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赤ん坊は風呂場で産まれた vol.1

ちょうど1年前の春。

わたしは小さな助産所で赤ん坊を産んだ。

これが想像していたよりもはるかに素晴らしい体験だったので、命の誕生について、わたしの体験した世界を言葉にして残しておきたいと思う。

いま、テレビをつければ耳を塞ぎたくなるようなニュースがずらっと掲げられ、わたしは「この死にたくなるような日本はなんだ!」と腹が立ってくる。

なんのために生まれてきたのか。自ら死を選ぶために私たちはこの世界を生きているのではない。

命の誕生は、希望に満ち溢れている。何者でもない”命”が初めて外の世界に出て、全身の力を全て使い、呼吸をするときのエネルギーは、「生きよう」とする力で出来ている。

この世界を謳歌しようと、力いっぱい産声をあげて誰もがうまれてきた。

希望以外に、他に何があるというのか。

誰もがみんな生きたいと思って、この世に生まれてきたことをどうか忘れないでほしい。死にたくなるような世の中なんて、糞食らえだ。

こどもが生まれてきた時のことを、記しておくことで、きっとわたしはこれからの人生で、ここで書く言葉たちに何度か救われることがあるはずだ。

生きることは、楽ではない。

わたしだって、35年の人生の中で何度か、生きることに意欲的になれなかったことがある。

だけど、わたしは世界は美しいことを知っているし、人生を謳歌できる方法を知っている。だから死んだりしない。

まだ身体は動くんだ。

自由に歩くこともできる。

目で雲を追いかけることだってできる。

話すこともできる。

食べることは美味しい。

少なくとも、わたしは希望を捨てない。

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出産の話を詳しくする前に、なぜ助産所を選んだのか

わたしには二人の子供がいる。

ひとり目は、母の願いもあって横浜にある実家の近くの総合病院で出産した。その時に体験したことは、以前woman exciteの連載で書かせてもらった。この記事にまとめている→ https://woman.excite.co.jp/article/child/rid_E1440122196167/

要約すると、出産直前の痛みというのは、バイク事故に何度も合うような、そんな感覚といってもいい。死ぬほど痛かったし、何度か死んだと思った。痛みに耐えかねているわたしを看護師さんは相手にしてくれないし、もう二度とあそこで産むのはごめんだ。

話は変わるが、若い頃、ひとり旅が好きだったわたしは知らない世界に飛び込むことが大好きだった。アジアや中南米を中心にバックパックを背負って20カ国ほど旅をした。メキシコにも住んだことがある。日本とは異なる文化のある土地を旅することで、いろんなことをインプットしてきた。

とにかく、わたしは初めての体験というものに目がない。

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初めての出産は今でも忘れることのない体験だけれど、二人目の出産は同じところで産むのではなく、もっと人間的な感覚で産みたい。

10年来の友達の紹介で、練馬区石神井にある「つむぎ助産所」に見学に行った。助産所といっても、大きな場所ではなく、助産師さんの自宅を改装し、そのひと部屋をお産の部屋として使用しているような場所だった。

お産をする6畳の和室には、い草の良い香りが漂っていて、1組の布団が敷かれている。

妊娠中のわたしと、助産師さん。他には誰もいない。

赤ん坊が誕生するまでの間、わたしはたったひとりの助産師さんにこれから生まれてくるであろう赤ん坊の命と、自分の命を預けるのである。

医療設備のない場所、助産所での出産はどんなものなのだろうか。

つづく

photo by / 神ノ川智早

次回は「赤ん坊は風呂場で産まれた  vol.2」をお届けします。





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