見出し画像

【本とわたし】 「生きがいと自由」についてちょっと考えたい気分。

今日はちょっと深いテーマになるのですが「生きがいと自由」。ちょっと内省したいなと思う文章に出会ったので、そのことを綴りたいと思います。

もし、君が感じている生きがいが無くなってしまったとき、君がここに存在している意味は消えてしまうのだろうか。
生きがいは幾つかあるから、一つくらい消えても問題ないと言うかもしれない。それならすべてが無くなったら、君の人生は生きるに値しなくなるのだろうか。
仮に君が、自分が生きがいと感じているものが七つあるとする。でも、それらがすべて奪われる人生もあるかもしれない。そうしたら、生きる意味は、君の人生から奪われてしまうのだろうか。

読み終わらない本 P102

 あくまでもきっとこう思うだろう、ということしか言えないけれど。私にとっての生きがいが、もしもすべてが無くなったとき。私は絶望するんだろうなと思う。これから何をどうして生きていけばいいんだろう、と彷徨う。一度人生が閉じる。扉が閉まるような感覚。すごく辛くて泣くんだと思う。自分の内側に入って、とことんその絶望と向き合うことになる。そしてそれを失ってはじめて、その大切さを噛み締めて、分かることもある。それに依存していたことも本当に知ることになるように思う。
そして、ここからは私がそうでありたいと願っていることだけど。わたしの生きがいを人生からすべて奪われていたとしても、私はまた生きがいを自らのなかから見つけ出したい。見つけ出せる。なぜそう言い切れるのか?といえば、理由なんてないのかもしれない。自分で強くそう思っているから。その強さというか、見出せる自分がいる!と私はわたしを信じているから。

そう考えてみると、ぼくたちの人生はつねに何かに脅かされている、ということになる。大切なものを胸に抱くようになればなるほど、生きる意味が奪われるのを恐れるようになる。生きがいを感じる人生であればあるほど、不自由になるのかもしれない。
今日は、君と「生きがい」と「自由」という問題を考えてみたいと思う。
この二つの言葉の関係はとても深い。自由のないところで生きがいは感覚しづらく、生きがいを感じるとき、ぼくたちは、真の自由とは何かがわかるのかもしれない。

読み終わらない本 P102

 確かに人は、生きがいというのを手に入れるのと同時に、突然なくなる、いつか奪われるかもしれない、というような恐怖を心のどこかで感じているのかもしれない。生きがいを実感できるようになったというのに。それもちょっと悲しいような。
けれど、「生きがいを感じる時、僕たちは真の自由とはなにかが分かる」これ、本当にそうだなぁと思う。

これがわたしの生きがいです!というそれは、それを言葉にするのは難しくて。言葉にできない。でも確かに存在する。自分だけにしか分からない個人的なもので、わたしの目にしか映らないもの。
それを胸の中でじっと抱きしめているとき、わたしは生きがいを感じながら、自由をも感じている。開放感。心地良さ。
何にも縛られていない。誰かの目にも触れず、他人が評価できるわけもなく、それは比べようのないもの。何年も外を探しまわっていたのに、それは全然見つからなくて。たとえ見つけても、私の手からするりと落ちていった。そしてようやく分かった、それは、自分の内側の世界にあったということ。



やっと春うららかな陽気で、うれしい気持ちです。どうぞお元気でいてくださいね。あなたの健康と幸せを心から祈っております。

この記事が参加している募集

#わたしの本棚

18,272件

#今こんな気分

75,545件