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霧の宴   ミラノⅣー3              うたげ La Bohème


  大衆にも人気の高い<ラ ボエーム>の事とて、述べ十八公演が決まっていたが、Mo.C. クライバーの指揮は初日から五公演だけであった。当然のことながら、その五公演にはトップクラスの歌手達が揃えられている。
 マリアムは、その五公演をスカラ座に通ったが、二日目の夜に隣のパルコに、可愛いスミレのブケを手に正装した十五、六歳の少年が、第二幕でムゼッタが登場する場面になると、身を乗り出しそうにして舞台に見入っているのに気づいた。
休憩時間に話かけると、彼は熱心なL.ポップのファンであることが分かった。母親が同席していたが、彼女の話によると、少年が手にしているスミレは、カーテンコールの時に舞台に向かって投げるのではなく、自らL.ポップの楽屋まで出向き、直接手渡すのだそうである。
 ヴィデオ撮りした初日の出来は、L.パヴァロッティ、I.コトゥルバスに少々気負いすぎた難があったが、初日と二日目の公演だけを歌ったマルチェッロ役のピエロ カップッチーリを交えた第二夜が大層素晴らしかった。
 其々の芸術の理想を夢見ながら共に暮らす、若く熱い情熱に溢れたボヘミアン達の、友情、哀しみ、歓びに満ちた屋根裏部屋での日々の生活に、ミミとムゼッタを絡ませて、G.ジャコーザXG.プッチーニのメロドラマは、
Mo.C.クライバーの指揮の下で、マリアムにため息をつかせるほどやるせなく魅了した。

 十八世紀末から二十世紀初頭におけるヨーロッパの文芸思想の変遷の速度は驚異的であった。欧州の強豪諸国が競った植民地政策に伴う東西の文化の交流ヨーロッパ大陸に及ぼした影響は、計り知れないところがある。
 その現象は、中東諸国との貿易が十四世紀のフィレンツェに、古代ギリシャの思想を踏まえた文芸復興を開花させるきっかけになったのとよく似ている。
十九世紀のパリが異国文化導入の中心となったのは、単なる偶然ではない。
所謂フランス革命がフランスの貴族社会を崩壊させ、ナポレオン ボナパルトのような下級の田舎貴族が頭角を現し、ヨーロッパ中を荒らし回った後、ロシアを含むヨーロッパ諸国の王侯貴族社会形態は次第に揺るぎはじめ、崩壊の兆しを見せ始めるに至った。
 その混乱がもたらした、それまでの支配階級であった人々の逃避は、既に十八世紀後半の市民革命で勝ち取っていた自由の精神を生きるパリへの逃避となったのであるが、其々の異なる民族の伝統文化を身に着けている異国人たちが入り混じる無秩序なパリが、あらゆる国の文化的人種の集まる温床になったのは当然であろう。
 その自由の精神の下で、互いに刺激し合いながら新しい思想、新しい表現芸術、新しい作風そして新しい発明、技術が発達していった。
 いつの世でもCAOS(混沌)は、何かが生まれる母体なのである。

「F.ゼフィレッリは悪いとは言わないけれど、掘り下げ方が足りないとは思うけれど、、、、」
 アンドレア、エリア、ジョルジョ、エミリアを加え二日目の公演が終ってからマリアム達は連れ立ってカッフェ ビッフィに繰り出した。
「マリアムはそう云うけれど、僕はそんなに悪くはないと思うが、、、」
とエリア。
「L.ヴィスコンティの弟子だからその線を追っているつもりだろうが、才能の差はどうにもならない」と、ジョルジョがF.ゼフィレッリを皮肉る。
「表面的すぎない?」とマリアム
「うむ、其処が才能の足りなさという所なんだ。L.ヴィスコンティが拘りを持った舞台装置やコステゥームは、それらが彼の創造する世界に絶対不可欠である重要な要素なのさ。ところが、ゼフィレッリには最も大切な演出意図が何時もぼやけている。ヴィスコンティ風にコステゥームや舞台装置をやたら豪華にして見せるが、肝心な演出意図が絞られていない。彼の映画作品にしても同じことが言えるね。適役と思われるアクターやコステゥーム、装置にえらく凝っているのにも拘らず、その作品で彼が何を表現し伝えようとしているのかが、まるでこっちに伝わってこない。僕は彼の作品を観た後で、いつも欲求不満になりイライラする」
 マリアムは常日頃F.ゼフィレッリに感じていた不満を、ジョルジョが容赦なくバッサリと切ったので胸の奥のもやもやが晴れ「わが意を得たり」と、すっきりした。
「L.ヴィスコンティ演出のオペラ リリカに限って言えば、マリア カッラスの<ラ トゥラヴィアータ>なんかは、、、、」
「ふーん!」と期せずして、四人が声をそろえて唸ったので、爆笑となった。何故かと云うと、友人達は皆、ジョルジョのM.カッラス崇拝はいやというほど知っているし、同じテーマは暗唱できるほど聞かされていたのである。
しかし、ジョルジョは少しも怯むこと無く、少年の様な目をしばたたかせて笑っていたが、皆の笑いが収まるのを待ってから
「いや、僕はべつにカッラスを話すつもりじゃ無かったのだよ」
「そうそう解ってます、そんな言い訳はしなくたって、、、」
と、エミリア。
「そんなにマリーアの話をするかなあ、僕は?」
と言ったので、更に皆の笑いを誘う結果になった。
「あんたが、マリア カッラスの<ラ トゥラヴィアータ>を持ち出すんだったら、わたしはル―ディの<マルグリットとアルマン>を話すわよ」と、R.ヌレイエフにぞっこんのエミリア。
「ありゃ甘ったるすぎるよ、ミリーは全く少女趣味なんだなあ、あのバレエのエンデイングの演出には、僕は納得しない。安っぽいよ!」とジョルジョが言うと、エミリアは急に気色ばんでジョルジョを睨んだ。
          つづく


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