【本とわたし】 素直なことばで、本当のことだけを語りたい。
先日東京に雪が降った翌日。その日もともと親子でデイキャンプに参加予定で、思いがけない空からのギフトに私たち親子も、参加した皆さんも大喜びでした。
見上げれば、冷たく澄み切った青空。鼻に入る空気の冷たさ。吐く息の白さ。目に映る一面の雪景色。太陽に照らされた森は、きらきらと輝いて眩しい。それはそれは美しかったです。
1月に入ってからnoteを綴ろうと思っても、何を思いを気持ちを書けばよいのか迷ってしまいずっと手が止まってしまいました。これまでも手が止まることは何度もありましたけれど、本当に書けない。しかし、書けない時期もまたいいのではないかという思いもありました。何も書きたいものがないのかといえば、そうではない。むしろ、心のなかに何か想うものを宿している。それは、どうやらずしりと重みのあるもの。それは、簡単に言葉にできないもの。言葉や想いを温めている、この時間の長さもまた、良きものだという思いが私にはありました。
何も心の準備なんかできないのだ。
2024年、最初に読んだ本はこちら。ちょうど一年前に出会い『あ、これは毎年一月に読んで気持ちを整えましょう!』と決めました。昨年の付箋がそのままに、一年振りに読み返してみる。すると、また違う言葉が響いてくる。今、私が思っていること、考えていることが、そのまま付箋をつけた言葉に現れている。
『長い目で、今を生きろ』はすごく刺さる。
今まさに、私が欲しかった言葉でした。
何も心の準備などできはしない。ある日突然やってきたものを、怯えながら、うろたえながら、受け止めるしかない。そう、泣きながら。しかし、この『泣く』というのが大事な過程だと思っている。泣くから前を見て進める、進んでいける。そんな気がしてならないのです。
許可を与えるのは私しかいない。
この本については、今ここですべてを語ることのできないほどです。とても学びが深い本でした。ここに書かれていることから、自分がつかみ取っていきたいこと、すべてを味わい尽くそうとするならば、この一年はかかるんだろうなと思います。しかし、そういう本と出会えるという「運命」というか、そう簡単にあることではありません。だからこそ、貴重な一冊と出会えた喜びに浸っています。
話すこと・聞くこと、それは日常に当たり前に繰り返されているなかで、意図してそれを深めようとか、見直そうとか、変えようとか、自分がそう思うわない限りはなかなか起きにくいことだと思います。しかしひとたび、そのきっかけが与えられれば、口火を切られたように勝手に広がっていく。今の私がまさにそんな感じです。
私個人の意見ですけれども、生きていくうえで、コミュニケーションは双方の「言葉」のやりとりになるけれど、その「言葉」にはその人の生命が宿り、これまで歩まれてきた物語から自分が獲得してきた(見つけてきたとも言えるかもしれません)言葉が発露される。その人がそのまま現れる。
何を話すのか、またどんな言葉を私は耳にするのか。対話の深さを、もっと味わいたいなと思っています。
著者の尹雄大さんが「あとがき」で
本当にそうだなと思う。気づくか気づかないか、この差はとても大きいと私も思う。「気づく→眺める→観察する→ジャッジしない」生きているうちに、無意識にできるようになりたいな、と密かに思っていることです。
さいごに
今年noteを綴っていく中で、どんな言葉を、また想いを、ここに表現してゆこうかと毎日思いを巡らせております。公式noteであるがゆえに、色々と考えてしまっては手が止まってしまったり、削除してしまったことは、これまで何度もありました。一度冷静になるという過程は、私にとって大事なことだと思っていて。削除するにも、それなりの何か引っかかりや理由があるから。
それでも、その過程をくぐり抜け「これは出したい(出そう!)」そう思える、自分が納得している文章を書くこと、より一層自分を表現できる私でいたい、そう思っています。
自分に問いかけて思うのは、やっぱりこの思いなんです。誰かとの対話においてもそうですが、noteという場でも『素直なことばで 本当のことだけを語りたい』その溢れでる思いを、素直な言葉で語ること。2024年の私のnoteにおいて、怖がらずに恐れずに、ここに挑んでいくこと。もっと言うなら「わたしを表現していくこと」の挑戦でもあります。どうぞお付き合いください。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。