

      • 霧の宴  ミラノ Ⅴー5                                      Al di Là (アル ディ ラ) 彼方に

        *マリアム巡業に出る。演技への開眼。アヴィニヨンでミシェルの演奏に感動し生きるARTEを体感する。ミラノに帰り、アンドレアの墓に参る。 ****************************** 全てを振り切って意に沿わない巡業に出たマリアムの芝居に没頭する姿に、共演者たちは少し恐れを感じていた。重要だが脇役であるのにも拘らず、あまりにも真剣に取り組む彼女の演技は、何かにとりつかれた様な一種異様な雰囲気を醸し出していて、近寄り難たかった。  舞台を終わってからも「No.n

        • 霧の宴   ミラノ Ⅴー4                                             Al di Là (アル ディ ラ )      彼方に                             

          *Stabat Mater, アンドレアの死  ******************** 霧の晴れやらぬ街並みの湿った粗い石畳を用心深く踏みしめながら、 マリアムは作曲家の友人の家に向かっていた。  湿った重い空気の漂う中、突然ふわりと密やかに微かなミモザの匂いが鼻をくすぐって、マリアムは立ち止まり背筋を伸ばし辺りを見回した。が、それらしき樹木は見当たらず、ミモザを売る道端の花売りの姿もない。 ー確かにミモザの匂いがした筈なのにーと解せなかった。  その日は、コンサートシー

        移りゆく夏の日々に

        •   夏と料理

        • 霧の宴  ミラノ Ⅴー5                                      Al di Là (アル ディ ラ) 彼方に

        • 霧の宴   ミラノ Ⅴー4                                             Al di Là (アル ディ ラ )      彼方に                             

          霧の宴  ミラノ Ⅴー3           Al di Là (アル ディ ラ)         彼方に

          *ジョルジョとの対話。パトスとロゴス。<美>の考察。 ******************** 暫く二人の間に時間が澱んでいた。頭の中に遠のいたり近づいたりする未解決なある考えを、マリアムは自らにも理解させようと試みる。 「ルキーノ ヴィスコンティが映画化した、トマス マンの<ヴェニスに死す>を観たでしょ? 貴方がどのように受け止めたか知らないけれど、あの耽美の世界には恐ろしいほど研ぎ澄まされた孤独な<美>の幻が根底に潜んでいて、異様な煌めきを放っていると、わたしには思

          霧の宴  ミラノ Ⅴー3           Al di Là (アル ディ ラ)         彼方に

          霧の宴  ミラノ Ⅴー2          Al di Là (アル ディ ラ)                                      彼方に

          * ジョルジョとの対話。アンドレアへの深い友人愛。<美>の響き合い。 ******************************** 十二月三十一日、サン シルヴェストゥロのグラン チェ―ナとそれに続く夜明けまで踊り明かす馬鹿騒ぎを後眼にして、ジュリア―の公爵は南太平洋に旅立っていった。  そして、新しい年を迎え、公爵邸でのコンサートが開かれた。 しかし、マリアムは新しい芝居の台本を渡されていたので、その下準備にかからなければならず、初日の華やかなレセプションが続く公爵邸

          霧の宴  ミラノ Ⅴー2          Al di Là (アル ディ ラ)                                      彼方に

          霧の宴    ミラノⅤ-ー1    Al di Là(アル ディ ラ )              彼方に

          *ミラノの12月 我楽多市 Obej! Obej!  スカラ座のシーズンオープニング ナターレ 大晦日 ********************************  季節が、ミラノをそれらしく美しく楽しく装うことがあるとしたら、それは何時だろうか、とマリアムは一瞬首をかしげる。  ローマにいた頃の友人が、ミラノを訪れるたびに口癖のように言い残してゆく「よくこんなところに住めるね君は、ここはイタリアじゃないよ!」は、時にはあの美しい永遠の都への郷愁に駆られ、マリアムの心

          霧の宴    ミラノⅤ-ー1    Al di Là(アル ディ ラ )              彼方に

          霧の宴   ミラノⅣー5                 うたげ  La Bohème

          *20世紀後半期のオペラリリカに関する其々の好みに発するバトル ********************************  「ピエロ カップッチッリのマルチェッロ役は、ごく自然に偶発的なところがいいね。実に自由で偶発性が活きている、勿論テーマがボヘミアンということもあるが、、、一時代前の歌手に比べればスケールは小さい、彼の器からしてマルチェッロはぴったりだ。おそらく今回は、クライバーだからこの役を引き受けたんだろうけれど、このぐらいが彼の身の丈にあっていると思う。ち

          霧の宴   ミラノⅣー5                 うたげ  La Bohème

          霧の宴  ミラノⅣー4             うたげ La Bohème

          * <ラ ボエーム>談議その他 「 ともかく、ジョルジョは<ラ ボエーム>でさえコトゥルバスでは満足できないのだね」と、隣に座っていたアンドレアが話しを遮り、笑いながら彼の肩を軽く叩いた。するとジョルジョはにわかに表情をほぐして 「今夜は、始まる前にマエストロの開かれていたスコアの上に薔薇の花が三本置いてあったのを見たかい?」と、話題を変えた。 「最初は真ん中に縦に真直ぐ置いてあった。それをどうするかと思っていたら、指揮棒を手にする前に斜に置き換えたんだ。そして、最後まで

