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霧の宴  ミラノ Ⅴー5                                      Al di Là (アル ディ ラ) 彼方に

*マリアム巡業に出る。演技への開眼。アヴィニヨンでミシェルの演奏に感動し生きるARTEを体感する。ミラノに帰り、アンドレアの墓に参る。
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 全てを振り切って意に沿わない巡業に出たマリアムの芝居に没頭する姿に、共演者たちは少し恐れを感じていた。重要だが脇役であるのにも拘らず、あまりにも真剣に取り組む彼女の演技は、何かにとりつかれた様な一種異様な雰囲気を醸し出していて、近寄り難たかった。
 舞台を終わってからも「No.no.no.non è così 、  impossibile!」と、声に出して独り言を口にしたり、独りで何かを摸索している様子で、時には空間を凝視して、低い声でぶつぶつと呟いている姿を何人かの同僚が見かけていた。同僚の一人は、彼女の神経が壊れ始めているのではないかと本気で危惧し始めていた。
 一方マリアムは同僚たちの心配をよそに、自分の演技の詰めの甘さにいらだち、神経を研ぎ澄まして、短いセリフ、些細な動き、視線にも全神経を注ぎ、どうすれば苦手なこの役に熱い血を通わせながら、無駄のない伎に到達できるかを思索しているのであった。
 先ず客観的に自分が納得出来、他者が良しと評価しなければならない。
 このツアーを受け持っている気難しい演出家とは、マリアムはかなり感覚上の喰い違いがあった。それでも決して容易に妥協することなく、彼の演出意図のギリギリの線で自分の演技を試みていた。
  納得のいかない演技を繰り返してるうちに、サン セバスティアンの公演中、突然フッと霧が晴れたように執着していた拘りから解き放たれ自由になり、マリアムは初めて自分にぴたりと納得できる演技が出来た、と感じた。
 翌日の新聞に<狂えるオルランド>の記事が載っていたが、マリアムの演技にかなり好意的なコメントがあり、自分の意図がある程度他者に伝わったことが嬉しかった。
 朝食を取りながら新聞に目を通していると、演出家が近寄ってきてマリアムの座っているテイブルの向かい側の正面に座り「昨夜の演技は、今までで一番良かったんじゃないか」とツアー開始以来一度も見せたことのなかった笑顔で云った。

 やがて、行く先々の公演の合間を縫って訪れた美術館や博物館での印象や驚きを、マリアムはようやく、そして何時もそうしたようにミラノの友人たちに書き送り始めた。
 美しいローヌ川沿いのアヴィニョンの町に足を踏み入れた途端、その地を訪れるのは初めてであったのにも拘らず、マリアムはなぜかこの古色豊かな中世の空間を、懐かしいと肌に感ずるのであった。
 ツアーのメムバーの一部の入れ替えがあり、新しく加わったメムバーとの打ち合わせの合間の時間を利用して、プティ パレ美術館を覗きに行く。
そこで、思いがけずS.ボッティチェッリに出くわした。その<聖母子像>には、親方のA.ヴェッロキオやF.リッピの影響が色濃く見られることから、おそらくS.ボッティチェッリ初期の作品であろうと思われた。
ミラノのポルディ ペッツオーリ美術館の<祈祷書の聖母像>の、あの優雅な優しさは未だ見当たらない。マリアムは<祈禱書の聖母像>を思い浮かべながらクレリア夫人を想い、何も告げずにミラノを発ってしまったことを悔やんだ。
 そしてその夜、クレリア夫人に宛てた長い手紙に何の知らせもなくミラノを発った非礼を詫び、夫人が何時も心待ちしている、ここ数年恒例になっていたファノの公爵邸でのヴァカンスは、その夏に限ってお邪魔できないことを詫びた。
 自分が出演するロカンディーナを見に行くと、<狂えるオルランド>の他にA.オネッゲルの<火刑台上のジャンヌ ダルク>が目に留まった。
兼ねてから、役者として密かに熱望してやまないオラトリオである。音楽の部分の歌手名を見ていると、その中にミシェルの名前を発見して驚いた。同性同名の他人であろうかと疑った。しかし、確かにソプラノと書かれているし、友人のミシェルの可能性が高い。しかもこのオラトリオの公演の合間に、彼女はLes six(フランス6人組)の小品でリサイタルを開くことが決まっているではないか。
 自分の出演日程表を見ると、運よくその日は出演しない日であった。
そこで一計を案じ、ミシェルには何も知らせず、こっそ聴きに行くことにきめた。
 ミシェルのLes sixのプログラムに組まれているA.オネッゲルの小作品は、マリアムがこよなく愛する作品で、以前に何曲か勉強したことがあった。
ミシェルがどのようにA.オネッゲルを表現するのか、常日頃ミシェルの音楽性に畏敬の念さえ感じているマリアムにとって、興味以上の期待があった。
 演奏は果たして、マリアムの想像をはるかに超えるコズモの領域であった。まったく衒いの影もない、淡々と呟くような、表面は虚無的でありながら、しかしその内面には密度の濃い感性と精神性とが凝縮されて秘められ、狂おしい程の熱望が充満している不思議な<静>の世界であった。それがこちらの肌ににひしひしと伝わってくる。それは表現という安易な言葉では言い表せない、極限の<美>を呈している。
その時、マリアムは一人の真の芸術家の偽りのない<BEING 存続し続けている命>からのメッセイジを、全身全霊で受け止めていることを確信していた。
ーこれがA R T Eなのかー
 込み上げてくる感動に震え、胸の奥に突き上げてくる忘れかけていた或る不思議な感覚に、マリアムは溢れる涙を抑えることが出来なかった。

