映画「君が生きた証」を観て
1月13日、「君が生きた証」という映画を観た。
英題は「 The Theory of Everything」。2014年のアメリカ映画で、ウィリアム・H・メイシー監督の作品だ。
キャストは、サム役のビリー・クラダップ、ジョシュ役マイルズ・ハイザー、クエンティン役のアントン・イェルチン、ローレンス・フィッシュバーンなどである。
あらすじは、
といった内容。
で、観終わっての感想。
途中から”まさか”の展開
最初に、銃乱射事件があり、息子が殺された。
・・・・そう思っていた。
しかし、途中で、(そうだったのか!)と、それまでの映像の謎が、一気に解決する。ただ、鑑賞者側からすれば、まさかの展開である。
一気に180度、見かたが変わる。
被害者から、加害者へ。かなりキツイ。
父親の気持ち、母親の気持ち
さて、加害者の息子の父親、そして母親。
その心情は如何なるものだろう。
現実から逃避する父親。現実を受け止める母親。
いずれにしてもその気持ちを考えると、想像さえむずかしい。
加害者が息子とはいえ、自分が犯したことではことではない。
でも、息子が犯した罪である。
父親が逃避する気持ちは、すごく分かる。
母親が、墓に書かれた”KILLER”の文字を見て、「こんなことはいつものこと」のようなことを話す。ここに至るまで、どれぐらい苦しんだのだろう。
現実を受け止める辛さ
現実から逃避してきた父親は、大学に向かう。そこで殺された学生たちの名前が刻まれた慰霊碑を見る。父親は声をあげて泣く。
息子の犯した罪の大きさ。そして、被害者である息子の名前はそこには刻まれていない。当然ではあるが、息子は犯罪者。そこに生きたことさえ認められないのである。
息子の気持ち。音楽に込められた思い。
音楽を通して、息子は訴えていた。
自分の苦しみ、どうしていけばよいのか。
彼は音楽を作ることで、その苦しみから逃れてきたのかもしれない。
両親の離婚。やるせない思い。自分の存在意義。なじめない大学生活。
たくさんのできごとが重なり、彼は爆発したのかもしれない。
父親の電話。音楽作成中の邪魔。
その爆発を、抑えきれなくさせたきっかけが、その日にはあった。
息子の作った音楽を通して、新たな若者との出会いが起こる。
その若者を通して、逆に彼は学んでゆくのである。
今まで逃避してきた現実。そして初めて息子と向き合う。
もうそこには、息子はいない。
息子が生きた証を、父親は彼の心を歌うことで、噛みしめるのである。
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