【本とわたし】 書くことはまさに自分との再会なのだから。
だめをだいじょうぶにしていく日々だよ、と。そっと声かけられているようなタイトルに惹かれた。
だめ・だめを、だいじょうぶ・だいじょうぶ、にしていく日々。著者きくちゆみこさんの、丁寧に紡がれた日常を読みながら、自分もなんだか救われていくような気持ちになっていた。
●いてほしいときに、いてほしいの!
ビー、ヒア、ナウ!(Be here now!!)
ほんとうにそうですよね! そうですよね!と深く頷けた言葉。シンプルにこれです。私もあなたも求めること。
子どもと共に暮らしていると、『あ!きっとあのとき(ママいて欲しいの)を言いたかっただんだろうな』と思うシーンが、いくつか頭に浮かんできた。あなたが求めていたとき、私はそばにいてあげれていただろうか・・・と過ぎた日々を思う。
ほんとうにそうです。子どもの「いま」は、ほんとうに『いま』それを逃さないようにしなくては、と改めて思った。
そして大人の私だって時々、『今いてほしいの!』と思うときがある。
苦しいとき、悲しみを分かち合いたいとき。
ただ耳を傾けて聞いてもらいたいとき。
今一緒にいてもらいたい!って、思うときがある。
●自分自身を細部まで大切に扱うこと。
わたし、ここの文章大好きです。こういう考え方が好きです。
自分のために涙を流す。大切な瞬間だし、大切な時間だと思う。
昔は、そういうことに少しだけネガティブに思っていたけれど、今は堂々と泣きたいときは泣けばいいと思う。それは自分にだけでなく、目の前にいる大切な人にも思う。泣いてもいいよって。
歳を重ねるたびに、『自分をどのように扱ったら、わたしは喜ぶのかな。』『自分が丁寧に扱われていると感じるときはどんな時だろうか。』と、その答えを、ひとつひとつ分かってきているように思う。
自分をほんとうに大切にできなかった、そんな時期が長かったからこそ、その大切さというのを今噛み締めしているように思います。
●壁の花だった。
あ、私は、壁の花。わたしはきっとあの時(いつもあの時間だけは、)きっと『壁の花だ』と、この文章読んだときハッと気がついた。自分のことを花にたとえる気恥ずかしさ、私も昔あったけれど。いまはそのセルフイメージを大事にしている。
私は十数人が集まる輪のなかで、7時間ずっと周りを観察した。自分の心を。また他の人の心の動きを。場に流れている空気を。
私はひとことも喋らない。ただ呼吸して、静かにその場にいる。すべてを理解している、このことはちょっと横に置いておく。でも、私は壁の花だった、そこに静かに座って聴いていた。
帰りに先生から『姿勢もよろしかった、大変良い聴き方でした』と、丁寧にお辞儀をされたとき、「ありがとうございました」と言った私の心が震えていた。帰りの夜の道を、泣きながら駅まで歩いたことを、いまでも覚えている。
これまで何度も課題と感じていた『傾聴』『自分の在り方』『ただここにいる』・・・あの日は間違いなく、ひとつの分岐点だったと振り返って思う。今でもこの場の修行は続いている。
読んだ本から感じたこと、思ったことを、自分なりに言葉にして表現する。私とってひとつの区切りの場としてnoteの使わせてもらっています。
自分との再会の時間にもなっているかもしれません。
今日も読んでいただきありがとうございました。
暖かくなったり、また少し寒くなったり、まさに三寒四温。
季節が移り変わる時期ですね。どうかお身体ご自愛ください。