映画「ガタカ」を観て
3月24日、「ガタカ」という映画を観た。
原題は「Gattaca」。1997年のアメリカ映画で、アンドリュー・ニコル監督の作品だ。
キャストは、ヴィンセント役のイーサン・ホーク、アイリーン役ユマ・サーマン、ジェローム役のジュード・ロウ、アントン役のローレン・ディーンなどである。
あらすじは、
といった内容。
で、観終わっての感想。
SFであるが、もはやSFではない
この映画、1997年の映画である。いってもれば20年近く前の映画になるが、古さを感じない。
そして、恐らくその当時のSFの世界であろう内容であるが、もはやSFと感じない。実際に、この先起り得る内容だと感じた。
今や遺伝子の操作は、ボクらが通常の生活をしている中では気づかないだけで、世界の裏では普通に研究されているだろうし、もしかしたら、普通に存在していることかもしれない。
それくらい、近未来を感じさせられれる内容であった。
「不適正者」である主人公を応援したくなる
映画の中の主人公「ビンセント」は、世の中では遺伝子的に「不適格者」である。しかし、彼は努力をする。ついには適格者の弟・アントンを負かす日が来る。そして彼は家を出て夢を追うことになる。
子どもの頃から、常に人より劣っている現実と向き合ってきた。
だからこそ、不正を働いてでも夢を追おうとする彼を、応援したくなる。
それは、なぜなのか。
鑑賞者であるボクらは、みな「不適正者」だからかもしれない。
ヒヤヒヤのシーンの連続
「ガタカ」の中では、巧妙に自分の正体を隠す主人公がいた。しかし、それは気の抜けない工作の連続だ。そして、毎日繰り返すルーティーン。
ここまでして夢を追う姿に、脱帽である。
それだけに、まるでスパイ映画のような、巧妙な知能と、即座の判断、行動力が映画の中で繰り広げられる。
「適正者」になりきるために、「適正者」の何十倍も努力する。
ヒヤヒヤのシーンの連続で、映画の中に引き込まれているのに気づく。
エンドロールでハッと気づく
最初もそうであるが、観終わってエンドロールの強調された文字を見ていたら、ハッと気づいた。
A・G・T・Cの文字が強調されているのである。
高校時代の生物の時間の記憶がよみがえってきた。
(これってDNAの組成の頭文字?)
Aアデニン、Gグアニン、Tチミン、Cシトシン。
!!!
そうか、遅ればせながら、この映画はDNAの映画なんだ、と気づく。
タイトルも「Gattaca」。
変なタイトルと思っていたが、ここにもDNAが組み込まれていた。
恐るべし・・・。
よく考えられている映画だった。
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