論語9

子、罕に利と命と仁とを言う。

先生はまれにしかお金と命(自分のほんとうにやるべきことか?)と仁の話をしない。


達巷の党人曰く、大なるかな孔子。博学にして名を成す所無し。子、之を聞き、門弟子に謂いて曰く、吾何をか執らん。御を執らんか、射を執らんか。吾は御を執らん。

達巷というところの誰かがふざけて言った。孔子は大人物だ。博学だが、全然有名になってない、君子だ。孔子はこれを聞いて、弟子たちに言った。それじゃ私は何をしよう。御をする者か(御者か?)。射をする者か(兵士か?)。私は人々を御すことをしよう。


子、四を絶つ。意毋く、必毋く、固毋く、我毋し。

先生にはこういう四つのありかたが無かった。何か意図して考えてしまうこと。こうでなければならいとすること。あたまが凝り固まること。それと自分というもの。

弟子の曾子なんかには、自分というものを強く感じる。

芥川の「仙人」という短編には、「李も、すべての東洋人のように、運命の前には、比較的屈従を意としていない。」とある。これは、表だって考えて屈従というのではなく、ふつうに屈従ということか。


大宰、子貢に問いて曰く、夫子は聖者か。何ぞ其れ多能なるや。子貢曰く、固より天、之を縦して将に聖ならんとす。又多能なり。子之を聞きて曰く、大宰は我を知るか。吾少くして賤し。故に鄙事に多能なり。君子は多ならんや、多ならざるなり。牢曰く、子云う、吾試いられず。故に芸あり。

孔子は自分のことを知られなくても、グチっぽくならないように、と論語の最初で言っている。しかし本人には仕官したかったという思いはあったのだろう。採用されずにいろんなことをしてきたから、いろんなことができるのを恥じている様ではある。しかしいろんなことができるのは、現代なら良いことじゃないかな。


子曰く、吾知ること有らんや、知ること無きなり。鄙夫有り、我に問う、空空如たり。我其の両端を叩きて竭す。

私は何かを知ってるだろうか?いや何も知らない。もし学の無い人が何も予備知識が無いような感じで尋ねてくるなら、(私は何も知らないから、その人の立場に立って?)教えてあげられるだろう、くらいの意味か。


顔淵、喟然として歎じて曰く、之を仰げば弥高く、之を鑚れば弥堅し。之を瞻れば前に在り、忽焉として後に在り。夫子、循循然として善く人を誘う。我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。罷めんと欲すれども能わず。既に吾が才を竭す。立つ所有りて卓爾たるがごとし。之に従わんと欲すと雖も、由る末きのみ。

顔淵(顔回)のまじめな人柄がうかがえる。


子曰く、吾衛より魯に反りて、然る後に楽正しく、雅頌各〻其の所を得たり。

これまでは「楽」を楽しいことと訳してきたけど、ここは音楽みたいな気もする。どうだろう。雅頌が楽しさを生み出す、みたいにもとれるけど。


子曰く、敝れたる縕袍を衣、狐貉を衣たる者と立ちて、恥じざる者は、其れ由なるか。忮なわず求めず、何を用てか臧からざらん。子路終身之を誦す。子曰く、是の道や、何ぞ以て臧しとするに足らん。

孔子から人を身なりで判断しないと褒められた子路。それで子路は詩経にある、害わず貪り求めず、それが臧(よ)しということだ、という一節をずっと口にしていた。すると孔子から、そうやって一日中言ってるののどこが臧しなんだ、とやられた。


子曰く、歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知る。

寒くなって、松などがまだ緑でいるのを知る。君子のありかたを言っているのだろう。そういえば松柏社って出版社、ここからとったんだろう。


子曰く、知者は惑わず。仁者は憂えず。勇者は懼(おそ)れず。

ドラクエの勇者ってここからとったのか?


子曰く、与に共に学ぶべきも、未だ与に道に適くべからず。与に道に適くべきも、未だ与に立つべからず。与に立つべきも、未だ与に権るべからず。

一緒に学ぶことができても、一緒に道にいるとは限らない。一緒に道にいるとしても、一緒に世に出るとは限らない。一緒に世に出るとしても、一緒に政治をするとは限らない。


唐棣の華、偏として其れ反せり。豈に爾を思わざらんや。室是れ遠ければなり。子曰く、未だ之を思わざるかな。何の遠きことか之有らん。

前半は歌の歌詞だろう。花の美しさに感じ入るようなこと、それは家から遠くに来ているからだ。孔子は言う。もう遠くに来てしまっているのだろうか、しかし花の美しさに感じ入ることはまだない。まだ遠いということではないのだ。

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