論語7

子、顔淵に謂いて曰く、之を用うれば則ち行い、之を舎つれば則ち蔵る。唯だ我と爾とのみ是れ有るかな。子路曰く、子、三軍を行らば、則ち誰と与にせん。子曰く、暴虎馮河し、死して悔い無き者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成さん者なり。

孔子が自分と顔淵(顔回)の君子としてのありかたをちょっと自慢気に言った後で、弟子の子路が、一国の軍隊を率いるのなら誰と組みますか?と勇んで問う。孔子は勇猛果敢な人より、きちんと計画する人がいいと答える。ちょっと勇ましい子路がかわいそうにも思えるやりとり。


子曰く、富にして求むべくんば、執鞭の士と雖も、吾亦た之を為さん。如し求むべからずんば、吾が好む所に従わん。

富が追求しなくてはいけないものなら、くらいの意味だろう。


子、斉に在りて韶を聞く。三月肉の味を知らず。曰く、図らざりき、楽を為(つく)ることの斯に至らんとは。

楽を為る、というのは、音楽をつくることというより、韶を聞いて楽しい気分になった、っていう、その楽しさのことみたいな気がするが、どうだろう。それだと、楽を為(な)す、か。

追記。楽を為(な)すことのここに至らんとは。つまり、ここまで楽をなすことができるのか、という感じだろう。ほとんど一緒とも言えるんだろうけど、ここまで楽しくなれるのか、というのと少し違う。


冉有曰く、夫子は衛の君を為けんか。子貢曰く、諾。吾将に之を問わんとす、と。入りて曰く、伯夷、叔斉は何人ぞや。曰く、古の賢人なり。曰く、怨みたるか。曰く、仁を求めて仁を得たり。又何をか怨みん。出でて曰く、夫子は為けざるなり。

衛の君主が具体的に何をしたのかは、ウィキペディアを読んでみたけど、あまり分からなかった。伯夷、叔斉を孔子がよく思わないのなら、衛の君主を助ける可能性があったのだろう。


子曰く、疏食を飯い、水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲のごとし。

年収のほとんどは障がい者年金なんだけど、現代版隠者のようになっているおれ。


子の雅言する所は、詩、書。執礼は皆雅言なり。

先生がお喋りではないきちんとした言葉を遣うのは、詩と書。それと礼を行う時はそういう言葉遣いだ。


葉公、孔子を子路に問う。子路対えず。子曰く、女奚ぞ曰わざる、其の人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ、と。

葉公が孔子のことを子路に問うた。子路は答えなかった。孔子は言った。どうしてこう言わなかったのだ。(道が成されないと言って?)怒って食事も忘れ、楽とばかり言って憂いを忘れ、もう老境も近いのにそれも分かってないような人ですよ、と。

以前子路はそんな孔子の悪口をこぼしたことがあるのかも。孔子は子路にはグサグサ言う。


子曰く、三人行なわば、必ず我が師有り。其の善き者を択びて之に従い、其の善からざる者は之を改む。

3人で(道を求めて?)行けば、必ず自分の手本になるような人がいる。その良い人を手本にして、良くない人には改めるように言う。前の切磋琢磨のようなものか。


子は四を以て教う。文・行・忠・信。

孔子は文、よく言葉を重視すると思う。


子曰く、聖人は吾得て之を見ず。君子者を見るを得ば、斯に可なり。子曰く、善人は吾得て之を見ず。恒有る者を見るを得ば、斯に可なり。亡くして有りと為し、虚しくして盈てりと為し、約にして泰なりと為す。難いかな恒有ること。

私は善人に会ったことがない。つねに足りている人を見れればそれでいい。


子曰く、蓋し知らずして之を作る者有らん。我は是れ無きなり。多く聞きて其の善き者を択びて之に従い、多く見て之を識すは、知るの次なり。

知らないで哲学をつくる者がいるようだが、私はそういうことをしない。たくさん(人の話を?)聞いて、良いものを選んでそれを手本とする。たくさん(人の行いを?)見て、それが分かるようになるのは、知ることの次のことだ。

一番最初の、学びて時にこれを習う、か。


子、人と歌いて善ければ、必ず之を返さしめて、而る後に之に和す。

孔子が人と歌って良い感じになったら、必ず繰り返させて、その歌にハモった、という意味か?まあいずれにせよ、孔子は音楽が好きだった、というエピソードだろう。何か普通のおじさんという感じもする。


子の疾病す。子路、禱らんと請う。子曰く、諸有りや。子路対えて曰く、之有り。誄に曰く、爾を上下の神祇に禱る、と。子曰く、丘の禱ること久し。

孔子が病気になった。弟子の子路は、祈ってもいいですか?と尋ねた。そんなことをするのか?と孔子が言った。誄に、そなたを天の神地の神に祈る、という言葉があります、と子路は言った。そういう祈りなら、私はもうずっと長いことしている。

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