論語解説

「論語」の解説をしてます。誤りなどあれば、コメントででも指摘してもらえると、嬉しいです…

論語解説

「論語」の解説をしてます。誤りなどあれば、コメントででも指摘してもらえると、嬉しいです。とりあえずわかりにくいところだけ。もうだいたいわかったと思ってても、ところどころ誤りがあって、あとから修正してます。

最近の記事

前に書いた「栄国化猫異聞」という小説について

以前、河瀬由子というペンネームで「栄国化猫異聞」という小説を書きました。 https://www.pixiv.net/users/11426407 この小説の作中作という感じで、戦国時代の佐賀を舞台としたフィクションが書かれていますが、この6で、  竜造寺隆信の息子政家(まさいえ)の吉村家への来訪はその日の午後のことだ。隆信の病が癒えたためか政家の表情には安堵が見えるようだったが、隼人助は自身の栄達を考えるより自らのあるかなきかの運命(さだめ)を強く感じていた。家臣の筆

    • 論語20終

      子曰く、命を知らざれば、以て君子と為す無きなり。礼を知らざれば、以て立つ無きなり。言を知らざれば、以て人を知る無きなり。 天命を知らないのなら、君子とはいえない。礼を知らないのなら、立つということはない。言葉を知らないのなら、人を知るということはない。 追記。論語の句の多くは、子曰く、で始まる。これはあくまで、先生(孔子)がそう言った、という意味があると思います。 ◇終わりに◇ 最後まで「論語」を読んでみて、やっぱいいこと書いてあるなあ、すげえなあ、と思った。あと漢字っ

      • 論語19

        子張曰く、徳を執ること弘からず、道を信ずること篤からずんば、焉んぞ能く有りと為し、焉んぞ能く亡しと為さん。 徳をひろく考え、道をあつく信じることが無いのなら、どうしてこれだというようなものが得られよう。これではダメだということが言えよう。 曾子曰く、堂堂たるかな張や。与に並びて仁を為し難し。 曾子が言った。子張は堂々としすぎてて、何か一緒に仁をなすって感じじゃないように思えてしまうよ。

        • 論語18

          子路従いて後る。丈人の杖を以て蓧を荷うに遇う。子路問いて曰く、子、夫子を見たるか。丈人曰く、四体勤めず、五穀分たず、孰をか夫子と為すと。其の杖を植てて芸る。子路拱して立つ。子路を止めて宿せしめ、雞を殺し黍を為りて之を食わしめ、其の二子を見えしむ。明日子路行きて以て告ぐ。子曰く、隠者なりと。子路をして反りて之を見せしむ。至れば則ち行れり。子路曰く、仕えざれば義無し。長幼の節は廃すべからざるなり。君臣の義は、之を如何ぞ其れ之を廃せん。其の身を絜くせんと欲して大倫を乱る。君子の仕う

        前に書いた「栄国化猫異聞」という小説について

          論語17

          子曰く、唯だ上知と下愚とは移らず。 上知とは仁者で、下愚とは前に出てきた、孔子が叩いたという、原壌という老人のような人だろうか?孔子は上知による政治を目指していたのだろう。「荘子」の、聖人生まれて大盗起こる、とは、違う感じの考えかただと言えるか。 追記。というか訂正。他のことは変わり行くけど、上知ということと下愚ということは変わらない、という意味かもしれません。 子曰く、小子、何ぞ夫の詩を学ぶこと莫きや。詩は以て興すべく、以て観るべく、以て羣すべく、以て怨むべし。之を邇

          論語17

          論語16

          孔子曰く、天下に道有れば、則ち礼楽征伐天子より出ず。天下に道無ければ、則ち礼楽征伐諸侯より出ず。諸侯より出ずれば、蓋し十世にして失わざること希なり。大夫より出ずれば、五世にして失わざること希なり。陪臣国命を執れば、三世にして失わざること希なり。天下に道有れば、則ち政大夫に在らず。天下に道有れば、則ち庶人議せず。 孔子は言った。天下に道があるのなら、礼楽征伐は元首の行いから生まれてくる。天下に道が無いのなら、礼楽征伐は諸侯の行いから生まれてくる。諸侯からそれが生まれてくるのな

          論語15

          子張行われんことを問う。子曰く、言忠信、行篤敬ならば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば則ち其の前に参わるを見るなり。輿に在りては則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。子張諸を紳に書す。 子張が何かが実行されることを問うた。言葉が忠信で、行いが篤敬ならば、それは実行されると孔子は答えた。そうであれば異郷でも実行されるし、そうでなければ郷里でも実行されない。何か日常的なことをしているとしても、言葉が忠信で行いが篤敬

          論語14

          南宮适、孔子に問いて曰く、羿は射を善くし、奡は舟を盪かす。倶に其の死の然るを得ず。禹・稷は躬から稼して天下を有つと。夫子答えず。南宮适出ず。子曰く、君子なるかな若き人、徳を尚ぶかな若き人。 南宮适が孔子に問うた。羿は弓矢が得意で、奡は舟をも動かす怪力でした。しかし非業の死でした。禹と稷は自分で畑を耕して天下をたもちました。孔子はそれに何も答えなかった。南宮适は出て行った。孔子は言った。君子だ、あのような人は。徳を重んじている人だ。 訳出はしなかったが、前にあった、人々を治