 それとなく恐れながら予期していたとはいえ、アンドレアの死の現実を未解決のまま心に抱え、マリアムはヨーロッパ中を放浪し続けていた。だが、図らずもアヴィニョンでミシェルの演奏に出会い、彼女の歌うA.オネッゲルの<Trois Psaumers 三つの詩篇>に魂を激しく揺さぶられ、胸の奥深く澱んでいた重い霧は次第に消え失せていった。
 やがて、マリアムの心はそれまで経験したことのない、夜明けの湖水の表皮の様に穏やかな<空 クウ>に満ちてゆくようであった。
ーわたしは、もう歌うことはないであろうー
疑いようもない一つの終止符に到達したことを確信して、晴れやかに背筋を伸ばし、目の前に伸び行く道を正視した。

 巡業を無事に終えて、ミラノに戻って来たのは二月の末である。
巡業地最終公演の北ヨーロッパは未だ冬で、雪の装いであったが、列車でアルプス山脈を超えてミラノに近づくにつれ、幼い緑が息吹きはじめているのが車窓から手に取るように見える。
 久しぶりのミラノは、思わせぶりな忍び足の春を感じさせ、薄汚れた街並みも親し気で、道行く人々の声高い会話が、待ち遠しかった美しい季節への思いを膨らませて懐かしく、マリアムの心を和ませてくれた。

ーアンドレアに会いに行こうー突然、マリアムは声に出して云った。
思えば、あの日、自らを追い立てるようにして、頑なに心を閉ざしたままミラノを後にしたのであった。
 紺色のローデンの人影が路上から消え失せ、一年が過ぎようとしている。
 真っ白な大理石の墓石に、アンドレアの写真が埋め込められている。それはマリアムには馴染みのない、たいそう若い頃の肖像であった。しかし、穏やかに微笑みながらこちらに向けられている眼差しは、生前友人達が愛したアンドレアその人のものである。
 命日が近づいていることもあってか、親しかった友人達が訪れたのであろう、墓石は彩とりどりの花々で埋もれそうに囲まれていた。
 自分でも驚く程マリアムの心は穏やかで、アンドレアの眼差しに微笑みを返しながら、ーただいま戻りましたーと語りかけ、携えた白いバラをゆっくりと一本また一本と飾り付けてゆく。
すると、朝霧の中にうっすらと露を含んだ陽の光りのように、幽かな旋律がはるか遠くに聞こえ、やがてそれは近づき明確になり、呟きとなってマリアムの唇を動かしていた。
ーFrägt die Velt die alte Casche  Tra la tra lalala,,,,,,,,,,
 世よ、我らに汝は問いかける トラ ラ トラ ラララ、、、
ーEntfernt  men Tra lalala la la la la la Tra lalala
  答えは トラ ラララ ラ ラ ラ ラ ラ トラ ラララ
ーUn as men konnen sagen  Tra lalala  Tra lalala
 答えられなければ トラ ラララ トラ ラララ
ーFrägt die Velt die alte Casche Tra la lalalalala Tra  la lalalala
 世よ、我らに汝は問いかける トラ ラ ラララララ トラ ラ ララララ

  L'Enigme  Eternelle       永遠の謎
  Deux  Melodies  Hébraiques より
    Maurice   Ravel
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