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『O駅の隙間女』第1話(全8話)

(あらすじ)

一九八六年夏、小学生の私は、友達のJと駅で<隙間女>を目撃する。
その後、二人は別々の高校に進み次第に疎遠になったが、ある夏の日、私の元にJがいなくなったという知らせが入る。
時は流れ二〇二四年。二十年振りに地元に戻った私は共通の友達Rと会い、失踪直前のJに起きていた異変を知る。
Jの母親、喫茶店のマダム、Jと高校の同級生だったE、長年駅で清掃活動をしているお婆さん、それぞれと話をする内に、謎に包まれていたJと<隙間女>の輪郭が少しずつ浮かび上がってくる。
Jは何故消えてしまったのか、そして、そこには<隙間女>が関係しているのか。三十年の時を経て、私はその真相を知った。

1.隙間にいた人


私が生まれ育った町には、私鉄とJRの両線が乗り入れる大きな駅があった。
隣県の遊園地に行く時も、それよりずっと遠くにいる祖父母に会いに行く時も、この町を出る時には必ずO駅から出発する。だから私は小さい頃、この駅がなくなってしまったら、もう町の外には出られなくなるのだと思い込んでいた。

テレビで見た大都会のビル群も、どこかの国の青く透き通る海も、その線路の先にある。大人になったら、この町から一体どこに行くのだろうと、私はいつも考えていた。

一九八六年の夏のこと。

小学生の私は、クラスの遠足で動物園に行くことになり、その待ち合わせ場所であるO駅の改札前にいた。
その日の朝、友達のJちゃんのお母さんの赤い車に一緒に乗せてもらい、集合時間よりも三十分も早く駅に着いたのだった。

私とJちゃんは、見た目も性格もギャグ漫画と少女漫画くらい違っていたが、不思議と気が合い、休み時間にお喋りをしたり、放課後の公園で遊んだり、一緒に過ごすことが多かった。

あの頃、二人でどんな遊びをしていたのか、どんな話をしていたのか、今となっては思い出せないが、お互い言葉にしなくてもわかり合える何かを感じていたことは覚えている。私は、Jちゃんと一緒にいる時の、自分を偽ることなく自由に振る舞える感覚が好きだった。
Jちゃんがどう思っていたのかは、今となってはわからない。

その日は、朝早いというのに、Jちゃんのサラサラの長い髪は綺麗に編み込まれ、フリルのリボンで結ばれていた。真っ白いブラウスに赤のチェックの吊りスカート。ブラウスの襟には、果物の柄が小さく刺繍されている。

私はそれを眺めながら、さくらんぼはJちゃんの好物で、りんごは私の好物だけれどアレルギーの弟が食べたがるから買ってもらえない、と頭の中で一人お喋りをしていた。

Jちゃんの日焼けを心配するお母さんは、吊りスカートと同じ色柄のリボンのついた麦藁帽子をその頭に被せている。
私はその様子を見ながら、出がけにとりあえず被ってきた野球帽のつばをあれこれ曲げてみたりした。

Jちゃんのお母さんは、有名な人形作家である。
とても器用な人で、Jちゃんのこの日のブラウスの刺繍も彼女の手によるものだった。だからJちゃんの家の弁当はいつも見事で、ウインナーはタコさんやカニさんに細工されていたし、別添えのデザートの容器には、花の形のオレンジにうさぎのりんごが躍っていた。

お母さんは人形作家なので昼間はずっと家にいて、粘土や布で妖精やお姫様の人形を作ったり、作り方の教室を開いたりしているとJちゃんから聞いていた。
お父さんはJちゃんが生まれた頃から始まった海外出張で、年に一度くらいしか帰ってこれないらしい。
だから、一人っ子のJちゃんは、広いおうちでお母さんと二人で暮らしていた。
Jちゃんは、両親と弟の四人家族の私が羨ましいと言う。しかし、私からしてみれば、Jちゃんの方がずっといいように思えた。

平日の通勤時間と重なって、駅はとても混んでいた。
大人にとってはいつもと変わらぬ朝の風景だったと思うが、私とJちゃんは指折り数えて待っていた動物園遠足の当日ということで、嬉しさのあまり、お弁当とおやつで膨らんだリュックを背負ったまま、そこらじゅうをやたらとウロウロしていた。
今日の遠足には、Jちゃんのお母さんも付き添いで来てくれる。見ていてくれる人がいる安心感からか、二人でいつまでもはしゃいでいた。

