5月19日「クラッシュ」という映画を観た。
原題は「Living」。2005年のアメリカ映画で、ポール・ハギス監督の作品だ。
キャストは、ジーン役のサンドラ・ブロック、グラハム役のドン・チードル、ライアン役のマット・ディロンなどである。
あらすじは、
といった内容。
ちなみに「クラッシュ」という映画は検索するといくつか出てくるが、ボクの観たのはアカデミー賞を受賞した2004年のアメリカ映画である。
で、観終わっての感想。
肌の色の違いでの人種差別
アメリカという国は、世界各地の人々から構成される国である。
日本のように単一民族ではないので、必然と人種差別が起きやすい環境にある。その国で生きるということは、あらゆる場所でクラッシュが起きているということである。映画の最後で車がぶつかるシーンは、また新たな衝突が始まるような、象徴的なシーンだと思う。
差別される人自ら、また他の人を差別する構図
差別をされている人は、差別をしないわけではない。そのされた側が、またほかのだれかを差別してる。この映画の中ではそんな構図が見える。
当然そこの衝突が起こる。でも、実は一人ひとり見ると、皆極悪人ではないのだ。この国から、この人種間の差別は根絶はできないと感じた。
911テロ後のイスラム教徒に対する偏見
この映画は、2004年の映画である。ゆえに、2001年の911テロ後のイスラム教徒に対する偏見のシーンも出てくる。
よく考えると、あも頃はイスラム教徒はすべてテロリストのような、そんな報道がたくさんあった様な気がする。今でこそ、そんなことを言う人は少ないだろうが、そういう時代だった。この映画は2001年後の人種差別も描きたかったのかもしれない。
何ともやりきれない場面
何ともやりきれないシーンがある。
それは2人の警察官について。
一人は、人種差別をする。しかし、事故のシーンでその差別していた人間を助ける。
もう一人は、人種差別を嫌う警官。実際に黒人を危機から救う。しかしその彼が、自らの車の中で黒人を、偶発的に銃で殺してしまうのである。
拳銃所持を認めるアメリカでは、このようなことが起きやすい環境なのかもしれない。
誰もが実は、誰かを傷つけたいわけではないと思う。
そこには、自らの身を護るために、差別をせざるを得ない土壌が存在するのかもしれない。