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ハードボイルド書店員日記【70】

年末年始の賑わいもひと区切り。昨日降った初雪の影響で、明日発売の雑誌と午後の新刊を載せたトラックの到着が遅れると連絡が入った。朝の時点ではまだ積もっていた。たまにアスファルトで靴底が滑る。車も急ぐのは危ない。

「仕方ないんですかね。道も混んでるだろうし」仕入れ室。共に荷受けに行く雑誌担当の男性がつぶやく。言葉とは裏腹に顔がヘミングウェイ並みに硬い。もうひとりの担当が突休したせいで、朝からずっとこの調子である。「そうだな。事故を起こさないことが最優先だ」「雑誌が当日の朝に入る店は大変ですね。この程度のことで到着が遅れたら」「というか、前日に入るのはウチみたいな都内の大型店だけだ」「え、本当ですか」都内でしか働いたことないから聞いた話だけど、と早口で付け加える。何でも知っているわけではない。

「でも先輩は当日入荷の店にいたんですよね?」「いた。朝イチから梱包を開けて付録を付けてコミックもシュリンクした」「10時に間に合うんですか?」「ムリなときもあった。あと客注担当を置いてないから、そっちの作業も同時に進める。開店直後に来る常連も何人かいたし」聞いているだけで目が回ります、と雑誌担当は眉間を親指と人差し指でつまむ。

午後2時。トラックはまだ着かない。軽く店全体の棚整理をし、NHKテキストを買いに来たお客さんに場所を案内して仕入れ室へ戻った。相変わらず腕を組んで憮然としている。「さすがに遅過ぎですよね」「さっきの話だけど」「はい?」「○○書店の○○本店わかる?」「聞いたことはあります。地域最大の本屋で、たしか1000坪ぐらいあるって」「そこも雑誌は当日の朝入荷だ」「いやムリでしょ」「昔の同僚がいま働いてる。多いときは朝に300近い雑誌の梱包が来るらしい」「300?!」声が大きい。「いや500だったかな? 雑誌扱いのコミック新刊も重なれば当然そうなる」ウチはどんなに多くても130程度。しかも前日の午後入荷なのだ。

「…ボクら、実は恵まれてるんですかね」しみじみとつぶやく。憑き物が落ちたように、という表現はこういうときに使うのかもしれない。「大変なことはみんな同じだけどな。都内も地方も。そして大型店も町の本屋も」「でも考えさせられました」「あと当日入荷しか知らない書店員はそれが当たり前だと思ってる」「ああ不平不満なんて言わないと」「だからこそ改善できることは改善してやりたい。そんな力はないけど」「書店の仕事って意外と奥深いんですね。全然知らなかった」この店のキャリアに限れば彼は私よりも長い。誰もこういう話をしなかったのだ。

「その辺の事情を知るための本って何かご存じですか?」「少し違うけどこれとか」PCのキーを叩き、木村元彦「13坪の本屋の奇跡」のデータを見せた。「町の本屋の奮闘記だ。加えて業界の理不尽な仕組みを学べる」「読んでみます」

電話が鳴る。取ってくれた。いつもPCの横に用意されているメモ用紙が今日はない。手帳のページを一枚切り離して渡した。数字が書かれる。雑誌も新刊もまあまあ多い。「すぐ行きますね。ありがとうございます」珍しい一言を添えて彼は通話を終えた。

ふたつ重ねた台車を仕入れ室の外へ押し出す。「先輩」「ん?」「ありがとうございます」「メモ用紙?」「それもですけど」口調は普段通り。だがマスクの下の表情がどこか違う。夜から朝。いや朝焼けぐらい。もうすぐ熱で雪も溶けそうだ。

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