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#GID
往復書簡)監督から母へ聞いてみたいこと
これまで6回にわたって、ぼくゼロ母「くみちょ。」の生い立ちについて書いていただきました。私(監督、とこちょ。)は、一気に読めなくて、ときどき深呼吸しながら文字を追いました。あまりに私の生きてきた道と異なるので、想像力や理解の範疇を超えているところもたくさんありました。
そこで今回は趣向を変えて、私からいくつかくみちょ。に質問をしたいと思います。きっとみなさまにとっても、くみちょ。の生き様と、それが
監督から母へ。美由起と美由紀とみゆきと美幸その2
映画「ぼくゼロ」を観てくださった方からよく、「一番大変だったことは何ですか?」という質問をいただきます。その答えには4人のミユキが大きく関わっています。
2012年、小林空雅さんとその母、美由起さんを撮影中に、ふと芽生えた映画化への夢。でもそれは「自分の無能さとの対峙」の始まりでもありました。ひとりじゃ何もできないと思っていました。私には映画を監督するだけの能力があるとは全く思えなかったからです
監督から母へ。美由起と美由紀とみゆきと美幸。
前回、くみちょ。が、「生きてきた道のりが私の世界とは全く異なることを知った」と書いてくれましたが、こんなに異なる生い立ちをもつ2人の「ミユキ」が出会って、いまは同じ目的のもとに共に向かっていること、本当に不思議です。
美由起と美由紀とみゆきと美幸。『ぼくゼロ』はここから始まりました。今日は「ミユキ」のお話をさせてください。
美幸こと私が性別のことに疑問をもったのが2010年。当時、性別に違和感
母から監督へ その11(命がけの覚悟)
これまで幼少期から結婚、出産までをお伝えしました。
かなりハードな人生でしたが、今回は命がけの覚悟を決めたお話しです。
ぼくゼロの母は、なぜ子供からのカミングアウトに動じなかったのか?
主人公の母くみちょ。の謎に迫る生い立ち編。
相変わらず機嫌のいい時と、悪い時の差が激しい父。
5番目の母は断酒会に参加したり治療も続けていましたが一進一退の状態でした。
細々としたことを書いていくとキリがないの
母から監督へ その11(孫ができても変わらぬ父)
ぼくゼロ書籍化を目指して、とこちょ。とリレー形式で続けている「監督と母の往復書簡」。
今は、お互いの生い立ちについてを書いています。
前回のとこちょ。の回では、とこちょ。が国際結婚をされた理由も解明されたし、生きて来た道のりが私の世界とは全く異なる事を知りました。
ぼくゼロの母は、なぜ子供からのカミングアウトに動じなかったのか?
幼少期から25才まで実母から5番目の母までの事を書いて来ました。
監督から母へ その9 「自分をマイノリティと思って生きること」
前回と前々回、くみちょ。がご自身の「生い立ち」について書いてくださいました。数奇とも壮絶とも表現できるかもしれないその生き様を、私は一気に読むことができなくて、ときどき文章から目を離して、自分の感情をリセットしながら読み進めました。
くみちょ。がなぜ性別違和や発達障害のあるお子さんを、すんなりと受け入れ、葛藤なく笑って生きてこれたのか、その秘訣が少しずつ明らかになってきたように思います。そしてこ