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人間行為の正しさ【ファンタジーサウナ&スパおふろの国@鶴見駅/川崎駅】(1/2)

 この世に本当の正義は存在するのか、ずっと疑問に思っている。ためしに「正義」の意味を調べると「正しい道理。人間行為の正しさ。」といった説明が書かれていたのだけれど、そもそも人間行為の正しさは誰が決めるのだろうか。
 たとえば、人殺しは絶対に人間行為として誤っているのかと聞かれると答えるのが難しい。もしそうであるならば、正当防衛は成立しないためだ。

 人間行為の正しさとは、その文化圏やシチュエーション、そして各々の価値観によっても大きく変わるのではないだろうか。ということは、絶対的な正義なんて存在しないことになる。「正義の反対は悪だ」とはよく耳にしていたけれど、そんなことはない。正義の反対には、また別の正義が存在するだけだ。

 ただ、一つだけ言えるのは「正しいかどうかは結果が証明する」ということだと思う。人間行為として正しいものは有形無形問わず生き残り、間違っているものは淘汰される。そして、そのどちらとも判断ができないものには話し合いが行われ、納得感のある形で法律やルールが設けられることになる。
 となると、何かに取り組む際には、自分が心の底から「正しい」と信じることができるかどうかが大切なのではないかと思う。たとえ誰かに批判されたとしても、誰からも認められないとしても、自分を信じて取り組まないことには何も始まらない。その結果として生き残ったものは正義であるし、そうでない場合は正義ではなかったということだろう。もしも自然の摂理が働かない場合は、第三者によって可能な限り客観的に善悪の判断が行われる。
 つまり、正義とは結果論であって、絶対の答えなんて最初は誰にもわからないのだ。僕はそう思う。

 しかし、これだけ語っておきながら、僕は自分の意志が弱いことを自覚している。厳密にいうと、あらゆることに欲が深くないので、自分の意志を貫くことにプライオリティを置いていないのだ。「僕はこうしたい」ではなく「あなたはどうしたい?」ばかりを優先して考えてしまう。
 これはポジティブに考えれば「フラットな立場から柔軟に物事を考えられる人間」ということになるかもしれないけれど、ネガティブに考えると「常に受け身であり、自分の意見をすぐに変える人間」とも言えてしまう。

 これと似た話で、少し前に「風呂敷広げ人」と「風呂敷畳み人」の二つのタイプの人間について語られることがあった。ざっくり説明すると、前者はアイデアを広げる人、後者はそのアイデアを現実的に実行に移す人のことを指す。

 これでいうと、僕は明らかに後者の「畳み人」である。これといってやりたいことがあるわけではなく、地位や名誉が欲しいわけでもない。ただ、周囲に助けを求めている人がいれば自分にできることを精一杯やる。
 リーダーや責任者の立場には向いていないけれど、ナンバー2として裏方で立ち回ることに生きがいややりがいを感じて生きているのだ。

 この「広げ人」と「畳み人」の特性を状況に応じて使い分けることができれば世渡りもうまくいくのかもしれないけれど、あいにく僕は基本的にどんな場面であっても自分の意見よりまずは相手の意見を聞いてしまう気質がある。こればかりは今さらどうすることもできないし、ここまできたら自分の「畳み人」としての特性をとことん突き詰めていって強みに変えていこうとまで考えている。

 とはいえ、僕も機械なんかではなく一人の人間だ。人間は自分が持っていないものを持っている人のことをうらやましく思う習性があるようで、僕の場合は周りからの批判や意見に動じることなく自分が信じた道を進むことができる人に、特に魅力を感じてしまう。
 そういえば、Twitterで相互フォローになっている方の中にも、そんな魅力を持つ男性がいた。

ーーそうだ、行ってみよう。その人がいる、あの国へ。

 僕は荷物をまとめて、鶴見駅へと向かったのであった。

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(written by ナオト:@bocci_naoto)

ーー後編:人間行為の正しさ【ファンタジーサウナ&スパおふろの国@鶴見駅/川崎駅】(2/2)

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