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『O駅の隙間女』第5話

5.守秘義務


私は、タクシーで不動産屋に向かうと、手早く売却の手続きを済ませてとある場所へと向かった。
Jちゃんにゆかりのある人物を一人、思い出したのだ。

その人は、私たちの同級生だったEさん。
彼女は歯科医院の娘で、現在は父の跡を継いでそこの院長をしている。中学時代は顔見知り程度でゆっくり話したことはなかったが、Jちゃんと同じ女子高に進学したということは覚えていた。

私は、高校時代のJちゃんを知る人物の話を聞いてみたかったのだ。

突然の訪問にEさんは驚いていたが、私のことは覚えてくれていた。
丁度昼休みだったこともあり、近くのうどん屋で昼食を食べながら話を聞かせてもらえることになった。

――Jさんのこと、覚えています。一年二年と同じクラスでね。同じ中学出身の子は他にいなかったから、最初の頃は二人でよく一緒にいました。

熱々のおかめうどんの湯気でEさんの眼鏡が曇る。彼女はそれを拭きながら、天井を見上げて昔のことを思い出してくれていた。

――二年生の時ですよね、彼女がいなくなったのは。あの時は、私たちも色々と話を聞かれました。

私は、冷やしおろし蕎麦をすすりながら、初めて知るJちゃんの高校時代の話に耳を傾けていた。

――でも、いなくなる原因は学校ではないと思うんです。クラスも和気藹々としていて雰囲気が良かったし。先生も先輩も親しみやすい方たちばかりでした。何かトラブルがあったとかの話も聞いたことがありません。少なくとも、Jさんはみんなに好かれていましたよ。

私は、中学時代のJちゃんが、明るく可愛く頭も良く、クラスのマドンナ的存在だったことを思い出していた。この性格は、高校生になってからも変わっていなかったようだ。

それでは、Rが見たという失踪一か月前のガリガリに痩せたJちゃんというのは一体何だったのだろう。
私がその話をすると、Eさんは一瞬、戸惑うような顔をしたが、その頃のJちゃんの様子についてありのままを語ってくれた。

――二年生になって間もなく、彼女、お昼の時間になると教室から抜け出すようになったんです。お弁当を持って出るんだけれど、それをどこかで食べている姿を見たことがなくて。図書室とかにいたのかな。昼休みが終わる少し前に戻ってくるような感じでした。

ある時、Eさんが窓を開けて外を眺めていたら、校庭の植え込みの陰に弁当の中身を捨てているJちゃんの姿が見えたという。

――彼女も私が見ていたことに気づいたのか、後で、野良猫がお腹を空かせていて可哀想だからと言っていました。

確かに、動物好きのJちゃんならやりそうなことだったが、自分自身がお昼に何も口にしないというのはとても不自然である。

――気がついたらとても痩せていて。でも、その年頃の子ってダイエットするじゃないですか。他にもダイエットに熱心な子がいたので、そういうものなのかなと。特にJちゃんのお弁当はいつも豪華なものだったから、食べたくなかったのかもしれません。

そして、夏休みに入って課外授業が始まったが、相変わらずJちゃんが昼食をとっている様子はなかったらしい。

Jちゃんは、いなくなったその日、午前中で課外授業を早退して一人帰宅したという。
その後、O駅で降りて改札を出た所までは駅員の目撃証言でわかっている。珍しい時間帯に制服姿の高校生がいたので、印象に残ったらしい。

その後の捜査は、誘拐や犯罪に巻き込まれたことも想定して行われたが、早々にその線は薄いと判断された。

駅の伝言板にJちゃんの筆跡で書き置きが残されているのが見つかったのだ。

そこには、白いチョークで<探さないでください J>と書かれていた。
つまり、Jちゃんは、自分の意思で消えたのだ。

Eさんは熱いお茶を一口含むと、腕時計でまだ時間があることを確認し、唐突に、

――私は<独り言>を言う癖があるんですけど気にしないでください。

と言った。

そして、おしぼりを巻いたり広げたりしながら、棒読みの口調で、

――そういえばJさんって、失踪直前までうちの歯科医院に通院していたんだよなあ。

と言った。

Eさんは私と視線を合わせず、ボソボソと呟くように独り言を続ける。

――Jさんがいなくなった後、父さんと母さんが万が一の時のための照合用のカルテやレントゲンをまとめておこうと話しているのを聞いてしまったんだ。悲しい形で見つかった場合、歯型や治療痕で本人確認をしないといけないから。

私も何となく目線をEさんから外して往来の景色などを眺めながら、耳だけは彼女の呟きに集中していた。

――それから何年かして、私も実家の歯科医院で働くようになってから、勉強のために夜な夜なカルテの棚を探って色んな症例を読んだりしていたのだけれど、その時、Jさんのカルテを見つけてしまったんだよね。取り出して見たら、最新の治療日が失踪の前日だった。カルテは何枚もあって、口腔内はかなり酷い状態だったから驚いてしまった…。

私は、お冷やの氷をガリガリと噛みながら、何も聞こえていませんでしたという風な顔をしていた。

長い独り言を終えたEさんは、お茶を飲み干しフッと息を吐いた。私もお冷やをおかわりした。

うどん屋を出た私たちは、歯科医院へと戻る並木道を少しだけ遠回りして歩いていた。

――職業柄、様々な歯の悩みを持つ患者さんと出会います。歯はその人の鑑といいますか、その時の心身の状態をすごくよく表しているんです。例えば…、これは、あくまでも<一般論>ですよ。

Eさんは、ずれ下がった眼鏡を直しながら真面目な顔をして言った。

――若い女性に多いんですが、摂食障害がある人は、外見でそう見えなくても、歯を見るとわかります。食べたものを頻繁に吐く訳ですから、胃酸で歯が溶けてボロボロになってしまうんです。そういう時には考えますよね。歯だけの問題ではないから。

私は、Eさんが言わんとすることがわかって暗い気分になった。Jちゃんがいなくなったことよりも、当時一人で抱えていたであろう悩みが重すぎて、やりきれなくなったのだ。
どこか別の場所に行ってその悩みから解放されたのならばいいけれど。新天地で元気にしているのなら、もう深追いしてはいけない。
私は、もうJちゃんを待つのはやめた方がいいのかもしれないと思い始めていた。

唯一の救いは、別れ際のEさんの言葉である。

――Jさんは、バクのキーホルダーをずっとペンケースのファスナーにつけていましたよ。「Kちゃんに貰ったの」って言っていました。…だから、あなたには知っておいてほしいと思いました。

あの日、動物園で買ったお揃いのキーホルダー。
今もJちゃんは持ってくれているのだろうか。

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