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バリキャリが偉いわけじゃない、と思う

私は、これまで自分をバリキャリだと思ったことがなかったです。

「現代社会なら女性も社会に出て働く方が良い」というのもごもっともだけど、そんな単純なものではないなと最近思います。

なんとなく「バリキャリは偉い」って流れがあるような気がするんですが、そういうことではないと個人的には感じています。

もちろん日本の社会全体として女性が働きやすい環境や平等に評価される社会になってくれることは、望ましい状態であり嬉しい。ぜひもっとそうなって欲しいと思います。

そして、そういう環境が整うことによって、働くことが人生の”選択”の1つとしてより大きくなってきたと感じます。

そうすると、中には
働いていることに"偉い感"を持ちすぎてしまうことがあったりして、
主婦さん等のように会社勤めではない場合より、
会社勤めという働きが、より評価されやすくなっている気がします。

でも、正直この意見については、男女間の考えの違いだけだけではなく女性間においてもちょっとした問題になるのかな、と感じたり。

※あくまでこれは私の感じたことで、絶対的に正しいという意味合いではないのでご理解ください。もしご気分を害される方がいたら申し訳ないです。

※こういったトピックがあまりお好きでない方は違う記事にも目を通していただけたらとてもとても嬉しいです。ありがとうございます。

”社会で働く”が全てじゃない

最近やり始めたDMM英会話で、話の合う先生がいます。

ジンバブエ出身の女性の先生なんですが、私より少し若いですが結婚をしています。

私の英語は本当に拙いですが、それでもこれまでのキャリアのことや、今後どんなことをして行きたいかとか、結構深い話になります。

先日のレッスンの中では私が人事部で新卒採用に携わっていたときの話をしていた流れで、女性の働き方の話になりました。

彼女自身も働きながら、ご家庭の事情もあって家事もほとんど担当してるとのこと。

両方ともをこなす彼女が「主婦だって大事な仕事だと思う」と言っていて、言葉は違うけど自分の感覚も近いものがあると思いました。

最近は共働きの家庭が多いし、企業も女性雇用に対して国の目を気にしながら拡大させていく傾向にあると思います。

私自身、こういった風潮や雇用機会創出や正当な評価を与えようとする流れ、非常に大事だと思いますし嬉しいです。

こういう時代に働けてありがたいなと。

でも、こういう背景にあるのは”男女間”の差にフォーカスしたものですが、ただ働く女性が増加することで何となく「働いている女性の方が偉い」っていう空気感が漂っていると思うんです。

いや、私もまだ社会人7年目の未熟者だけど、それでも社会で働くということは本当に大変なことだなと思います。

仕事の成果や人間関係、劣等感、未熟さ、プレッシャー、責任とか色々のしかかってくるものがあると思うし、働いているといい時ばかりではなく、どうにもこうにも上手くいかん!って嫌になる時があるから大変なことだと思います。

だから働いていることに対して、私はすごくリスペクトがあるし、私もそうでありたい、まだ働いていきたいといつも思います。

でも、個人的な意見としては

 「働いていない=リスペクトに値しない」ということではないです。

具体的には主婦やまだ育児に専念している方に対して、リスペクトできないなんてことはないです。

私はまだ未婚だし、子どももいないので実際自分がどのような感情を今後持つようになるのかわかりません。多分一生懸命考えただけでは、その立場の人の気持ちを100%理解することはできないと思います。

だけど、みんな誰かに育ててもらった身であり、多くの方にとって感謝すべきどなたかがいると思うんです。

だから働いていないからといってリスペクトができないというのは、少々極端な気がします。

「働きたいなら働く選択をすればよかったじゃん。今を選択したのは自分自身でしょ?」と会社に勤めて働く側の人には思う方はいるかもしれないけど、それは確かにそうだけど、それであればお互い女性の選択を尊重してもいいよねと思います。