するとJちゃんは、急に何かを思い出したように桃色のリュックのチャックを開けて、ドラえもんのように得意気に中から四角いものを取り出した。
その頃出だした使い捨てカメラである。
Jちゃんはそれを母親に渡すと、私との記念写真を撮ってほしいとせがむのだった。

人が少なくなった瞬間を見計らって、改札前のコンコースを背に私とJちゃんがピースサインでポーズを決める。はいチーズとカメラのフラッシュが光り、出発前の思い出の写真が一枚できた。

Jちゃんは、お母さんから使い捨てカメラを受け取ると、私の手を引いてずんずんと待合所へ向かった。ホームに面する窓から電車を撮ろうというのだ。
ところが、コンコースと待合所の境目の扉の所で、急にJちゃんの足が止まった。首を横に曲げて何かを覗き込んでいる。そこは、コンコース側の壁に設置されたコインロッカーの側面部分。どうかしたのかと思って私も後ろから覗き込むと、そこに見えたのは1センチメートル程の狭い隙間だった。

Jちゃんは、その隙間の奥を無言で見つめている。そして、素早く使い捨てカメラを構えると、その隙間に向けてシャッターを押した。
フラッシュが隙間の闇を照らし出す。一瞬のことだった。

私とJちゃんは、隙間に潜む女の姿を見た。

こんなに狭い所に人間がいる!
私は、突然のことに驚いて、体が硬直してしまった。Jちゃんも黙ったまま動かなかった。
怖いのならやめればいいのに、二人してその隙間から目を離すことができない。結局、Jちゃんのお母さんが呼びに来るまで、そこから動けなかった。

そういう訳で、動物園にいる間、私は心ここにあらずの状態だった。
檻の中のちょっとした隙間にもあの女が潜んでいるように思えて動物どころではなく、その度に首を振って残像を追い払っていた。

唯一のいい思い出は、帰る間際に売店でメタルの動物キーホルダーを買ったこと。大事に貯めたお小遣いを握りしめ、沢山の動物の中から選んだのは、マレーバクだった。
悪い夢を食べてくれるという獏。
私はそれを二つ買い、一つをJちゃんにプレゼントした。朝二人で見た悪い夢を追い払えるように。

Jちゃんとのその後の話し合いで、<隙間女>のことについては二人だけの秘密にすることにした。
誰にも信じてもらえない。二人ともそう思っていた。

やがて時は流れ、私たちは同じ町で共に成長していった。

中学までは、クラスが離れ離れになっても休み時間に廊下でお喋りをしたり、週末に待ち合わせて遊んだりしていたのだが、高校になると、それぞれ別の学校に進学したこともあってほとんど会うこともなくなってしまった。

私は市内の高校だったので自転車通学、Jちゃんは市外の女子高だったので電車通学。

Jちゃんの進学先は、お母さんが選んだ英語教育が盛んな私立の女子高だった。
Jちゃんは、本当は私が進学した地元の公立高校に行きたがっていたが、もう初めから決まっていることだからと、お母さんの希望をすんなり受け入れていた。

Jちゃん以外の友達も電車で市外の高校へ行く者が多く、私は一人電車を見ながら、そんな彼女たちをどこか別の世界の人のように眺めていた。

高校進学後も、Jちゃんとの交流は続いていた。文通という形で。
Jちゃんから届く水色や桃色のパステルカラーの便箋には、丁寧な文字で近況が綴られていた。教室の窓から見える景色とか、担任の先生の口癖とか、ささやかな内容だったが、Jちゃんがまだ近くにいてくれるような感じがして、私は嬉しかった。

しかし、週に一回届いていた手紙も月に一回となり、その間隔が二か月、三か月と長くなっていって、やがて静かに途絶えた。
私も私で忙しく、こちらから連絡することも自然となくなってしまった。

そして、翌年の高校二年生の夏。
共通の友達Rからの電話で衝撃的なニュースを知る。

Jちゃんが消えた。

夏の課外授業から帰る途中に突然いなくなり、方々で探しているが見つからないと。
警察にも届けられたが、Jちゃんは私が大学生になった後も、社会人になった後も、ずっと行方不明のままだった。



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