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私がなぜ家族相談をやりたいと思ったのかという原点に立ち戻れるようなそんなパワーを持った本の紹介

こんにちは。和賀です。
今日はこちらの本のお話。私はnoteで全文が読める期間に読むことが出来たけれど、もう一度読みたいと思ったし本を手元に置きたいとも思って買いました。福祉職を支援職を目指すなら、この本は必読。

私が大学3年生の時に精神科病院に実習に行く前に、必ず読むべきと教わった本があったのがこれ、ルポ・精神病棟 (朝日文庫 お 2-1) 

こちらの本を読んだのは、もう30年近く前になります。今読み返してもそんなに変わらないことも多いかもしれないけど。

この「妻はサバイバー」を読んでいて、学生時代に感じたもやもや、実際に精神科病院で精神保健福祉士として働いていた時に感じたもやもやや怒りや悲しみや無力感。色々なものが想起された。まさに一気に読み終えて、興奮冷めやらぬ状態でfacebookで思わずシェアをしたのです。

そして、コメントもたくさんきた。さまざまな立場の人たちのコメントを読んでいて、改めて人は”知らない”ことを”知らない”ということを感じた。

私にとって、精神科病院で起こるいろんなことは体験済みで、患者さんや家族や関係者や支援者から見えるものと、全然違う世界からでは見える景色が違うこと。そして、全く知られていないこと。または知らなくて良いこととされてはいないか。そんなモヤモヤも、今回生まれたのです。


「実は・・・」と、始まる話


相談の仕事時間以外にも家族に精神科疾患を抱えていると打ち明けてくれる人がいる。または、自身が病院に罹っているまたは過去に罹っていたことを打ち明けてくれる。お喋りの流れで私の仕事を聞くと、話しても良いと思ってくれるのか「誰にも言えない」「他人に話したことがない」とも言われる。

私は仕事以外でそんなシチュエーションに出会う時は、とにかく静かに聴く。オーバーなリアクションもしないし、特に意見もしないし、質問も出来るだけしない。ただ受け止めようと心掛けている。

思わず話す時は、アドバイスが欲しい訳ではないだろうし、専門家の意見が欲しい訳でもないと思うからだ。ただ話したい、思わず言ってしまいたくなった。そんなタイミングを邪魔したくはないと思う。

そして、私に話してくれてありがとうございますと思って聴いている。
具体的な事や、場合によってはアドバイスや相談となればHUGを利用してもらうのだが、ぽろっと出てしまうことは意外と重要なのかもしれないと思う。それがきっかけになって、何か変化が起きるかもしれない。
人には言えないこと、誰彼にも言いたくないことを抱えている。それだけで、実はかなり大変なこと。

私がHUGを始めた理由でもある「家族相談」

この本には本当にたくさんのトピックスがあって、書きたいことはたくさんあるのだけれど。特に印象に残ったことは、あとがきにも書かれている「家族のケア」について。私がHUGを始めた理由でもある「家族相談」をやりたいと思ったこと。読んでいてこれまで出会った患者さんや家族の方の顔が思い浮かんだ。

私は家族の話、患者さんが病気になるまで、病気になってからの家族側から見えるストーリーを聴くのがとても好きだった。初めての診察の後、初めての入院の時に手続きをしながら、外来や入院の面会に来た時などその時々に家族の話を聴いた。

時には、じっくりと聴くために持たされていた院内の携帯電話の電源をオフにする事もあった。これは毎回かなり怒られた。携帯に出ないとなると、全館放送で呼び出されることもあった。その後院内を歩いていると、患者さんから「和賀さん呼び出されてたねーー」と笑われたりした。

院内用の携帯は、とにかくひっきりなしに鳴るのだ。そして当然ながら、相談場面ではこれがすごく邪魔になる。話の骨は折れまくりで、何を話しているかわからなくなる。話すほうも聴く方も集中できる環境が作れない。最初は後輩や部下に預けていたけれど、皆自分の携帯が鳴るので人の電話に出るどころではない。

私は院内の携帯に出るよりも何よりも相談者が「もういいです。忙しいところすみません。」と言って席を立ってしまう、話したいことを聴かせてもらえないのが一番嫌だった。院内の携帯の電源を切るという作戦に出たのは、毎日ではなくこれは逃してはならないと思う相談場面の時のみ。とはいえ、サラリーマンとしてはアウト。このジレンマはすごく強かった。

院内では、すぐに対応することが求められる。院内用の携帯も卓上の電話も鳴ったらすぐに出るのが当たり前。そうしなければ仕事が滞る。時々あまりに鳴り続けるので、人間に対して電話の台数が多すぎる!!!と怒っている後輩がいて、「確かに」と妙に納得した時があった。仕事時間であまりにも携帯電話を使うので、プライベートでは極端に電話嫌いにもなった。医療相談室では同時に3つのことをやれないとねと言われていた。
私は今はもう間違いなくついていけないだろう。

「時間があればお茶しませんか?」

時々、外出の同行や手続きに同行する時は、院内の携帯電話から解放されてとても気分が良かった。患者さんも家族も病院とはまた違う雰囲気にもなる。ある患者さんの生活保護の申請相談に行った時のこと、患者さん本人はその日具合が悪く一緒に出掛けられなかった。

そのため、一緒に行く予定だったお母さんと私で相談に行った。申請相談そのものはそんなに時間がかからなかったが、時間があればお茶しませんか?というお母さんのお誘いを有難く受け取りカフェで結局3時間近く話をした。患者さん、お母さんともに非常に明るくてユーモアがあってそれでいてアーティストのような2人。

私は患者さんとお母さんにとても魅力を感じていた。患者さんの生まれてから病気になるまで、病気になってからのこと、お母さんの人生、パートナー、仕事、病気のこと、患者さんを見てきて思うこと、病院や主治医に思うこと、ただただ聴かせてもらった。カフェの中の明るい雰囲気と、ネガティブな話を淡々と時に涙ぐみながらそしてユーモアたっぷりに話すお母さんを前に、私はのめり込んで聴き入った。壮絶な体験と一括りにしてしまうには申し訳ないような、多くの患者さんと家族はそんな時間を過ごしてきている。ただただ頭の下がる思いしかない。

こんなに時間を取れることはあまりなかったが、外出する時には時間に余裕を持たせていた。業務で出かけるのだけど、色々な話を出来る貴重な時間だった。

私がなぜ家族相談をやりたいと思ったのかという原点に立ち戻れるようなそんなパワーを持った本だった。

支援職の研修や学生さんへの講義など、この本を薦めたいと思う。

そして、福祉、精神科病院、精神疾患に関係がないと思う人こそ読んで欲しいと思える本でもある。

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