バリキャリだから偉い、という訳ではなく

少し前に、学生時代から仲の良い友人と最近のお互いの仕事や結婚のことについて話しをしていたのですが、半分冗談というか

「Sex and the cityでキャリーとミランダも言っていたけど、私たちバリキャリって結婚が遠のくよねー。」と彼女が話してくれました。

そのときに私が持った感覚としては「自分がバリキャリだとあえて認識したことはなかった」という感じ。

別に友人に対して不快感を感じた訳ではないし、彼女も働いていることが全てだとは思っていない。ただ、ここ数年間、彼女は特に仕事に奮闘している状況なのでそういう言葉があったのだと理解しているのですが。

ただ個人的にはバイキャリという括りがあまりしっくり来なかっただけのこと何です。

私よりも素晴らしい人は本当にたくさんいると思いますが、友人が「私たちはバリキャリ」と括ったのはお互い勤め先は違うものの、二人とも総合職採用として一般的に見てそれなりの責任を負っていたり、多少はお給料をもらえたり、次は管理職を目指す大事な時期だ、とか色々と置かれた状況とモチベーションから解釈されたものだと思います。

(偉そうな言い方になってしまってすみません…決してそう言った意図はございません…)

私がバリキャリだなんておこがましいしいですし、もちろんバリキャリの正しい定義はイマイチよくわかりませんが、友人が言っていたのはそういう感覚だと思います。

(ここでは自分がバリキャリだと仮定した上での書き方になりますが)

私が自分で自分をバリキャリだと思ったことない、というのは、働くという選択や、仕事内容は自分がやりたくて選択したものだからだと思います。

別にバリキャリが偉いからとか、バリキャリになりたくてやっているとかではないし、自分が”懸命に取り組みたいこと”が自分自身の仕事だった、というだけのことだと思います。

人生の何に価値を置くかは、人それぞれだし時期によっても変わるから

別に”仕事”といわれるものが、誰にとっても最重要事項だとは限らないわけであって、仕事への価値の捉え方は人それぞれだと思います。

仕事を一括りに言っても、色々な雇用形態があると思うし(必ずしも今の雇用形態は本人が望んでいるものではないかもしれない)、職種内容も総合職とか事務職、アシスタント職とか色々あると思います。

仕事を大事にする人もいればプライベートを大事にする人もいると思いますし、何か次の夢を見据えて今の仕事を選択している場合もあると思う

だからどっちが偉いという訳ではないからこそ、自分の選択次第だから優劣はないんじゃないか?ということです。

私の今の考え方は、

・自分にある程度負担はあるけど裁量が持てる

・自分で主体的に動いて回りながら働きたい

・自分という全体に対して仕事を大事にしたい

・色んなスキルを身につけて、ステップアップしていきたい

・自分のやりたいことを仕事を通じて達成して充実させたい

というもので、結果仕事に取り組む意味合いは自分の中でも重要です。

ただこれが将来の自分に一貫して言えるかはシチュエーションによって異なると思うし、人それぞれ考えも違ければ、その時々でも考え方は変わっていくから、一生こうだ!とかそういうものではないと理解してます。

総合職を選んだのもキャリアの幅は広くありたいとか、裁量が欲しい、責任ある仕事がしたいという点ですが、だからと言って「総合職を選択して働いてる自分偉いっす」って言いたいわけではなく、自分が今それで満足していられるなら意味があった、自分にとっては正解だったということかなと。

優越感を感じるための比較は、しない

言い方が悪いですが、女性間の中でも職種とか会社にいるかいないかの観点で相手を見下すような感じ、ちょっとあると思ったり…

何十年前に比べたら女性も働くことが自然になってきたのはいいものの、その働き方とか仕事への価値観の違いで緩い方?に対するリスペクトがないというか、変な優越感を持たせているような感じ。

その人の判断だから別にあえて比較して自分はバリキャリだとか考える必要はないのか…と個人的には思っています。

よそはよそ、うちはうち理論です。笑

働いていなくても育児をしている人だって立派な役割を果たしていて、人を育てることで将来の社会を作りあげているわけだし、お互いにリスペクトが持てたらいいなと思います。

最近姉にBabyも生まれたので、色々と人生を考えたりしますが

自分のやりたいようにやっていこう、が一番良いです。

色々な考え方があるけど、幅広く理解したいというそんな私の考え方です。

今日も読んでくださってありがとうございます!!

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