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霧の宴    ミラノⅤ-ー1    Al di Là(アル ディ ラ )              彼方に

*ミラノの12月 我楽多市 Obej! Obej!  スカラ座のシーズンオープニング
ナターレ 大晦日
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 季節が、ミラノをそれらしく美しく楽しく装うことがあるとしたら、それは何時だろうか、とマリアムは一瞬首をかしげる。
 ローマにいた頃の友人が、ミラノを訪れるたびに口癖のように言い残してゆく「よくこんなところに住めるね君は、ここはイタリアじゃないよ!」は、時にはあの美しい永遠の都への郷愁に駆られ、マリアムの心を揺さぶることもある。だが、薄汚れた街並みを重い霧が閉ざしてしまう冬が近づくにつれて、人々がにわかに浮足立って街に繰り出し始めるミラノに、マリアムは限りない愛着を覚えるのに気づく。この町には眼には見えない何かが潜んでいるようだ。
 そんな十二月初頭、ミラノ市の守護聖人アムブロージョの祝日が近づくにつれ、ミラノで最も古いアムブロージョ大聖堂界隈では連日怪しげな、ミラノ語でサンタンブルーズの<Obej ! Obej! オベイ!オベイ!)と呼ばれている骨董市が立つ。言わずと知れた我楽多市とでも言った方が的確なのだが、それでも何年に一度かはとんでもない掘出し物があったりするので、人々はその期間中は毎日のように市に出向き、何某かの金を払って我楽多を手に入れる。
 或る年、その我楽多市でマリアムは埃にまみれて原型が何なのか判別できない奇妙な物体を手にした。彼女は直感で、それがかなり大きなデコルテの一種だと判断した。舞台で使えそうなヴォリュームである。
雪がちらつき始め、夕闇が迫っていた。おそらく売り手のおじさんは、早く店じまいをして家に帰りたかったのであろう
「いくらでもいいから持ってきな」と云って、くしゃくしゃの皺を伸ばした古新聞紙に包んでくれた。マリアムはおじさんに千リラを渡して、大急ぎで家に帰った。
 それは、二十世紀前半に破竹の勢いでファッション界にのし上がっていた
ココ シャネルの膝元を寒くさせた、エルザ スキャッパレッリの見事なデザインのゴージャスな代物であった。
E.スキャッパレッリの大胆で派手な、個性的でありながら格調高い作風は、これぞイタリアのアルテと言われるに相応しく、サルヴァドール ダリや
ジャン コクトウ等の、当時の前衛的な芸術達から絶賛されたのであった。
 ココ シャネルのエレガンスが一般向きであるのに比べ、E.スキャッパレッリの作風は、自由奔放な発想から生まれる創造物ゆえ、それを身に着ける人物を選ぶのである。
決して高価な宝石が使われているわけではなく、色ガラスを自由に大胆に組み合わせたその個性的なデコルテを、マリアムはクレリア公爵夫人が<アンティゴーヌ>の受賞時に贈ってくれたサファイアのデコルテ同様に最も大切な宝として愛でるのであった。
 十二月七日、ミラノの守護聖人アムブロージョの祝日は、スカラ座の新しいオペラ リリカのシーズンの幕開けの日である。
初日は、殆どが各界の重要人物やカーザ ヴェルディの人々の招待客で埋め尽くされる。政界や財界の重鎮なども参列ことから、常日頃様々な不満を抱えている革新派の若者たちが、劇場を取り囲み、日ごろの政治不信への憂さ晴らしとしてデモンストレイションを爆発させる。
しかし、それも毎度のことなので、もはや一種の恒例の儀式のようになってしまっている。
 昔はサンタンブロージョの翌日、十二月八日にナターレの飾り付けが解禁され、路上にはナターレ用品や子供向けのプレゼントや飴細工の菓子等を売る屋台が並び始めるのが常であった。人々はナターレに個性的な贈り物をと考え選ぶのにあれこれ頭を悩ませ、派手なイルミネイションが夜空を彩る大通りを右往左往する。
 しかし、マリアムにとってのナターレは、雪に埋もれた北ヨーロッパの、あの素朴な手製のジンジャー入りクッキーをぶら下げた樅木と蠟燭の灯が揺らぐ、厳粛なイヴの真夜中のミサに出かける前の静かなひと時から始まるのだが、、、。
 そして二十五日の昼の正餐といえば、女主人の美食の贅を尽くした料理を思う存分堪能した後で、恒例の儀式の締めくくりとして、有難くないパネットーネの登場となり、パネットーネの譲り合い遊戯が始まる。なるべく小さな一切れをと望むので、少し大きめな一片が目の前に現れると「どうぞどうぞ」と隣の人に譲る。するとその人も「いえいえ、どうぞそちで、、、」と押し返してくるか、反対側に座っている人に尤もらしく「どうぞ」と皿を差し出す。
物資が乏しかった昔ならいざ知らず(確かにパネットーネの発祥地はミラノと言われており、貧しかった時代にせめてナターレに少しでも菓子らしいものを食べたり贈ったりしたいと言うことから始まったと云われている)、
美食にならされてしまった現代では、伝統的なパネット―ネは歓迎されないのだが、それでもパネットーネの無いナターレは考えられないのである。
      つづく


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