舟でくらしてた頃 in HELSINKI
ヘルシンキに停泊する舟が、わたしの家だった。
ヘルシンキは沢山の舟があつまる港街としても有名です。
その舟の中には、海に出ることをすっかり忘れ、岸壁に根付いてしまったものもたくさんありました。
今日は、そんな舟に居を構え、ヘルシンキで暮らしていた頃の話を書こうと思います。
その舟の名はNIKOLAI ii
朝、船員の仮眠室で目を覚ます。
船底に設えられたその部屋は、二段ベッドが2つと小さなテーブルが1つ、ヒーターが1つと裸電球が1つ取り付けられた、簡素な部屋だ。
シャワー室は甲板の上、サウナに備え付けられている。
ご存知のとおり、サウナの発祥地のこの国では、船の上にだってサウナがあるのだ。木製でどっしりとしており、中は真っ暗。ひとつだけある小さな丸窓をのぞくと、ヘルシンキ大聖堂の青い頭が見える。
冬場はマイナス10度の極寒。
海風を浴びなければ、シャワーも浴びられないという仕打ち。波に揺られて、まさに自然のなかに生きてることを感じさせられる。
朝の支度を終え、食堂に向かうと厨房にはいつもエイベンの姿が。
ノルウェーから来た彼は、ラザニアが得意のノッポくん。
いつも帽子をかぶっているのは、どうやらハゲを気にしているらしい。
今は、朝食にヌテラたっぷりの特性サンドイッチを作っているようだ。
ちなみに、この舟を紹介してくれたのも彼。
職場の同僚でもあり、シェアメイトでもある彼とはとても気があった。最近彼氏ができたけど、どこに行けば良いかわからないなんて相談を受けることもしばしば。グローバルな恋バナだ。
この舟には、世界中からいろんな国籍を持った人が暮らしている。
もう名を忘れてしまったが、アメリカからきた青年には、のちに私の人生のバイブルとなる本を教えてもらった。
いつも朝方に、ベロベロになって帰ってきて、甲板で寝ている彼を、凍死しないように何度か部屋に運んだのが懐かしい。
一度、舟に渡るための桟橋を踏み違え、海に落っこちたところを目撃したことがある。そのときは、命の危機に瀕しても、ゲラゲラ笑っている彼の姿を見てぶったまげた。
エイブンとふたりで引き上げたが、唇は真っ青。きっと、アメリカ人は体よりも心がつよいのだろう。
観光客に尻をさらして
甲板からマーケットを見る
週末には、ちかくの広場が沢山の人であふれる。
オレンジのテントが連なり、トナカイの毛皮で作った絨毯や、色とりどりのベリー、真っ黄色なきのこが山盛りに積まれていた。
なかでも、サーモンスープのお店は大人気でいつも人だかりができている。
寒い朝には、ハフハフと白い息を吐きながら食べれば、体もあったまる。
すぐ側に停泊しているわれわれの舟は、実は100年以上前に作られた歴史ある木造船。
初めは、海上探査船として多くの海を渡り、第2次世界大戦時には救護線として、そして現在はレストラン&カフェの併設された居住船となっている。
その雰囲気を察知した観光客がまれに、船内まで侵入してくる時がある。
ある土曜の昼、みんながシャワーを使う時間を避けられたので、のんびり楽しんでやろうと息巻いていた。
サウナに入る寸前、海の方から突風が吹き上げてきて、腰に巻いていたタオルがひっくり返った。
そこにちょうど、カメラを持った陽気なイタリア人の集団と遭遇。
お尻をガッツリ見られてしまった。
しかも、その後拷問のように質問攻めを受ける。
なんとか自分が住人であること、彼らはサウナは使えないことを説明し、やっとの思いでシャワーにありつくことができたのだった。
プライバシーなんてあったもんじゃない。
いつもの散歩道
冬の戦い
観光地にど真ん中、立地の最高なこの舟にずっと住んでも良いかもと思っていたが、秋の終わりに退去勧告がでた。
理由は、水道が寒さで凍ってしまうので、死傷者が出る恐れがあるからだそうだ。
水が引けないと、船内をめぐるヒーターも使えなくなるらしい(温水を循環させるため)。
そんな急に言われても、ヘルシンキは日本で言う東京。
すぐに新居を見つけることはとても難しい。エイブンと画策して、もう少し粘ることに決めた。
翌々日、まずサウナのシャワーが使えなくなった。
凍えたからだが温まらないので、とりあえずサウナにこもり、窯に火を焚べて相棒を招集。
船外の水道管まで走り、寒空の下半裸でごちゃごちゃいじっていたら水が戻った。
夜間、水道管が壊れないように水が止められていたことが原因だったのだ。
体も温まり冷静になったところで、栓をもとにもどして就寝。
風呂に入るのも一苦労だ。
そのまた翌日、今度はキッチンの水も出なくなったので仕方なく引っ越すことに決めた。
渋々荷物を片付けていると、エイブンが見せたいものがあると言うので彼の部屋へ。
そこで見たものは今でも強烈に脳裏に残っている、なんと天井からカラフルなきのこが生えていたのだ。
この男はそのカラフルなきのこを同じ部屋のよしみとして大切にしていたようで、別れ難いと言っている。
しかし、胞子を吸って生きていたと思うとぞっとしてした。ノルウェー人はアメリカ人より体が強いのかもしれない。
第二の故郷ヘルシンキ
ヘルシンキ大聖堂
日本に帰ってきて、早いもので、もう2年が経とうとしている。
Nikolai iiで過ごした時間は、ヘルシンキで暮らしていた頃のたった一部の思い出でしかないが、とても楽しかった。
舟への帰り道、霧に濡れた石畳に映る街頭の明かりはとても幻想的だった。
エイブンがいつもかぶっている、圧倒的にダサいしっぽの生えた帽子もいい感じに見えるほど。
コロナが終わるころには、ヘルシンキはどんな街になっているのだろう。
だんだん、行けない言い訳ばかりが自分の中にたまっていっていくような気がする。
コロナ、年齢、仕事、お金、恋人、家族、、、、
いつか全部の霧が晴れたら、今度はヘルシンキヤギとして生きて行くのも良いかもしれない。
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