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移りゆく夏の日々に

 緑を含んだ空気が、明けきらぬ朝の寝室に流れ込んでくる。
夏、わたしは夜の間 寝室とロフトの窓を開け放しておく。
山裾にあるわたしの山荘は、この数年の間に育った様々な木々の緑の帳に埋没する。その中で、このまま死んでしまいたいと願う程の幸福感を感じている。
幼年時代、わたしは夏が好きではなかった。
 三人兄妹の末っ子に生まれたわたしは、どちらかと云えば母から疎まれる存在であった。明治生まれの両親にとっては、10月生まれの長男と同月生まれのわたしは、てっきり男の子であろうと期待されていたのにも拘らず、あろうことか女の子であった。がっかりした両親は、名前を付ける気にもなれなかったのか、暫くは名無しのゴンベイであったらしい。しかも、母にとっては欠点だらけな子で、色黒、ちびっ子、左利き、わたしの異様に素直、神経質、低能で不美人等々、上げたらきりのない程欠点だらけであったので、母としては一生涯この出来損ないの子の面倒をみなければならないと、うんざりしたことであろう。実際に、10歳年上の兄や5歳年上の姉は、全てにおいて出来が良かった。今思えば、おそらくその頃のわたしは、少し神経を病んでいたと思われる節がある。三日間ぶっ続けで死んだように眠ってしまうとか、気に入らないことがあれば気を失って手足が冷たくなり始めていたとか、かなり危うい逸話がある。
 わたしの小学校入学式には、母の弟の嫁である叔母がついてきてくれた。母は姉の女学校の入学式について行ったのであった。
出来損ないの末っ子の学業の成績など、母はとんと興味を持たなかったので、一年生を終わる時、最優秀賞の賞状と一緒に靖国神社の門が印刷されている五十銭札2枚が入っているのしのかかった封筒を学校長自らの手で渡されたのには、母は仰天したのであった。わたしは学期末の成績表なども見せていなかったし、ましてや学級委員をしているなどとは、母は知る由もなかったのである。わたしは、只々家庭内の出来損ないを甘受していた。
そんなことで、夏休みは悪夢であった。
愛する読書も、頭脳明晰な姉が夏休み中監視するのには参った。
読みたい本を買いに行こうとすると、必ず彼女がついて来る。わたしは装丁の美しい新仮名の本が欲しいのだが、彼女は同名の旧仮名の文庫本を棚から取り出し、パラパラとページをめくり、開いたページの中の一番難しそうな漢字を提示しながらこう云うのであった。「これなんと読むと思う?」。わたしは装丁の美しい新仮名の本が欲しいばっかりに首をひねって「さあ?」と答える。すると姉は、冷ややかな軽蔑したような視線でわたしを見下すのだが、出来損ないを演じるわたしは、自分が望む本を手に入れることが出来たのであった。
 夏の間、大人たちは昼食後必ず午睡をとる。
午睡を取らないわたしは、むせかえる暑さの中で読書にふける。至福の時であった。時折読みかけのページからふと視線を上げると、父の書棚のガラス戸に映っているオレンジ色の鬼百合のゆがんだ姿に、最夏の陽の光りが突き刺さって見える。とろとろと怠惰な夏の午後の時が流れ、わたしは<独り>
に満足し、J.ルナールの<博物誌>に再びのめり込んでゆくのであった。

      M.Grazia

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