          論語14

          論語13

          ◇コラム◇ 「論語」を読み進めてきたけど、孔子は農業にはあまり関心が無いようだ。君子のすることではない、という感じだろうか。そういう箇所がある。そこを考えていたせいだろうか、孔子が否定している小人や悪の肩を持ちたくなるような気持になったりもした。おれ自身も少し農業をやっているせいもあるだろう。ただおれも農業が本当に好きかどうかはいろいろ思ってしまう。けど向き不向きはあるにせよ、みんな少しは農業できたほうがいいんじゃないか。あとやっぱり「論語」、いいと思うよ。何か普通の人には理

          論語12

          顔淵仁を問う。子曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰せん。仁を為すは己に由る。而して人に由らんや。顔淵曰く、其の目を請い問う。子曰く、非礼は視ること勿かれ、非礼は聴くこと勿かれ、非礼は言うこと勿かれ、非礼は動くこと勿かれ。顔淵曰く、回不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん。 顔回が仁を問うた。孔子は言った。自分に克(か)って礼に戻るのが仁。一日自分に克って礼に戻れば、世の中は仁となる。仁は自分自身によっている。そして人に顔回はその重要なとこ

          論語11

          子曰く、先進の礼楽に於けるや、野人なり。後進の礼楽に於けるや、君子なり。如し之を用うれば、則ち吾は先進に従わん。 最近の礼と楽しさは野人のそれだ。かつての礼と楽しさは君子のそれだ。もしかつての礼楽をするのであれば、それ以外は最近のものに従おう。 子曰く、我に陳・蔡に従いし者は、皆門に及ばざるなり。徳行には顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語には宰我・子貢。政事には冉有・季路。文学には子游・子夏。 私について陳や蔡に来た者たちは、もう門人にはいない。 ちょっと寂しい感じのす

          論語10

          食は精なるを厭わず、膾は細きを厭わず。食の饐して餲し、魚の餒して肉の敗れたるは食らわず。色の悪しきは食らわず、臭いの悪しきは食らわず、飪を失えるは食らわず。時ならざるは食らわず。割ること正しからざれば食らわず。其の醤を得ざれば食らわず。肉は多しと雖も、食気に勝たしめず。唯だ酒は量無し、乱に及ばず。沽酒市脯は食らわず。薑を撤せずして食らうも、多くは食らわず。公に祭れば肉を宿せず。祭肉は三日を出でず。三日を出ずれば、之を食らわず。食らうに語らず、寝ぬるに言わず。蔬食・菜羮・瓜と雖

          論語10

          論語9

          子、罕に利と命と仁とを言う。 先生はまれにしかお金と命(自分のほんとうにやるべきことか?)と仁の話をしない。 達巷の党人曰く、大なるかな孔子。博学にして名を成す所無し。子、之を聞き、門弟子に謂いて曰く、吾何をか執らん。御を執らんか、射を執らんか。吾は御を執らん。 達巷というところの誰かがふざけて言った。孔子は大人物だ。博学だが、全然有名になってない、君子だ。孔子はこれを聞いて、弟子たちに言った。それじゃ私は何をしよう。御をする者か(御者か?)。射をする者か(兵士か?)。

          論語8

          曾子、疾有り。門弟子を召して曰く、予が足を啓け、予が手を啓け。詩に云う、戦戦兢兢として、深淵に臨むがごとく、薄冰を履むがごとしと。而今よりして後、吾免るるを知るかな、小子。 曾子が病気になった。弟子たちを呼んで言った。私の足をひらけ!私の手をひらけ!詩経に、戦戦兢兢として、深淵に臨むがごとく、薄冰を履むがごとし、と言う。これからは、私はそうしたことから解放される。 曾子は死を前にしている。このエピソードは君子としての心構えを言っているのだろう。 追記。最後の小子というの

          論語7

          子、顔淵に謂いて曰く、之を用うれば則ち行い、之を舎つれば則ち蔵る。唯だ我と爾とのみ是れ有るかな。子路曰く、子、三軍を行らば、則ち誰と与にせん。子曰く、暴虎馮河し、死して悔い無き者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成さん者なり。 孔子が自分と顔淵(顔回)の君子としてのありかたをちょっと自慢気に言った後で、弟子の子路が、一国の軍隊を率いるのなら誰と組みますか?と勇んで問う。孔子は勇猛果敢な人より、きちんと計画する人がいいと答える。ちょっと勇ましい子路がかわい

          論語6

          子、仲弓を謂いて曰く、犂牛の子も、騂くして且つ角あらば、用うること勿からんと欲すと雖も、山川其れ諸を舎てんや。 孔子が仲弓を評している。粗野に見え、だれも登用しないかもしれないが、山や川(つまり未開地か?)は彼の家となる、か。 子曰く、回や、其の心三月仁に違わず。其の余は則ち日に月に至るのみ。 顔回は心が3カ月仁を離れなかった。それ以外の人は、1日だったり1カ月だったりするだけだ。 子曰く、祝鮀の佞有らずして、宋朝の美有るは、難いかな今の世に免かれんこと。 祝鮀の口