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『O駅の隙間女』第4話

4.人形の家


結局、レコードの曲が全部終わっても雨がやむ気配はなかった。

長居し過ぎるのも悪いと思い店を出ようとすると、マダムが傘を貸してくれた。お礼を言って店を出る。

本当は、今日の夕方に不動産屋で手続きを終わらせる予定だったのだが、向こうの都合で明日に延期になってしまった。
駅前にある古いビジネスホテルに宿を取り、今夜はそこで休むことにした。

狭いシングルルームには、シーツの硬いベッドと小さな机がある。机の上には小型のテレビ、下には飲み物用冷蔵庫。入口のドアのすぐ脇には備え付けの細長いクローゼットもあったが、建付けが悪いのか扉がずれて隙間ができていた。

…隙間。

喫茶店のマダムから聞いた話を思い出し、また背筋が寒くなる。
私は、クローゼットの扉を全開にすると、明々と電灯を点けたままベッドに横になった。

それにしても…。
Jちゃんの失踪には<隙間女>が関係していたりするのか。あの時、写真など撮ってしまったから、幽霊の呪いにかかって消されてしまったのか。
勿論、そんな訳はないのだが、変な妄想ばかり膨らんでいく。

そういえば、私はその写真をJちゃんから見せてもらっていなかった。
そこには、何が写っていたのだろう。

天井を眺めてそんなことを考えていたら、さっき喫茶店でRが言っていたJちゃんのお母さんの人形展のことを思い出した。確か、今週末まで百貨店で開催されているという話。
私は、明日不動産屋に行く前にその人形展を覗いてみることにした。

翌朝、私は百貨店の開店時間に合わせてホテルを出た。
会場は百貨店の最上階にあるレストラン街の一角。そこは空き店舗を利用したこじんまりとした空間だったが、人形自体が小さいものなので、展示数は多く見応えがあった。

フリルやリボンで飾り付けられた可愛らしい人形の数々。
生まれたての赤ちゃんが美しい少女に成長するまで、あらゆる年頃のJちゃんが陳列されていた。
入口の壁には、パネル大に引き伸ばされたテレホンカードと同じ写真。どこを向いてもJちゃんで溢れている。

開店すぐのこの時間は受付の人以外誰もおらず、私は一人でゆっくりJちゃんの面影と対峙していた。
まるで生きているような人形たち。今にも動き出しそうだ。

しばらくすると、上品な色合いのワンピースを着た老婦人が入ってきた。歳を重ねているが、Jちゃんのお母さんであることはわかる。
私がJちゃんの昔の友達であると名乗り出ようとしたその時、

――Kちゃんでしょう。

とお母さんが言った。

――忘れないわよ。Jの大切なお友達だもの。

お母さんは、遠慮する私を半ば強引に車に乗せると、一緒にお茶でもしましょうと自宅へ招いた。Jちゃんのお母さんの車に乗るのは、あの日の遠足以来である。赤い車は、白い車に変わっていた。

平日の放課後や土曜の半ドン、Jちゃんはよくうちに遊びに来ていた。私の方は、向こうのお母さんが家で仕事をしているということもあって、邪魔になるといけないからと一度も遊びに行ったことがなかった。

――懐かしいわね。Kちゃんに会えて本当に嬉しいのよ。Jによくお手紙くれていたわね。私も一緒に読んでいたのよ。全部大事にとってあるんだから。

お母さんのコロンの匂いはそのままだったが、栗色の髪は銀色に変化していた。
今の私が、あの頃のJちゃんのお母さんよりも年上になっていることに気づいて妙な気分になる。

十五分程して、車はカラフルな敷石の車庫へと入って行った。初めてお邪魔するJちゃんの家は、白亜の壁に庭の蔓薔薇が映える、まるで人形の家のような建物だった。
おもちゃのチラシから切り抜いたリカちゃんハウス、サンタさんへの手紙に入れたのに届かなかったそれを思い出した。

お母さんが玄関の扉を開ける。
その瞬間、飛び出してきたのは、真っ白い毛玉のような犬だった。

――はいはい、ただいま。ほら、ダメよ。お姉ちゃんのお友達なんだから。

Jちゃんの「妹」らしい小型犬は、その「姉」が着ていたような、リボンや刺繍が施された可愛い服を着て尻尾をブンブン振っていた。

お茶の用意ができるまでどうぞと、二階のJちゃんの部屋に通された。
当時のまま、何も捨てずに保存しているらしい。それ全体がタイムカプセルのような三十年前の部屋は、どこを見ても時代に取り残されていて、余計にJちゃんの不在を感じさせた。

彼女の好きだったアイドルのポスターはすっかり色褪せ、机に並んだ三年の教科書は一度も開かれないまま整然と並べられている。白いキャビネットの上には、家族三人の記念写真やぬいぐるみ。その隣りにある木彫のオルゴール箱は、小学校の卒業記念で作ったものだったから見覚えがあった。

そっと蓋を開けると、ポン、ポン、ポロロロ…と「トロイメライ」が流れる。中には、小瓶に入った匂い玉、砂糖菓子のようなおもちゃのブローチ、そして、授業中に交換していたファンシーなメモ紙や高校時代に私が送った手紙も入っていた。

眺めているだけで涙が出そうになる。これ以上はやめておこうと、私は中身を元に戻して蓋を閉めようとした、その時。
裏蓋に貼られた赤いフェルトが膨らんでいることに気づいた。
よく見ると、端が少しめくれてその隙間に何かが挟まっている。爪でつまんでそっと引き抜いてみると、中から薄紙に包まれた二枚の写真が出てきた。

一枚は遠足の前に駅で撮った私とJちゃんのツーショット写真。そして、その後ろに重なるもう一枚は、コインロッカーの隙間を撮った写真。
つまり<隙間女>の写真であった。全体的に暗いが、確かに女の人の姿が写っている。

一階からお茶が入りましたよという声が聞こえてきた。
私は、慌ててその二枚の写真をポシェットの中に突っ込むと、階段を下りてJちゃんのお母さんの待つ居間へと向かった。

――いつでも帰ってきていいように、そのままにしてあるの。って言っても、あの子もあなたと同じ歳になっているのよね。

お母さんは、しみじみそう呟くと、薔薇模様の白磁のカップに紅茶を注いでくれた。一緒に出されたさくらんぼの載ったサヴァランは、洋酒の強い香りがしたので手を付けなかった。

――東京にいる妹が一緒に暮らそうと誘ってくれているんだけど、どうしても決心がつかなくてね。チーちゃんもいるし、お人形の仕事もあるし。何より、あの子が帰ってきて誰もいなかったら泣いちゃうでしょ。あの子は私がいないと駄目なのよ。

一時間程、お母さんの話に付き合っていたが、不動産屋との約束の時間が迫っていたのでおいとますることにした。
駅まで送りましょうというお母さんの申し出を丁重に断り、玄関へと向かう。白い毛玉のチーちゃんも私の後を追って外に出たがったが、

――お外は危ないからメッよ。ママの言う通りにしていたら何も間違わなくて幸せなんだからね。ママとずっと一緒にいる方が嬉しいでしょ。

と奥の部屋に連れて行かれてしまった。

――小型犬なんでね、家の中で十分なのよ。お散歩も何かあったら危険だから一度もさせてないの。ちゃんと毎日家の中でボール遊びしてるからね。大丈夫なのよ。

Jちゃんとチーちゃんのママは、そう言って笑った。

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