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夫はうつ、息子は不登校、その時私は [再掲載]

過去記事を編集して、再掲載しています。続き物ですので、しばらくお付き合い下さいませ。

(ΦωΦ)猫写真は最新ですので、過去記事ですが写真だけでもお楽しみ下さい。



今から6年ほど前。引っ越しをしました。新しい土地、新しい家、新しい人間関係、新しい学校、新しい通勤通学などなど、ありとあらゆるところ全てが様変りした年でした。

この大きな転機が、私たち家族を幸せにもしましたが、大きな転機は、心や身体に大きな影響をおよぼしました。

まず始めに現れたのは、次男が保育園に通える日と通えない日があり、なかなか新しい環境に馴染めないと言う小さなほころびでした。

そのうち慣れるだろう。そんな風に思ってあまり大事だとは思っていませんでした。保育士さんのサポートでゆっくりではあるものの、保育園に馴染み始めた頃、夫はうつになりました。ちょうどその頃、仕事場も移転したばかりで、すべてが慣れない状況だった所に、お客様とのトラブルを抱えてしまったことで一気に病的な状態へと移行していきました。

初めは、なんだかおかしいな?と思っていましたが、しばらくすると、健康でない心理状態であると感じるようになりました。これは、まずい!

私には、悩みや辛さを話してくれていたので、まず私が通っていた漢方を処方してくれる漢方医のいる病院へ連れていきました。

ただ、『病院へ行こう』と言ってしまうと、断られるかもしれない。怒り出すかもしれない。そんな状態でしたから、『疲れているようだし、気分転換にドライブに行こう』といって、夫を車に乗せました。普段は私の運転する車に主人が乗ることはありませんが、その時は特別だよ。と誘い、ドライブをスタートしました。(運転が苦手な私のドライブは、ある意味特別です)

病院までは、しばらく時間がかかる場所だったので、ドライブをしながら話を聞いていました。あと半分くらいの所で、今から行く場所は、病院で私もちょうど漢方を処方してもらいに行くところだから、ついでに診てもらいましょう。そんなことを言って病院へ誘い、無事に診察を受けてくれました。診察室では、心配事が多くて悩んでいることや、眠れないことなど自分の状態を説明したそうです。(私は診察室には同行しませんでした)

漢方薬を処方してもらい、しばらく服用を続けていても、症状は悪化するばかりでした。漢方医の所へ連れて行こうと思ったのは、いきなり精神科では反発するのでは?そんな思いがありました。専門の医師で無かったとしても、自分の状態を医師に説明できれば、次のステップへ行けるのではないか。そう考えたのです。

そして、精神科の予約を取り付けました。近頃の精神科はとても込み合っている様子で、どこへ電話をしても新しい患者を受け入れてくれませんでしたが、1件だけ時間外に初診をなんとか入れてくれる精神科を見つけることができたのです。

精神科の予約日、夫は一人で病院へ行き、診断結果は軽度うつでした。この状態で軽度?!正直ビックリしましたが、一人で病院へ行けると言うのは軽度なのかもしれません。

うつの治療は数年続いたと思います。夫のうつの後半には、次男の不登校と発達障害の診断が重なっています。そして、夫はそこで自分も発達障害だったと知る事になりました。

今思えば、夫も息子も発達障害の二次障害だったのだとわかりますが、当時はそれがわかりませんでした。

これから書く内容は、うつ病を治すためのものではありません。不登校を終わらせるものでもありません。これは、家族の危機に遭遇した時に、私が、私のためにとった行動です。他の誰のためでもなく、たった一人、私のためだけの大切なプロセスだったと思っています。


自分の心がコントロール不能になっている夫に、私が夫にしてあげられることは何もありせんでした。うつを治してあげることもできないし、代わってあげることもできない。私にできたこと。それは、私は元気でいることだけでした。

うつ病の夫は、それはそれは壮大な力で、ものすごい感情の渦に巻き込まれていました。そして、その感情の渦は私に向けられます。本人にはそのつもりは無いと思いますし、それが悪いことではありません。家族にそれをしていられるのならば、むしろ正常に近いのかもしれません。

向けられた感情は、誰のものでもないのに、まるで私のもののように感じてしまう。放たれた感情を受け止めてしまったら、私は元気で居ることができなくなる。私が元気で居られなければ、船は転覆し、深い深い海の底へ沈没してしまう。

私がもしもあの時、夫の感情を我慢して受け止めてしまっていたら、きっと、しばらくは我慢できたと思います。どこまで我慢できるのかは分かりませんが、いつか必ずやってくる。無理してしまえば、やはり転覆は免れない。転覆しても命からがら助かったとしたら、次に現れるのは、『のに』だ。

『のに』は恐ろしい。これほど怖い感情は他に無いのではないかと私は思っている。

我慢して、どうにか乗り越えた後、
『私はあの時、こうして我慢していたのに』
『私はあの時、ここまでしてあげたのに』
『私はあの時、本当は嫌だったのに』
『私はあの時~だったのに』
『~のに』

『のに』は私を支配する。強い言葉だ。
『のに』は相手を支配する。強い言葉だ。
私は『のに』に依存する。強い言葉だ。

私を支配し、相手を支配し、私を依存させる『のに』

私が最も発したくない言葉。私には、扱えないから。扱えなかったから。もう二度と『のに』とはお付き合いしたくなかった。

『のに』はとても簡単に使える。そして都合が良すぎるくらい都合がいい。

『のに』を使えば、私の過ちは無効化できると錯覚してしまえる。だから、とても気持ちがいいし、いつまでも『のに』を使っていたくなってしまう。全てが『のに』を使えば私の思い通りになってしまう。『のに』は、私が私の人生を歩かない為の最高の言葉。

どうすれば、『のに』に支配されないでいられるだろう。

私が『のに』を生まない為にはどうすればいいだろう。

『のに』さえ生まなければ、私たち家族は転覆することもないし、荒波を乗り越えていけるはず。たとえ今、嵐がやってきていたとしても、嵐はやがて止み、穏やかな海に戻る日が来る。

帆を畳み、シーアンカーを下ろそう。前に進む必要は無い。嵐が過ぎ去った後、必ず船は流されている。元いた場所よりもきっと何処かへ向かえているはずだから。そうしたらまたコンパスを出せばいい。ワクワクする冒険は今も継続中というわけだ。

宝は冒険の先に隠されている訳じゃない。冒険そのものが宝物だから。嵐が去ったら、嵐の事をつまみに宴をしよう。酒の肴は嵐の話が一番だ。過ぎ去った嵐を、共に乗り越えた勇敢な乗組員と交わす『あの時』ほど宴を盛り上げるものはない。

私は『のに』が恐い。これからも恐れ続けるだろう。恐れているから、研究する。恐れているから、決して無視したり、ないがしろにしたりしない。けれど、『のに』は私には、もう必要のない言葉だ。『のに』がいなくても私は気持ちよく過ごすことができるから。『のに』さん。ありがとう。お元気で。

~To be continued~

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