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映画「めがね」を観て

9月1日「めがね」という映画を観た。2007年の日本映画で、荻上 直子監督の作品。

キャストは、タエコ役の小林 聡美ハルナ役の市川 実日子ユージ役の光石 研、サクラ役のもたい まさこ、ヨモギ役の加瀬 亮などである。

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あらすじは、

春に南の小島をひとり旅で訪れるタエコ。民宿ハマダの住人は主人のユージと、春だけ島に滞在するサクラという女性の二人きりだった。サクラは海辺でかき氷屋を営み、近所の人々に「メルシー体操」なる珍妙な体操を指導する不思議な女性で、どこから島にやって来るのかも不明だった。タエコも「携帯の繋がらない所に行きたかった」とだけ自己紹介して、職業も明かさなかった。
まだ海水浴には早すぎ観光名所もない島で暇を持て余すタエコ。ユージによると人々は「たそがれる」ために島に来るという。人生の一瞬に立ち止まり、何をするでもなくたそがれると言われ、自分はたそがれていないと反発して、何を編むとも決めずに編み物を始めるタエコ。
毎朝、サクラが枕元まで起こしに来たり、高校教師だというが、いつもぶらぶらしてハマダに入り浸るハルナなど、マイペースで奇妙な人々に振り回され、一度は宿を変えようとするタエコ。だが、近くに一軒だけある民宿は、午前中は農作業、午後は勉強会という道場のような宿だった。慌てて逃げ出し、トランクを引きずりながら民宿ハマダに戻ろうとしたが、遠すぎて座り込むタエコ。そこへ三輪自転車で迎えに来たサクラが、黙ってタエコを荷台に座らせた。
自分なりに「たそがれる」術を身につけていくタエコ。タエコを追って、ヨモギという青年が民宿ハマダに現れた。タエコのことを「先生」と呼ぶが、関係性も出身も不明のタエコとヨモギ。かき氷が苦手なタエコはサクラの店を避けていたが、食べてみると美味しさに病みつきになった。かき氷のお礼に氷屋が氷を置いて行くので、サクラのかき氷は無料だった。その代わりに皆が思い思いの「お礼」を渡したり、楽器を演奏すると聞き、編んでいた編み物を贈るタエコ。
「旅はいつかは終る」と言ってヨモギが帰って行った。梅雨の雨が降り出した頃、サクラも姿を消し、タエコも島を後にした。しかし、翌年の春にユージを手伝って、海辺のかき氷屋の開店準備をするタエコ。そこへ、引きずるほど長い手編みのマフラーを巻いたサクラと、ヨモギまでが帰って来た。

出典:Wikipedia

と、いった内容。

で、観終わっての感想。

たそがれるを理解できない主人公

この映画の中でのキーワード「たそがれる」。
そういえば、現代の生活の中で”たそがれる”ことなんてどれぐらいあったのだろう?そのような自分の生活を思い出した。
主人公のタエコも、たそがれるの意味がよく分からない。人生の中で経験をしたことが無いのだろう。しかし、他の人たちにはそれがわかる。
後から来た若い青年のヨモギ。彼とタエコとの関係が分からないが、少なくとも彼は「たそがれる」がわかっていた。
タエコも徐々に、たそがれることを楽しみ始めるのだった。

のんびり気分になる映画

映画の中は、平和である。
何も大きな変化は起こらないが、ちょっとしたことを楽しみ、穏やかに生きている。刺激は無いが、とにかく平和なのだ。
観ているうちに、のんびりした気分になってくる。

究極の贅沢かもしれない

一見何もなく、つまらないように見える空間。
実は、究極の贅沢なのではないだろうか。
ボクらの生活の中で、あのような空間は存在するだろうか。
ほとんどの人が、存在しないと思う。
よく考えると、これこそ究極の贅沢なのかもしれない。

都会に生きていると忘れてしまうこと

都会に生きていると、とにかく殺伐としていることに気づく。
そこで生活するドライバー、歩行者、人々の目が皆殺気立っているいるよな気がするのはボクだけだろうか。
そのような世界に生きていることさえ、気づけないでいるのかもしれない。
本来、人は都会の中の殺伐とした中で生きていることが普通だと思ってしまうが、よく考えると人間的ではない。
そうやって苛立って人生を終えてゆく。

何だか、大事なものを学んだ気がするのである。






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