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大学院時代を黒歴史にしてしまった私の話

前回の投稿で書いたけれど,改めてプログラミングを勉強しはじめた.
情報系出身の割にコードが書くのが苦手なのだ.これも書いたか.

折角大学院まで行ったのにその出来かと思われるだろう.自分でもそう思う.その反省含め,ここにつらつらと書いていきたい.

学部生時代

私は元々文理融合型を謳った学部の出身で,良く言えば文理両方とも学べる,悪く言えばどっちつかずであった.何かを勉強したいと強く思っていたわけではない私は,学部2年間をすごくふんわりと過ごしてしまったのだ.

でも3年目にして新しく来られた情報の教授が素敵だったのと,うちの学部では珍しい院生の方と関わる機会があって,初めて大学院進学というのを視野に入れた.

今までふんわりとしか大学生活を送ってしかいなかったから,様々な知識がすっぽ抜けていたし,院進学する人が少なかったから情報収集からはじめなければならなかった.

何が勉強したい,追求したいという気持ちではなかった.ただ院進学したらこんな自分でもどうにかなるんじゃないかという気持ちだった.

研究室探し

外に出たほうがいいという先生の言葉を受け,外部の様々な研究や研究室を調べ,必要あれば研究室に伺ってを繰り返していた.ただ元の知識が薄いため,行ったところではてなが浮かぶこともしばしばあったけれど.それでも理解しようと色んな研究室に顔を出した.

いくつかの候補を挙げ,あーでもないこーでもないと悩んでいたのだが,最後に行った研究室の先生が私にとって運命の出会いとなってしまったのだ.

元々研究内容が当時波に乗っている分野であり,個人的にはポイントが高かったのだが,教授から話される研究室の様子や研究室の様子までが私のドツボにはいってしまったのだ.

極めつけは推薦枠で入れるのではないかの一言.大学受験にことごとく失敗した私は試験に苦手意識を持っていたため,優柔不断な私にしては珍しくその場で即決したのだった.ただこの決断が後々響いてくる.

大学院1年時代

研究室に入り,個性豊かな同期と後輩と先輩に恵まれた.変なイベントやイタズラが発生する研究室はいい意味で馬鹿げていると感じ,大学生時代をふんわりと過ごしてしまった私は変に浮かれてしまったのだ.

だから何の策もないけれど,研究は上手く行くような気がしてしまった.
学部時代の先生から研究のお誘いを受けたけど,研究室で研究するんだと変な意地を張り,断ってしまった.

ただ.ここまで読んでいてお気づきだとは思うけれど,そんな研究室自体が楽しいからといって,研究は上手くいかない.外部から来たため新規の研究の立ち上げる必要があったのだが,夏になっても研究の進め方の目処がたっていなかった.変に焦ってしまった私は,とりあえず毎日研究室に行くことしか出来なかった.

昔からのことなのだけれど,私はコツコツというのが非常に苦手であった.気が向いたときにワッとやって放置して,ワッやって放置しての繰り返しであった.子供のときはそれでも良かったが,ものが難解になるにつれて何も残らなくなってくる.

そのため,研究室で何かしなければと思いプログラミングの勉強や論文読みを始めるのだけれど2日もするともう放置してしまい,今では勉強したことの片鱗しか頭に残っていない.

また担当教授は自身は元々お忙しい方というのもあり,基本的な考えは学生主体で進めていた.もちろん助けを求められれば対応するというものだった.ただ基本的に人に頼るのが苦手な私は自分からヘルプサインを出すことが出来なかった.先生にも,同期や先輩にも.

そう私の性格と教授とのミスマッチがここで判明してしまったのだ.
自分の性格を考慮せずに即決をしてしまった結果である.

こんな自分を恨みつつ,でも変わることはできず,ズルズルとそんな生活を続けてしまうのだ.

大学院2年時代

院に入って1年が経ち,すっかり就活シーズンになる.私は研究がほぼほぼと言っていいほど進んでいない状況であった.このとき思うのである.学部の先生からの研究の誘いを断っていなければ,何かしらの研究は進められていただろうにと.今となってはひっぱたきたい話である.

ただそんな過去の自分を恨んでも,就活では研究の話もしなければならない.学部生時代の研究はそれなり形になっていたため,それを中心にざっくりとした修論構想を付け加えることでどうにか乗り切った.そして本命ではないけれど内定はゲットすることができた.

就活も落ち着き,研究しなければとなるのだけれど,データ作りからしなければならないことになってしまったのである.そもそものデータを作るって非常に時間がかかることなのである.またプログラミングをちゃんと習得していないため,なおのこと時間がかかる.

大学院生活半分以上過ぎてる.研究しないといけない.でも一人ではどうにもならない.その結果申し訳ないことに,同期パワーをフル稼働して大部分を手伝ってもらった.

そして修論締め切りのギリギリまでそんなことをして,付け焼き刃の修論と発表ができあがった.他の教授からは色々言われ,メンタルブレイクもした.このときの修論はもう思い出したくもない.

それでどうにか私は大学院を卒業できることが決まった.

(ちなみに卒業できなかったらどうしようという不安から,食事睡眠はおろそかになり,私史上の最低体重を記録した.)

社会人になって

1年目は研修だなんだと色んなところに行っていた.ただ,それだけ集中してやっているのに,プログラミングが上達する兆しが見えない.何かを作ろうとか成し遂げようという意欲が欠けているのだろうなと

2年目からちゃんと部署に配属されて仕事することになった.
文理融合から一気にガチガチの理系に飛んでしまったことを言い訳に情報系の基礎知識は抜けている.そもそも配属された部署の分野が違いすぎて内容についていけないし,数少ない研究した知識も活かされない.付け焼き刃のコーディングしかしてなかったから頼まれたところで中途半端なコードしか書けない.などなど,ポンコツぶりを発揮した.

ちなみに現在進行系である.

きっと職場の人には院まで行ったのにこんなことも出来ないんだと思われていることだろう.そんなんで仕事する度,毎度胃がキリキリしている.
(ちなみに今の体重は大学院2年時に並ぶ最低記録である.)

同期は私なんかより給料のいい会社に勤めていたり,フリーランスで働いていたり,博士課程に残りどんどん結果を出していく中で,この私のダメっぷりである.

今では自分の情けなさと直面するのが怖くて,仲の良かった同期と顔を合わせたくないとまで思ってしまうのだ.

まとめ

院進学さえすればどうにかなるんじゃないかとしか考えてなかった.その甘々な考えの成れの果てがこれである.
今だったらもっとちゃんとした2年間を送るのにという,定型文のような負けゼリフしか出てこない.

これから院進学を考えている人,すでに大学院に進んでいる人.
こんな私を反面教師にして有意義な学生生活を送ってほしい.

そして私みたいな学生生活無駄にしちゃったと思ってる人.
辛いよね,情けないよね,虚しいよね.
でも肩を抱いて,そんなんだけど一緒に頑張ろうと言い合いたい.

とりあえず,何もしないとひたすらマイナス方向にしかいかないため,何かしらしようとProgateとAidemyをはじめてみた.まだ2日だけど.

形になるかどうかは分からないけれど,何もしないよりかはいいんじゃないかな.なんて珍しい楽観主義者の自分が顔を出す.
ただ3日坊主になったら大学院時代の繰り返しなので,このnoteみたいに少しでも続けたい.

勤勉な私,目覚めよ

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