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愛するということ

先日、こちらの記事でも触れたのですが、

『愛するということ』
『愛とためらいの哲学』

という、愛に関する本を2冊読んだ。

それで気づいたことや、わかったことがいくつかあったので、今回はそのことについて書こうと思う。

❁愛だと思ってたものは、愛じゃなかったのかもしれない

2冊を読みながら、過去の恋愛(6年付き合って別れた人)と、夫との今の生活に思いを馳せていた。
そのなかで痛感したのは、今まで誰のこともほんとうの意味で愛していなかったのかもしれないな、ということだった。

愛だと思っていたものは、実は自分のエゴだったんじゃないか、と思えてきたのだ。

相手の幸せを願ってるつもりで、実際は自分の期待しているとおりに動いてくれなかったりするとなんとなく不満になったり、相手に自分のやり方や考え方を押し付けてしまったり。

気をつけていても、いつのまにかそうしてしまっていることが、けっこうあって。改めて反省した。

とくに、過去の恋愛なんてほんとうに間違いだらけだった。相手の幸せより自分を幸せにしてほしいという気持ちのほうが、無意識に上になっていたな、と振り返ってみて思う。

あの頃はほんとうに未熟だった。当時の恋人にもちょっと申し訳なくなった。
やり直したいとかは微塵もないけれど。


当時は恋人もそこそこワガママな人だったというのもあり、喧嘩をしたときには8:2くらいで相手が悪いと思っていたことも正直、あった。けど今思えば、自分の言動も相当だったな、と。

まぁ自分にも多少悪いところはあったよね、くらいの感じで思っていたけれど、思っていた以上に自分がダメダメだったことに今さら気付かされて、今さら「うわー……あの頃の自分……」って恥ずかしくなった。


❁恋愛における、ギブアンドテイク

それでもう一つ個人的に衝撃を受けたのが、

恋愛において、ギブ・アンド・テイクに固執すると、おかしなことになります。
『愛とためらいの哲学』より

この、事実。
え、わたし、ずっとこれに固執してたよ?
と、目からウロコが100枚くらい落ちた気分。
まさに青天の霹靂。

なんとなく、わかってはいた。見返りを求めないことが愛、みたいな考え方は。
けど、それが少し不平等に感じてしまうことが昔あって、「何やってあげたら、代わりに何かやってくれるのが当たり前」だと思っていた。

けど、その考えがひっくり返った感じ。
だから過去の恋愛はうまくいかなかったのか、と今になって納得。

ちなみに今の夫とは、お互いが率先して何かやったりそれに感謝したり、という好循環が生まれているので、ギブアンドテイクをあまり気にせずにいたのだけれど。
もし夫がこういうタイプの人でなかったら、わたしはきっとギブアンドテイクを求めていただろうな、と思う。


❁愛の技術を身につけるために

『愛するということ』では、「愛は技術」だと書かれている。これは、習得するための努力をすれば、誰でも身につけられるものだということ。

最近、正しい(というと語弊があるかもしれないけれど)愛し方を身につけるために、いくつか意識していることがある。
それは主に、夫に対する態度のこと。

これまで、夫との生活の中で、自分の見栄のためだったり、自分が恥ずかしさを感じたりしたくないがために、夫の行動を制限したり文句を言ったりしたことが多少、いや、かなりあった。

例えば、夫が中途半端な部屋着姿のままランニングに行こうとしたときに、「その服は恥ずかしいからやめてよ」と言ってしまったり。

夫が運転中に窓を開けたままごきげんに歌を歌っていたときに、「ちょっと、他の人にも聞こえるから(恥ずかしい)」と遮ってしまったり。

そうやって何か言うと、だいたい夫はわたしの言ったことを受け入れてくれていた。けどたまに反発されることもあって、わたしもちょっとイライラしたり不満に思ったりすることがあった。

だけど、

他者は自分の期待を満たすために生きているわけではありませんから、期待通りに他者が動かないからと言って腹を立てるいわれはありません。…

愛を知る人は、「自分自身よりも、愛するパートナーの幸福により関心がある」のです。
『愛とためらいの哲学』より

この本を読んでいて、すごく反省した。
あぁ、他人に期待しないとか、相手の幸せを優先するとか、わかっているようでわかっていなかった。
自分の感情を優先しすぎて、夫の幸せをちゃんと考えられてなかったな、って。


自分の恥ずかしさのために、夫のあるがままの姿や行動を制限するのってどうなんだろう?

部屋着のままでも、夫が平気なら別にそれでいいじゃないか。
他人にどう思われるかよりも、夫がご機嫌で幸せでいられることのほうが大事なんじゃない?

そんなふうに、考え方が変化していった。


今は、夫のそのままのあり方を尊重して受け入れられるよう、ひっそりと訓練しているところ。
油断すると口うるさい以前の自分が顔を出しそうになるので、意識してグッとこらえている。



自分の見栄や恥ずかしさを理由に安易に否定しない。相手が自分らしくのびのびといられる環境を作る&そういられる存在になる。
相手が幸せそうにしていることを大事する。

もちろん、限度はある。
例えば服の組み合わせがあまりにちょっと……って感じのときとか(夫はあまりファッションに興味がない)、やっていることが危険なときとか、そういう時は軽く口を挟むこともある。

けど、基本は相手の選択や言動を肯定するように意識している。

愛の技術の習練には、「信じる」ことの習練が必要なのだ。
『愛するということ』より

相手の考えや行動を信じること。
否定せず、受け入れること。

これは夫婦や恋人に限らず、親子や他の人間関係全てにあてはまる「愛の技術」だと思う。

相手を信じられずに、自分の思い通りに動かそうとするのは、結局自分に自信がなくて不安だから。
自分の不安を解決するために、相手をコントロールしようとしているだけ。

たとえば、子どもの失敗を恐れて、なんでも手出ししてしまう親とか。これは子どもの力を信じてないし、失敗するんじゃないかと自分が不安だから、なんだかんだと手や口を出してしまうんだと、思う。

まずは自分が「信じる心」を磨くこと。
そして相手の幸せや成長を願うこと。

これから、愛する力をもっと伸ばしていけたらいいなぁと思う読後でした。

大事な人のために。


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多分、この2冊を10年前に読んでいたら、また違った感想を抱いたんだろうな。
今読んだからこそ、身に染みてわかることもたくさんあったし、実体験に即して考えることもできた。

もっと早く読みたかったような、今でよかったような、ちょっと複雑な気持ち。

けど、とにかく読めてよかった。

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