          霧の宴  ミラノⅣー4             うたげ La Bohème

          霧の宴   ミラノⅣー3              うたげ La Bohème

          大衆にも人気の高い<ラ ボエーム>の事とて、述べ十八公演が決まっていたが、Mo.C. クライバーの指揮は初日から五公演だけであった。当然のことながら、その五公演にはトップクラスの歌手達が揃えられている。  マリアムは、その五公演をスカラ座に通ったが、二日目の夜に隣のパルコに、可愛いスミレのブケを手に正装した十五、六歳の少年が、第二幕でムゼッタが登場する場面になると、身を乗り出しそうにして舞台に見入っているのに気づいた。 休憩時間に話かけると、彼は熱心なL.ポップのファンで

          霧の宴   ミラノⅣー3              うたげ La Bohème

          霧の宴    ミラノⅣー2        うたげ               La Boheme

          *スカラ座の<ラ ボエーム>をメインに、いつもの仲間たちとのオペラ談議に花が咲く。 ********************************   その夜、思いがけず山のサナトリウムのジョルジョやエミリァに会えたので、マリアムはたいそう幸せであった。 「どうだい、今シーズンは久しぶりにスカラ座の<ラ ボエーム>が、マエストロC.クライバーの棒に決まっているが、大丈夫かい?また山に来ることになるかもしれないぞ」と笑いながらジョルジョが言う。 「<ラ ボエーム>だったら

          霧の宴    ミラノⅣー2        うたげ               La Boheme

          霧の宴    ミラノⅣー1                    うたげ

          *12月アンドレア&エリア主催のコンサートシーズンの開幕。新年に設定されているジュリア―ノ公爵邸でのコンサートがあることからクレリア夫人もオープニングに出席し、その紹介がある。 ********************************  深い霧がミラノをすっぽり覆ってしまう十二月の第二土曜日の夕方に、 アンドレアとエリアが主催するコンサートのオープニングセレモニーは開かれた。  既にその年のスカラ座のオペラシーズンは、ミラノ市の守護聖人アムブロージョの記念日十二月七

          霧の宴    ミラノⅣー1                    うたげ

          霧の宴   ミラノ Ⅲー9         クレリア夫人      副題( Stabat Mater )

          *スタバト マーテルに関するエピソードと、様々な考察。 ********************************* 「確かに、テーマがドラマティックであることから<スタバト マーテル>は、現代人が聴いても作品として形が美しく整っていて、分かりやすいかもしれません。<サルヴェ レジーナ >はコンサートで演奏するのには、ちょっと中途半端な感じだし、、、<サルモ 126>は、わたしのテクニックでは、無理でしょう、、、ということで、一番無理のないのは、やはり <スタバト 

          霧の宴   ミラノ Ⅲー9         クレリア夫人      副題( Stabat Mater )

          霧の宴   ミラノ Ⅲー8         クレリア夫人

          *マリアム、公爵家でのコンサートで演奏する選曲に迷う。 **********************************  マリアムのテクニックでは、M.ラヴェルの複雑なピアノのパートを初見で弾けるわけもないのだが、それでも未知の楽譜を前にすると何時も胸が必ず高鳴る。 その時もピアノの前で、彼女は自分の息遣いが乱れているのに気が付いた。 やがて、ごまかしだらけなピアノの音の間からおぼろげに浮かび上がってくるM.ラヴェルが描くJ.ルナールの小宇宙に、マリアムの心臓は益々高鳴

          霧の宴   ミラノ Ⅲー8         クレリア夫人

          霧の宴  ミラノ Ⅲー7                 クレリア夫人

          *アンドレア、新しいシーズンのコンサートのプログラムをマリアムと検討する。 **********************************   どんよりと湿った空気がミラノを重苦しく覆っていた数日後、烈しい風を伴った豪雨の夜になり、一夜明けたその十月の朝、久方ぶりの太陽の光がヴェネツィアーを通して寝室に差し込んでいた。  広いテラスの鉢植えの低樹木の葉や花たちが、夜間の風と雨にレンガの床に叩きつけられ見るも無残に飛び散っている光景を、マリアムはただ茫然とパジャマのままで

          霧の宴  ミラノ Ⅲー7                 クレリア夫人

          霧の宴    ミラノ Ⅲー6        クレリア夫人

          *9月、マリアムとアンドレアがジュリア―ノ公爵家のお茶に招かれる。 **********************************  本格的な秋の気配を感じさせる九月半ばになってから、マリアムはミラノに帰ってきた。長い間留守にすると、騒々しく車の往来する薄汚れたこの町も、何やら懐かしく感じられるのが不思議である。  スカラ座では既にコンサートのシーズンが始まっていたが、プログラムに目を通すと、未だこれと云って特別に興味をそそられる出し物は見当たらなかった。しかし、夏の間

          霧の宴    ミラノ Ⅲー6        クレリア夫人