論語16

孔子曰く、天下に道有れば、則ち礼楽征伐天子より出ず。天下に道無ければ、則ち礼楽征伐諸侯より出ず。諸侯より出ずれば、蓋し十世にして失わざること希なり。大夫より出ずれば、五世にして失わざること希なり。陪臣国命を執れば、三世にして失わざること希なり。天下に道有れば、則ち政大夫に在らず。天下に道有れば、則ち庶人議せず。

孔子は言った。天下に道があるのなら、礼楽征伐は元首の行いから生まれてくる。天下に道が無いのなら、礼楽征伐は諸侯の行いから生まれてくる。諸侯からそれが生まれてくるのなら、それは10代は持つだろう。大夫から生まれてくるのなら、5代は持つだろう。陪臣(陪審員の陪だから、民間から登用した人だろう)が礼楽征伐の国命を執行すれば、3代は持つだろう。天下に道があるのなら、政治の中に大夫は入ってこない。天下に道があるのなら、一般庶民は政治の中に入ってこない。

天下に道があるのなら、一般庶民は政治の中に入ってこない。のところは、いまの日本でいうなら、一般庶民がすべきことは、三大義務、働くのと、税金を納めるのと、教育だ。ふつうの人は、自分の仕事とか、家族とか友人のことくらいしかあまり考えきれない。みんなのことを考えるのは、政治家とか役所の人がメインですることだろう。あとは国際協力のNPOとか。庶人、つまり一般庶民が、議している状態というのは、そういう意味でよくない、ということか。いまのコミュニティに重ねて言うなら。ただいまは選挙がある。そういういろいろ考えて選挙に望む人は、庶民というより、市民という感じだろうか。君子はいまで言うなら、市民というようにも言えるかもしれない。


孔子曰く、君子に九思有り。視るには明を思い、聴くには聡を思い、色は温を思い、貌は恭を思い、言は忠を思い、事は敬を思い、疑いには問うを思い、忿りには難を思い、得るを見ては義を思う。

おれは色は、意味とかエロスとか訳している。


孔子曰く、善を見ては及ばざるがごとくし、不善を見ては湯を探るがごとくす。吾其の人を見る。吾其の語を聞く。隠居して以て其の志を求め、義を行いて以て其の道を達す。吾其の語を聞く。未だ其の人を見ざるなり。

善を見てはそれを自分にはできないとあきらめ、不善を見てはそれを卑劣に真似しようとしたりする。私はそういう人を見たし、そういうことを言っているのも聞いた。仕官しようとせず志を追求し、義を行って道に生きようとする。私はそういうことを言っているのは聞いたことがあるが、まだそういう人を見たことが無い。

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